あいをん
手紙をまとめています
40代後半 会社員 長女(弟あり) 10歳で膠原病の一種である若年性慢性関節リウマチを発症 のち、障害者認定(12歳頃?)体幹機能障害 (就職時に上肢障害へ変更←必要なかったのに) 35歳で乳がん発症、右乳房全摘 36歳、乳がん検査の過程で発見された、肺の影(点)を念のため腹腔鏡手術にて切除したところ、悪性であったことが判明。乳がんの転移ではなく肺原発のもの、とのことで肺がんが追加 現在、がん発症から10年以上経過し、がんの治療および定期検診(乳腺外科・呼吸器外科)終了 膠
silentハマってます 私の手じゃ、手話はできない 「愛していると言ってくれ」(ど真ん中世代です)の時からわかってた 「プリン」できないナ でもね、「待ってる」はできるよ ずっと待ってる
弟と向き合う余裕がない 大学を卒業しても「就職しない」と言った弟。 バイトをして過ごしていました。 私には理解できませんでした。 大学まで行かせてもらって、就職しない選択肢があるなんて。 親にぶら下がったまま生きるなんて、考えたこともなかった。 親を無視し続けているにも関わらず、自立せず、それが甘えであることも自覚していない弟。 私は、社会人2年目だか何だかで、仕事をこなすだけで精一杯。 持病のリウマチで、起き上がるのも、服を着替えるのもツライ日も何とか出勤し、社会人を
弟がいます。 私が障害者なので、「きょうだい児」です。 私の障害や病気のせいなのでしょうか? 長男だからでしょうか? 母は弟へ過剰な期待をかけ続けました。 それでも母を求める?中学生になった弟は、母の過剰な期待や、干渉や、満たされない気持ち(病気の私に両親の関心がいきがちで、自分をもっと見て欲しいのに見てもらえない)や、父への反発などが重なって 無気力になり、家族の誰とも話をしなくなりました。 勉強も運動もあきらめたようでした。 爆音で音楽をかけ、家族を拒否する態度。
弟がいます。 私が障害者なので、「きょうだい児」です。 そして “虐待されて育った” と思っているようです。 私は小学生の頃に膠原病を発症して、障害者になりました。 勉強も運動も1番弟は、母から「お姉ちゃんは病気だから身体が悪いけれど、勉強を頑張っている。あなたは健康なんだから、勉強も運動も1番になりなさい」と言われていました。 小学生の頃まで、弟はその期待に応えようとしていたようです。 マラソン大会で1位になり、部活でいいポジションを取り。 母は満足しません。
今回は、とても不快になる内容があると思います。 特に親のことについてトラウマがある方は、読まないでください。 10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。 35年以上も前、今のように情報もなく、薬もなく、治療法も確立されていない病気を患った子どもを抱えて、どんなに大変だったろうと、あの頃の親と同じくらいの歳になって、より実感しています。 母(専業主婦)は毎週のように私を病院に連れて行き、父(会社員)は何かあると仕事を休んで私に付き添いました。 あの頃は、"子どもの事で父親が
子どもは大人が思っているよりも ちゃんと大人のことが見えていて 大人が思うよりずっと、いろんなことがわかっていて 気持ちを察しています その小さな胸をぱんぱんにして 身近な人のことを思いやっている そして、純粋がゆえに傷ついている どうして自分が病気になってしまったのか 自分を責めている “みんなと違う” “普通じゃない” と 病気と日常の事、小さな胸に抱えきれなくなる時もあります だから助けてあげてください どんどん押し寄せる痛みやツラさで 思いどおりにならないと
これから仕事が忙しくなることが分かっていて。 だからこそ、いっぱいいっぱいになってはダメだと思っていて。 なので、有給を取ることにしました。 11月2日に休むと2連休! 週の半ばに2連休。なんて素敵。 いつもならば家でダラダラすることが一番、と思うのですが 仕事を優先せず、自分のために時間をつくることができたのならば、もう一歩、何か変われたらと。 ぼーーーーっとするにも、部屋のベッドじゃ解放されない。 ぼーーーーっとするなら、外のほうがきっと気持ちいい。 引きこもりの
