NOT BECAUSE(I'M HERE/スパイク・ジョーンズ)

あるカットに惹かれたのがきっかけだった。

3/31更新

(『THERE ARE MANY OF US』の表紙)


左斜め上から差す西日に逆光になっている二人がいる。人間じゃない二人。『I'M HERE』のワンシーン。





シェル・シルヴァスタインの『おおきな木』をご存知だろうか。

これは、ある子どもと『おおきな木』のお話。子どもは『おおきな木』を愛し、『おおきな木』もまた子どもを愛していました。しかし、子どもは成長するにつれ、姿を見せなくなります。子どもは少年、青年、中年……と変わっていき、その時々で必要なものを『おおきな木』に要求します。それに応えるために、『おおきな木』は自らを差し出します。まずは実を、次に枝を、最後には幹を……。


『I'M HERE』は人間とロボットが共存する世界が舞台だ。主役は、シェルダンという男の子。ロボットであり、人間と異なるところと言えば、四肢を着脱できるところだ。ある日シェルダンは、女の子ロボットのフランチェスカに出会い、ふたりは恋に落ちる。彼女は奔放で、ロボットが人間より地位が低いこの世界でも、人間のようにふるまう。それゆえ、彼女は徐々に傷付いていく。


『I'M HERE』は、『おおきな木』を下地にした作品だ。『おおきな木』はシェルダン、『子ども』はフランチェスカに置き換えることができる。つまり、彼女を愛するシェルダンが取った行動は……。

フランチェスカが、柱や壁に「i'm here」と書かれた紙を貼っていくシーン。

S:What is that?
(あれ、どういう意味?)
F:What do you mean?
(何?)
S:What does that mean?
(あれ、どういう意味なの?)
F:I'm here , that's all.
(「私はここにいる」って、それだけ。)

『おおきな木』は、子どもに「幸せになってほしい」と願った。シェルダンはフランチェスカに「彼女らしく生きてほしい」と願った。彼女は、『おおきな木』の子どものように、彼を不遜に扱うことはないが、自身が傷付くと同時に彼も傷付いていくことに変わりはない。それでも、彼女は自身の生き方を止められないのだから。


自らを犠牲にするシェルダンは、他人を犠牲にするフランチェスカは、愚かだろうか? たとえそうだとしても、不幸の上に立っていたとしても、彼らは幸福を感じていると思いたい。惜しみなく生きること。惜しみなく愛すること。誰に何を言われても、彼らはきっと幸福だ。それを願わずにはいられない30分だった。

I'M HERE/スパイク・ジョーンズ(2010年)

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