「刹那い」(花は泡、そこにいたって会いたいよ/初谷 むい)
『花は泡、そこにいたって会いたいよ』は、ぼくが初めて買った歌集だった。
一目惚れだった。表紙のイラストを、ぼくが元々ファンである大島 智子さんが担当していることも、一つの理由だったけど。
『花は泡、そこにいたって会いたいよ』
5・7・5のこのタイトルだけで、充分だった。初谷 むいという歌人に惹かれるには。
どこが好き?何か有っても無くっても撫でれば同じように鳴くから(p20)
「閉店後バナナに毛布をかけること」とのメモがありいいなあバナナ(p22)
死後を見るようでうれしいおやすみとツイートしてからまだ起きている(p84)
ことばは、現在進行形じゃない。口にした途端、それは過去になって、思い出になる。そして、思い出はいつか、思い出されることのない記憶として、頭のずっと奥の方にしまい込まれる。
けれどこの歌集は、どの頁をめくっても、しまい込んでいたそれらが溢れ出てきてしまう。誰かのものであるはずの記憶が、自分の記憶として紐解かれていく。ぼくはこの歌集を、最初から最後までノンストップで読み通すことができない。そんなことをすれば、苦しくて切なくて、胸が破れてしまうだろうから。
この歌集は、装置だ。ぼくは思う。何度読み返しても、鮮烈さが失われることはない。それは、何度も思い起こされる記憶があるように。忘れてしまったこと、これから忘れていくこと、全てが目の前を横切っていく。過去も未来も、境目が溶けていく。そして残るのは、一瞬だ。いつのものなのか、わからない。でも、いとおしく思う一瞬。この歌集は、それを見せてくれる装置なんだ。
最後に、余談を。初谷 むいさんの短歌には、haruka nakamuraの『アイル』がよく似合うと思っている。
アイル - haruka nakamura(2018年)
『アイル』は、この季節になるとプレスされる春の風物詩だ。春は、出会いと別れが凝縮されている。そこで生まれた歌と歌が合わさって。いつか、どこかの記憶が、瞼の裏に付いて離れない。
これは、何だろう。悲しい記憶だろうか。幸せな記憶だろうか。ぼくはじっと目を凝らす。その輪郭をはっきり摑むことはできないけど。『思い出す』その瞬間も、とても幸福な瞬間だと思う。
『花は泡、そこにいたって会いたいよ』
ぼくはまた、何かを思い出している。
花は泡、そこにいたって会いたいよ - 初谷 むい(2018年)