ネット社会の退化
ネット社会は退化してないだろうか。
Twitter を頻繁に使わなくなって久しい。なぜだろう。多分大きいのは、ほとんどが一方的発信、垂れ流し、つぶやきで、リトリートも含めて、中身の濃い対話にはなっていかないからだと思う。
80年代にパソコン通信の双方向対話、「電子会議」の利用推進に全力で取り組み、90年代にはそれがグローバルに広がると思ってインターネットの普及に尽力した。双方向のオープンな対話が社会を進化させると期待して。
しかし、その頃の経験を踏まえてかんがえてみると、インターネットの登場以降、個人ブログに始まり、Twitterや YouTube、インスタなどのいわゆるSNSは、いずれも充分な対話とそれによる相互理解の増進にはつながらず、言い放し、自己宣伝、無理解、誤解と反発、対立、分断などを増幅ないし創出する気がしてならない。YahooNews のコメントもかなり酷い。
Facebookにもその要素は少なくないが、まだマシかなと思って多用している。
ネット利用が社会に広がり、今や社会の欠かせない一部になった。その分、質的には社会を(望ましい方向に)変えていく要素が減り、むしろ元々あった社会のネガティブな部分、誇張して言えばダークな部分を増幅する要素が増えたと思える。ネット社会は退化してるのでは。
で、どうすれば良いのか。異なる価値観の者同士でもより対話と相互理解が深まるような機能を持つソフト、サービス、あるいはプラットフォームをつくって広めることは不可能か?そう言うことに挑戦する阿呆なビジョナリーが欲しい。
エコーチェンバーだとか、ただ否定的に批判するだけでなく。
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