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いま、どこにいるのだろうか?

夜中の3時を過ぎて、目が覚めてしまい、こんなことを考えてしまった。

DXっていうと、何か新しいイノベーション、先進的な改革かのように聞こえる。頑張って推進しよう、と。
でも、よく考えてみよう。
日本の大半の企業、組織、産業界、官界、学界、その他の社会組織の大半は、世界の標準、平均、当たり前となっている、あるいは少し先を行っている思考方法、価値の生産方法、行動様式、意思決定法式、組織運営システム、経営手法、などなどの面で、相当に遅れてしまい一周も二周も遅れていると思えてならない。海外との直接交流が大きく減じたコロナ禍を経て、その遅れはもしかするとさらにかなり拡大したのではないか。

それに「追いつく」ために、諸々変えなければならないのが現実なのだろう。世界が先に変わってしまっているのに、そこに気が付いていないようだ。そこを認識した上で、何をどう変えるのか、考え実行しないと。その掘り下げ、分析はできているのだろうか。

よく言われるように、DXとして、(デジタル)システムの設計、開発、運用の仕方を変えることは、重要だが、しかし一部の要素に過ぎない。
変えるべきは、法制度、意思決定の方法、人々同士の関係性、組織や商売の、教育や診療の、基本的なあり方そのものだ。DX以上の大ごとだ。デジタル庁にお任せしてる場合ではなく。


極東の島国で、このまま平和に静かに大人しくまとまっているだけだと、大洋の底に沈むように没落していく。自分たちが意識することなく、レミングのように崖から転落していく。いや、もう海の底に沈んでるようなものかもしれない。
 次の政治のリーダーを決めるための「争い」の様相を見ていると、余計にそう思えてくる。正直、希望が持てない。

この考え、描写、分析は悲観的すぎるかなあ、、

ズボフの本、『監視資本主義』やブレイディみかこの『他者の靴を履く』を読みかけているのだが、とくに前者からは、今の日本の(そして他国でも)多くの市民たちは、表現はひどいかもしれないが、実はアウシュビッツのような強制収容所に送り込まれる囚人のようなもので、貨車で送り込まれて到着すると選別され、肉体を抹殺され所持品を髪の毛に至るまで強奪回収再利用されるか、強制労働に就かされるかの岐路にいても、そうとわからないようなものかもしれない。
 あるいは、周回遅れで走っているのに、先頭集団と同じ位置で走っていると錯覚しているようなものかもしれない
 もしくは、これも比喩が適切かどうか迷うのだが、パラリンピアンは身体機能の一部に障害を持つ同士が競走するが、我々は国際的に見ると実はハンディを持っていつつ競争しているのだが、それが見えず、ないしは見ようとしないので、自分たちのやり方は「正常」だと思っていて、自らのハンディに全く気が付いていないのかもしれない。「エンパシー」によって他者を合理的に理解する能力を持っているだろうか。
 自分は成功して、諸事万端を理解して、知恵も経験も権力も情報も豊富に持ち、間違えていない、どうすべきかはちゃんと分かっている存在だと錯覚していないか?
 本当に有識なのか? それともただの自惚れなのか?唸る。
GoogleやAmazonやAlibabaや Tencentは、とっくに先に行っているのに。楽天やソフバンやNTTやauやトヨタやソニーは、実は周回遅れになっていないか?
経団連や東大や朝日や日経や読売や、
NHKや永田町や霞ヶ関や兜町は、、
自民党や公明党やなんとか野党たち、
先頭の背中は見えているのか?

遅れてるのはデジタル、ではなくて、アナログを含めた、デジタル以前の、そしてデジタルを使いこなせない組織、経営、行動、意識の全体ではないのか。いや、デジタルを使えなくても問題ないのかもしれない。一人ひとりに合わせたシステムを作ることが大事で、スマホでなくて紙でも良いはずではないか。FAXでも。

ある人が書いている。最近は日本では欧米の最新の経営書は売れないので、翻訳されてないのだ、と。経営者が勉強しようとしていないから。現状に安住しているら、と。いつまでもドラッカーやポーターではないはずなのに。
嗚呼。
反論や処方箋を期待したい。

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