ただの素人

35歳までの目標「自己内外の融合」。 自己の中に秘めるもの、思考、意見、記憶を自己外へ…

ただの素人

35歳までの目標「自己内外の融合」。 自己の中に秘めるもの、思考、意見、記憶を自己外へと表現することが目標です。 日本語教師。きのこが苦手。 初めまして。千客万来。アンチはどっかいけ。

マガジン

  • 咲かざる者たちよ

    通勤の電車内の暇つぶしに、小説のマネごとをしています。 全30話くらいになるかもしれません。 「人が抱いてしまう理想や願いの花は、常にその意思とは反し、呆気なく散り崩れてしまうこと」をテーマにした小説 創作大賞2024の〆切まで間に合うんか、わし。

  • 13歳、懲役6年。

    13歳、中学1年から高校3年まで暮らしていた、寮での記録をエッセイのマネごとのようにまとめています。

最近の記事

咲かざる者たちよ(第十一話)

〜第十一話〜  七年後の夏の終わり。その日、喜多山は猛烈な吐き気で目覚めた。早朝四時四十分。一杯の水を飲み干し、マンションのベランダに立つと、そこから見える朝日が徐々に街を染め上げていく様子を眺めた。西に目を移すと祖母の家の跡地が見えた。喜多山は祖母の死後、自宅を売却し、近くのマンションの狭い部屋に一人暮らしをしていた。  喜多山は一人孤独だった。この世界に喜多山とつながるものなど誰一人としていなかった。喜多山は祖父母の貯金を切り崩して生活していた。一人で財産管理をする喜多

    • 咲かざる者たちよ(第十話)

      〜第十話〜  グレーの古いバンを西へ向かって四十分走らせると、町で有名な介護施設が視界に入ってきた。喜多山は今日もバックミラーに写る後部座席の祖母と遠ざかる街並みを眺めた。喜多山は、窓の外をじっと見つめ無言のままの祖母に対して根気よく話しかけ続けた。しかし、週に三度の往復一時間半近くを要する送迎は、徐々に喜多山を疲れさせ、夏が終わる頃には、送迎中の車内はすっかり沈黙が支配するようになっていた。その頃を境に、喜多山の大学講義への欠席は顕著に増加した。  施設ではいつも三十代

      • 咲かざる者たちよ(第九話)

        〜第九話〜  その夏、高校二年生である喜多山のもとに祖父の訃報が届き、急いで帰宅することになった。祖母が改札口で待っていてくれていた。ホームから階段を降りてくる途中、改札口を見ても、祖母の姿がかつてのようにはっきりと認識できぬほど、祖母は小さく、老いて見えた。「よく帰ってきたねぇ。今日はこのままおじいちゃんのところ行くからねぇ。」と言いながら喜多山が持つ荷物を手伝おうとしたが、喜多山は荷物をぐっと引き寄せ、「大丈夫。僕一人で持てるから。大丈夫。」と優しく断った。喜多山はかな

        • 咲かざる者たちよ(第八話)

          〜第八話〜  金曜日の午後の授業が終わると喜多山は、荷物をまとめて寮を後にした。数時間電車に揺られ祖父母の家の最寄りの駅へ到着する。毎週末、駅の改札口まで迎えに来てくれる祖母の姿に心踊り、喜びで満たされていた。しかし喜多山はなぜか無理やり平静を装い、古びたグレーのバンに乗り込んだ。  喜多山は中学からは寮で暮らしていた。山奥にあるその寮は冬になると、鉄の扉が氷そのものであるかのように冷気を放ち続け部屋の隅々まで白く凍てつかせた。喜多山は週末に野球部の練習試合がない週は、金曜

        咲かざる者たちよ(第十一話)

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        • 咲かざる者たちよ
          12本
        • 13歳、懲役6年。
          18本

        記事

          咲かざる者たちよ(第七話)

