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13歳、懲役6年。-バレた。-

〜バレた。〜

 夜間外出ばかりの毎日だった。
 タイヤの空気が完全に抜けた自転車に乗り、地面の凹凸を尻で感じながら、徒歩通学の友達の家へ向かっていた。
「3人以下での行動」は夜間外出の鉄則だった。3人いると色々とリスクが大きいからだ。
わたしはよくすぐると夜間外出に行っており、宮崎は一人で少し遠い所に住んでいるバスケ部仲間と遊んでいた。

 中学校からとても仲の良かった女の子がいた。中学のころは休み時間だけではなく授業中もおしゃべりし、よく一緒に叱られていた。
 しかし高校に上がり、その友達は少し友人関係で悩んでいて、とうとう学校に行けなくなってしまった。
どうにかして学校に来てほしくて、わたしとすぐるは毎日のように、その友達の家に、まるで家庭訪問のように「元気にしてるか~?」と裏口からこっそり入り、その女の子に会いに行った。わたしたちは、少しでもその友達が元気になってくれるよう願っていた。

 はじめは親に見つからないように、家の少し離れた小屋で遊んでいたが、事情を知ったお母さんは「中においで。」とわたしたちを招いてくれるようになった。手作りのパンを出してくれたこともあった。


その当時のわたしたちの知能指数は、二人合わせても「訓練された犬」くらいしかなかったので、自分の体力の限界や、疲労の具合がわかっておらず友達の家についた時点でヘトヘトになっていた。
 そんなわたしたちに、お母さんは手作りのパンを焼いてくれた。

 深夜の疲れた身体に、焼きたてのパンは染みた。

 おいしかった。

 味が、香りが、優しさがおいしかった。

「パンってこんなにうまかったっけ?!」と2人で口々に言いながら、訓練されていない犬のように一気に食い尽くした。
「親からの手作り」から離れた環境にいる分、何倍もおいしく感じた。

 わたしとすぐるは、
「パンうまかったなあ…。」
 と空気の抜けた自転車を漕ぎながら何度も思い出していた。
 帰り道の空はいつも薄明るくなっていた。

 わたしはその友達の家が大好きだった。





 ある日朝の集いに、宮崎が来なかった。夜間外出をしているので朝寝坊など当たり前のことであった。しかしその日は
「宮崎は呼びに行かんでええ。」と寮監はわたしたちに言った。
 てっきりわたしは宮崎は、日頃の行いの悪さがやっと神の耳にまで届いて、とんでもない病にでもかかったんだな、程度に思っていた。
 しかし朝食の時にある噂を耳にした。

「宮崎、バレたって。」


 わたしは眠気が一気に覚めた。
 今まで成功してきた作戦のどこに穴があったのかがわからず、運が悪ければ芋づる式にバレるのではないかという思いが巡り、恐くなった。
 しかし噂を整理して情報を集めていると、どうやら宮崎はなんと、昨夜パトカーに乗って寮に帰って来たそうだ。深夜の高松駅で、自転車に乗る小さい少年(当時宮崎の身体は小さかった)が怪しくないわけがなく、深夜巡回していた警察の方にすぐに声をかけられて、あれよあれよとパトカーに乗せられまで強制送還されたのであった。

 宮崎は停寮・停学のダブルパンチでお母さんに連れられ、しばらくの間実家のある兵庫へ帰っていた。
 その後、寮生はほぼ全員寮監からの尋問を受けた。
しかし皆決まって口にするのは

「寮から脱走?!深夜に?!そんなこと考えたこともないですよ~。」
 としらを切り続け、宮崎の帰りを待っていた。

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