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海賊 VS 棒人間『最善手ドリル』★5★

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本日のドリルは難問です。解けるでしょうか? 状況設定がやや複雑ですが、想像してみてください。

進路に悩んでいる高校3年女子サラダちゃん。12月頭、2学期の定期テスト最終日の前日の塾教室です。明日までに進路を確定させてなくてはいけません。1つの道は付属の女子大へ内部進学。2つ目の道は他大学の一般受験です。

サラダちゃんは、私から見ても健気に、一生懸命がんばっていたので、通知表の成績は良く、内部進学の希望を出せば希望の学科に必ず進学できる状態でした。一方、外部受験は、過去問もやったことがなく、模擬テストも受けたことがない。対策を始めるにしても、あと1か月後にセンター試験、その3週間後に一般試験という差し迫った状況です。

他大学を受けたいものの、たぶんムリという自己判断で、内部進学に関わる定期テストの勉強のみを続けてきました。しかし内部進学の申込締切日を前に、他大学の受験に挑戦したい気持も抑えられないといった状況です。シビアなことに、外部受験をする人は、内部進学の権利を放棄しなくてはいけません。

受験せず、内部進学の希望を出せば、定期テスト対策がちょうど終了するタイミングなので、2年間続けてきたサラダちゃんの高校の勉強と塾は、この日が終了となります。一方、センター試験・一般試験を受けるのであれば、ここから1か月半、全力の猛勉強になります。0か100かの選択です。付属高校なので中学→高校の間に受験がなかったため、猛勉強をした経験がありません。自分がどのくらい頑張れるかは未知数です。

外部受験をしたい動機は「海賊になりたいから」です。マンガ『ワンピース』が大好きで、ずっと愛読してきて、海と冒険へのあこがれが強くなってしまったのです。幼稚な動機と笑う人もいるかもしれませんが、私はその心の動きを、素晴らしいものだと思いました。普段から自分の内面を伝えてくれる子ではありませんでしたが、その言動からときどき「自分を打ち破りたいという意志」が垣間見えるときがありました。でもその意志は強いものではなく、すごく慎重で、その結果、この「あこがれ」を形にするための勉強は、本格的には開始されないままでいました。

もちろん「海賊になるための大学」などありませんが、「海洋に関する学部」はあります。出来るならそこへチャレンジしたいということでした。受験がもし成功したとしても、学校は遠方で、実家を離れ、一人暮らしをすることになります。

一方で、本人の一番の夢は「家族とふつうに、穏やかに暮らす」というこのチャレンジとは相反するもの。インドア派で基本、面倒くさがり。近距離の付属大学への内部進学は、それにぴったりです。そんな自分が「なぜかチャレンジの気持を抱いてしまった」という状況です。

定期テスト対策の授業(最後になるかもしれない塾の授業)が終わると、サラダちゃんは、この先どうしたらよいか解らず、泣き始めてしまいました。さて問題です。

【問題】

泣き出したサラダちゃんに対して、どのような対応をとれば良いでしょうか。

①納得いく結論が出るまで話し合う。
②海賊らしく運を天に任せ、サイコロを振って決める。
③胸を貸してそっと抱きしめる。

制限時間:3分

【解説と解答】

「自分の夢は家族とふつうに、穏やかに暮らすこと」「でもチャレンジの気持を抱いてしまった」と素直な心情を、ていねいに伝えてくれたのに、「じゃあサイコロで決めよう」はあまりに唐突でパイレーツ。②が外れて、①か③に絞られる。

①「話し合い」自体は最善手に成り得るが、「感情が溢れているときの話し合い」は、かなりの悪手と言えよう。実際、彼女が泣き出すきっかけとなったのは、「先生は、わたしが受験した方がもうかるんでしょ!」という彼女自身の一言がきっかけだった。思いっきり人に当たりたくなるくらい、わずかな想いもすべて吐き出したくなるくらい、彼女は辛い時間を重ねてきたのだし、たった今も迷っている。そこで話し合い続行は酷だ。

となると最善手は「③胸を貸してそっと抱きしめる」となる。大きく揺れた感情を落ち着かせる。嵐が去った後に、ふっと浮かんだインスピレーションをつかみ取るのが最善手だろう。

最善手:③胸を貸してそっと抱きしめる。

◎実戦の棋譜を見てみよう

もちろん人に、ましてや生徒に胸を貸した経験なんてないです。そんな経験が豊富だったらひどく問題ですよね。人生で映画やドラマみたいに「ぎゅっと抱きしめた胸で泣いてもらう」なんてシチュエーションはそうそうないです。

この選択肢には「そっと」とあります。一人で泣いている子を放置するわけにはいかない。当たり前だが自分が泣いても仕方がない。サラダちゃんの元へティッシュを持って行って、ひとまず大粒の涙をぬぐい、そしてそっと寄り添いました。私の体型は「棒人間にまな板の胸を装着した感じ」です。ぎゅっと抱きしめられても仕方がないし、そうしたら固くて痛い。だから、椅子をもっていき、隣で頭と心を包むように抱きました。棒だけど人間だし、二人にしかわからない時間ですが、この教室で、2年間いっしょに頑張ってきたのですから——

彼女はだいぶ長い時間泣いてました。

逆の立場だったらどうしていいかわからないです。冒険には出たい。しかし失うものは大きい。しかも夢とは真逆の方向への冒険。心細い。家族の元を離れる。しかも勉強もたくさんしなくちゃいけない。さらに頼るべき塾の先生はまな板の棒人間!(笑)

そしてサラダちゃんは泣き止み「帰って考えます」と言いました。そして2日後、届いたのは

受験することにしました。真剣に頑張りますので応援してください! でもときどきは今までみたいに楽しいことも言ってください。

というメール。サラダちゃんはその後、びっくりするくらい勉強しました。毎日塾に来て、家でも頑張り「今日はこれだけやりました」と勉強の進捗度をメールで報告してくれました。こうしないとサボっちゃうから、という彼女からの提案でした。そしてセンター試験でなんと9割超えのミラクル、センター試験利用も一般受験も楽々合格。しかも授業料免除の特待生のおまけつきでした。さらに受験後は、すぐに引っ越し先や向こうでのアルバイト先を決めるなど、驚くべき行動力を見せました。

インドア派で、面倒くさがりのはずなのに・・・頑張ったね。

私は彼女の卒業祝いに、ほぼ日手帳を渡しました。彼女は数年後、ハワイ実習のお土産として、アロハシャツをくれました。私にではなく、まだすごく小さい、塾に来ていたときにはいなかった息子に。

この前、そんなサラダちゃんの誕生日にメールしたら、30歳になったという返信が来ました。これは12年前の出来事なんですね。こうして記憶を綴っていると、当時の自分もサラダちゃんも架空の人物のように思えてきます。

でも——あの決断には、とても勇気が必要だったこと、そしてその後、本気で頑張り、道を切り開いたこと、そして開いた道をすぐに歩み始めたこと。すごく個人的で、抽象・応用が利くかは不明ですが、こんな最善手もあったということで棒人間のドリルに収録しておきます。

ありがとう、サラダちゃん。
サラダちゃんの素晴らしい冒険が、今も続いてることを願ってます。

★6★へつづく


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