歴史から学ぶ、とは 〜8月15日に

<事実>に向き合うことは、歴史から学ぶための基本条件だと思います。たとえそれが自分たちには都合の悪い事実だとしても、いな、まさに都合が悪い事実こそを、しっかり掘り出し、向かい合い、どこがどう間違っていたかを探る、学ぶことが、次の時代をそうならないようにしていく基礎だと思います。
 戦争の「被害体験」だけを語ることは、膨大な加害の事実を隠蔽してしまい、総体としての戦争の理解・把握・反省にならなくなります。日本軍が朝鮮、満州、中国大陸、南方諸島、東南アジア、などなどでどんなことをしてきたか、軍に限らず、移住していた日本人、協力した日本人社会も。
 けっして快いことではないと思いますが、そこにしっかり向かい合うことが、必要だと思います。自分たちに都合のよい部分だけを「つまみ食い」するのではなく。
 「15年戦争」とよく言われますが、遡れば、日清戦争、日露戦争、そして朝鮮「併合」など、明治以来の一貫した国策、アジアを踏みにじって「国益」拡大をしてきた歴史があります。「満州国」もその流れです。
 「1945年の敗戦」はそうした一連の流れの帰結だと思いますが、最近評価されている半藤一利氏の著書や渋沢栄一氏の大河ドラマの描き方とその影響などを見ていると、そういう視点は見受けられません。
 たとえば半藤氏の著書『昭和史』の第1作(1926-1945)をみると、最後、「むすびの章」に「310万の死者が語りかけてくれるものは?」とあります。これは日本側の死者の合計で、日本が戦った側の死者はまったく触れられていません。
 この本は、軍部、政治家、天皇などの「指導者」側のストーリーに終始していて、一般の人々の意識、生活の面や、兵隊たちについての描写、洞察もありません。
 彼が亡くなったこともあって、彼の一連の著作は高く評価されているようですが、正直、読んでみて愕然としました。

当時の帝国主義の時代には、アジアへの侵略も「あたりまえだった」という議論もあるようですが、百歩譲って仮にそうであったとしても、今、それを是認することはできないと思います。「仕方がなかった」は、歴史にはなしだと思います。それでは学べないと。

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