もし、運命の人と出会える権利があるのなら、あなた自身がその人を裏切れない環境作りをする義務がある。

私は一度や二度、本命の人を捨てて、毒親に甘やかされることを選んだことがある。恐怖したことは後悔に変わって、いつしか自分への恨みに変わる。

久しぶりの怒り。鬱憤が溜まっている。もちろん、本人と出会えたのも、過去の経験があったからこそなのだけど、だからって、負の産物が足かせになるとは。この葛藤たるや。しょうがない。あの時の出会いは、ああいうものだった。苦しいかもしれないけれど、これからどうするかだ。自分で見て選んだもので、自分で望んだ足かせで、どう生きるかだ。他人から与えられたことで生まれたストーリーじゃなくて、自分自身に対しての、とった行動への罪悪感も含めて、成長に繋げて育むストーリーがいいよね。

私が人と出会って「いいな」と思える人は、多分全体人口の0.3%くらいしかいない。そんな尊い人たちを大事にできないで、指をくわえて見ているだけなんて、一体誰がこんな自分を愛してくれるというのだろうか。

欲、思考、期待。

怖いね、耳が、魂に檻を重ねて、心が震えてる。はっとして、左手をかざすけれど、これっぽっちの自分が離れていくのがわかる。

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「なぜあの頃が一番輝かしかったのか」それなりに悩んできた。でも結局、誰のことも知らなかった。だから、美しかった。知ろうとしたのは私のほうだ。あなたが責任を負う必要はない。

あぁ、私は失敗したんだ。たしかに一回失敗したんだ。もう一度、戻ろうか。中学生のころに。何もなかったかのように。でも、次は、別のルート、世界線も、知っているように。あのころの気持ちでいるから…。本当のままの気持ちで、こわがらないで。

言葉や芸術に表さないで、一体誰がどうして心をわかってくれるのか。

好きな自分になるのではない、好きになれる自分を見出すのだ。

山奥やネットでも人間を避けて幸せにはなれない。とっとと問題片付けちゃえばいい。

音楽は私にとって人生の教材だった。学校には通えなかったけれど、音楽を通して、詩を学んだ。メロディと人間模様を涙に描いた。

たとえ顔形が変わったとしても、この魂はそのままであるのだろうか。この見えない色合いをなんと呼ぼうか。きっと無垢で、どこまでも透き通っていて、乳白色をしている。これがおそらく「自己」であった。葛藤含めて、たまにしとどに水がながれこんできて、コーティングされた上に人間世界の仏面がある。

あぁ、音楽を聴くと魂がおどってる。波紋みたいにカラフルにゆらいでてかわいい。乳白に、バニラエッセンスだとか、食紅をつけるような感じで、ほんのりピンクなのだ。

「私はあなたがあなたでよかったわ。だって、そこに魂があるんですもの」

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