          〜第七話〜  夕焼けの輝きも遂にその光を遠くへ失い、病室は静かな暮色に包まれていた。誰もいなくなったその病室でわたしは、その汚れた手帳に綴られた喜多山の日記に心を奪われていた。  わたしが大きく身を伸ばし天井を見たとき、廊下に足音が聞こえた。 「あれ。赤井、まだいたんだ。」とわたしより四つ先輩の看護師が病室から顔だけ覗かせた。その瞬間、わたしはこの病室で倒れ、彼が当直室まで運んでくれたことを思い出し、心からの感謝と謝罪を口にした。先輩は優しく「気にすることはないよ。君は確か

          咲かざる者たちよ(第七話)

          咲かざる者たちよ(第六話)

          〜第六話〜  多々良が帰った部屋には夜風が吹き通った。喜多山は身体を震わせ、冷え切った空気に混じって白い息を漏らしながら、声もなく深く泣いていた。少しして、CDプレイヤーを止めると、無慈悲に響き渡る列車の轟音が喜多山の耳を打ち鳴らした。部屋は荒れ果てていた。喜多山は瓦礫と化したクローゼットの中から、その夜食べるつもりだった潰れたパンを取り出して、立ったまま食べた。喜多山は多々良に対する憎しみを抑えるのに精一杯だった。  次の日、これまでのように学校で皆を笑わせていた多々良

          咲かざる者たちよ(第六話)

          咲かざる者たちよ(第五話)

          〜第五話〜  多々良との出会いから半年が経過した。この期間、多々良の存在が喜多山の日常にどれほど大きな影響を与えているか、喜多山は改めて感じた。相変わらず小学校での多々良の目立ちようは異常だった。一方、喜多山はというと、母が家に帰ってこない日が増え、寂しい気持ちは大きくなっていた。もしかしたら、箪笥の中身を知ってしまったことが母にばれたからかもしれない、全ては自分の責任なのではないかという疑念さえ抱くようになっていた。下を向いて足をずりずりと引き摺るように歩いている喜多山に

          咲かざる者たちよ(第五話)

          咲かざる者たちよ(第四話)

          〜第四話〜  気がつくと喜多山は保健室のベッドで寝ていた。喜多山はすぐに起き上がり、養護教諭を探した。たまたま離席していた養護教諭の机の上には自分の調査書が開かれていた。なるほど先程までどこかに電話をかけていたのだろう、受話器が本体から少しずれて置かれていた。  喜多山が受話器を元の位置に戻した瞬間に、 「喜多山くん。君が寝ている間、友達一人ひとりに、大丈夫だよと説明しに行ったよ。」  と、誰かが言った。振り返ると六年生にしては少し背が高く、短髪の爽やかな男子がベッドに腰掛

          咲かざる者たちよ(第四話)

          咲かざる者たちよ(第三話)

          〜第三話〜  小学校六年生の喜多山は、養護教諭によって頻繁に保健室に呼び出されていた。毎日着ているほつれた服や、汚れて破れたスニーカー、そして下級生と比べても一目でわかるほど痩せて小さな体格、養護教諭は喜多山に対して不審に思うことが多くあり特に気にかけていたのだ。  誰もいなくなった夕方の保健室で養護教諭は、錆びた脚立を登り、家庭調査書が収納されている棚に手を伸ばした。目当ての喜多山の情報が記載されたファイルを手に取り、その養護教諭は脚立の上で立ち、夕日の明かりを頼りにそれ

          咲かざる者たちよ(第三話)

          咲かざる者たちよ(第二話)

          〜第二話〜  自宅での寂しさや、毎晩怒号とともに押しかけて来る男たちへの恐怖をかき消すように、今日も喜多山は小学校ではすれ違う者一人ひとりに話しかけ、ふざけて笑わせてみせた。 「やっぱり君は傑作だ、喜多山くん。また明日もこっちのクラスにも来てくれよな。ああ、笑った。笑ったよ。もし君が僕の弟なら、家で勉強なんて忘れてずっと笑っているだろう。そう、成績だってどんどん下がっていくに違いない。ああ、笑った。笑った。」と言う上級生の笑い顔を見ながら喜多山は、ふと「もし君が僕の弟なら」

          咲かざる者たちよ(第二話)

          咲かざる者たちよ(第一話)

          〜第一話〜  長年、雨風にさらされてきたせいか、郵便受けから溢れ玄関前に散らばった封筒の山は、その古い借家の外壁の一角に集まり固くへばり付き密集していた。  喜多山は父の顔を知らない。彼は母と二人、暗い高架下の住宅地で寂しい生活を送っていた。 全ての窓には黒いカーテンが施され、それは外光をほぼ完璧に断ち切っていた。喜多山は町の外れに住んでいるため、近所に同じ小学校に通う友達が一人もいなかった。喜多山は長い通学距離を歩きながら友達と野球をしたり追いかけっこをしたりすることばか

          咲かざる者たちよ(第一話)

          咲かざる者たちよ(プロローグ)

          〜プロローグ〜  病室の扉を開けるや否や、刺すような夕陽のまばゆさに目が眩んだ。三月の日であった。慌ただしくベッドへ駆け寄ると、患者は喉に息を詰まらせ、苦悶の中にあった。三十代とは思えぬほど老け込んだその患者の頭にはほとんど髪が残っておらず、頬には大きな川のような皺が深く刻まれ、まるで生命の終末を語るかのようだった。 「みず…み…ず…」 患者が酸素吸入器を曇らせながら呟いた。わたしが初めて担当した患者が、今や死の淵に立たされている。父が他界して丸三年間の空白期間を経て、

          咲かざる者たちよ(プロローグ)

          くつずれ

          隣には英検一級持った人が座ってて、 HSK(汉语水平考试)5級持ってる人もおって、 次のTOFLEが〜とか話してて、 きっとスコアも高くて、 チェコ語がどうのこうの言う人もおって、 既に優秀な上に努力家で、 真面目で、 清潔で、 俺なんかとは次元が違うくて、 俺の持つ英語や中国語など何のステータスでもなくて、 最低限備えておくべき「礼儀」に近いものですらあって、 自分の低すぎる総合値や強い関西弁は「非常識」や「失礼」なのでは?と薄々気づき始めて、 ボク

          三月の牡丹雪

           20時15分-。佐賀・武雄の温泉街に、いちじ雪が舞った。雪は見るものの心を暖かくしてくれ、寒さを忘れさせる。しかし時に切なさも運ぶ。  この街で迎える7度目の冬。毎日片道1時間かかる車の通勤が億劫だった。お金がなく、車内では真冬でも暖房を入れられず、薄っぺらいマフラーを何枚も身体に巻きつけ、震えながら運転をしていた。  4月から始まる大阪での新しい生活を考えると、そんな佐賀での辛い日々も少しは報われる気がする。 . . . いつの間にか雪は雨になっていた。 . . .  2

          三月の牡丹雪

          白い牛

          ---"それ"は白い牛でした。  映像制作会社の方に渡された名刺の裏に"それ"は描かれていました。 街外れの小さな牛小屋に、住み込みで働いていた当時を「正に人生のドン底だった」と作者は語りました。  蝙蝠(こうもり)、烏(からす)、鼠(ねずみ)や蜚蠊(ゴキブリ)...。 たいてい、我々が地の底に連想するは、これら黒く薄汚れた生物たちでしょう。  地の底。夢も、希望も、世界や時間すら存在せず、まるでそこには鉱物のように凝固した沈黙と、天井まで覆い尽くす虚無とが、交る交る訪

          推し花

           あと2点というところで見事、不合格した漢検2級の四字熟語には、格言や人生の指針のようなものに加え、仏教的な教えも出題範囲に含まれています。 その、わたしが見事1発不合格した、その漢検2級にこのような四字熟語があります。 「蓋棺事定」(がいかんじてい) 「蓋」→ふた 「棺」→棺桶 「事」→ことがら、功績 「定」→さだまる、決まる、評価される 棺(かん)を蓋(おお)いて事(こと)定(さだ)まる。 つまり、生前の成果や功績の多くは当てにならず、死後初めて真に認められ評価され