10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。 35才で膠原病が寛解しました。 それは 乳がんの抗がん剤治療をしたからです。 なので、リウマチの方へ『こうしたらリウマチが治った』という参考にはならず、 また、乳がんの方には何の関係もない話で、すみません。 リウマチの治療で「リウマトレックス(メトトレキサート)」を使っている方がいらっしゃると思います。 リウマトレックス(メトトレキサート)は、かなり効果が期待できる薬で、早期に使用すれば関節の破壊も防ぐことができるそう。今はリ
文章(考え)をまとめるのはとても難しいけれど、楽しい。 書きたいことが止まらなくて、でもカタチにならなくて、どれもが断片の下書きが溜まりまくり。 スラスラ最後まで書けたものが、一番自分の気持ちをまとめられたな、と感じている。 何度も書き直して、下書きに保存したあげく公開したものは、いつまでもしっくりこなかったりする。 反応が気になる。 アクセスが少なくて落ち込む。 始めて1週間くらいは、ビューやスキが気になり過ぎて、仕事の合間にチェックを繰り返していました。 …まだ毎日
ずっと思うように動けなくて いつ苦しいのがなくなるんだろうって もう泣くことさえ疲れちゃうよね そんなとき、フーって 息をいっぱい吐いて それから、たくさん吸ってみることできるかな? 息をはく時に、体のチカラを抜いてみよう 苦しくて息がハアハアしていたり 痛くて体にチカラが入ってしまうと 呼吸がちゃんとできていないよ いっぱい息を吐くと、いっぱい息が吸えて ラクになることがあるんだ ゆっくり呼吸をしてみて ゆっくりゆっくりね 呼吸だけを考えてみて 少しラクになっ
歌は大好きだけれど、心が揺れることが怖くて 長い間、自分から積極的に聴くことをしていません。 そんな私が最近、出会ってしまった曲が 藤井風さんの『帰ろう』です。 久しぶりに、歌を聴いて泣いた。 そこで、同じように涙した曲を挙げてみました。 鎮魂歌のような、だけど希望の歌のような3曲だと思います。 #スキな3曲を熱く語る の企画が気になっていたのでまとめてみましたが、語れません。 ① 藤井風 / 帰ろう ② Salyu / VALON-1 ③ 鬼束ちひろ / 流星群
ずっと病気と一緒だね やりたいことができないかもしれない みんなと一緒じゃないとか、ひとりで置いていかれるような気持ちになったりして 悲しく思うかもしれない キミは、みんなよりちょっと大きめの荷物を持っているイメージかな だからみんなより遅れたり、ゆっくりだったりは仕方がないんだよね マラソンしたら、みんなそれぞれスピードが違うように ひとりひとりのペースがあるんだ ゆっくり走っていたら、早くビュンって駆け抜けちゃう子より、風景がよく見えるかもしれないし 途中で寄り道
10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。 小学生の頃からよく大人に言われました。 「病気に負けてなくて、明るいからイイね」 言われる度に “違う‼︎ 毎日泣いてるのに” と思っていました。 “やっぱり病気で暗いなんて、救いようがないんだな……” と、必死で元気を装いました。 自分が迷惑をかけるだけの存在であるとも思っていたから。 家ではもうグッタリだったし 負けまくりなんだけどなー、と悲しかった。 だから “本当の自分は違う” と いつもウソをついているような気
10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。 「20歳には寝たきりになるかも」と 両親は医師から言われたそうです。 全身の関節が炎症し、破壊されます。 変形がおこり、固まって動かせなくなります。 ゆえに「寝たきり」 原因は不明です。 診断が出るまでにも時間がかかりました。 いくつもの病院を巡りました。 ランドセルを背負って、大学病院に通っていました。 自分の免疫が正常な細胞を攻撃しないように、強い免疫抑制剤の注射を打つなどの治療がされましたが、関節が壊れてゆくのを止めら
10歳から膠原病の持病アリ、 30代でがんにもなって、早くからいろんなエラーが出がちな身体の私。 ワクチンは打ちたくないと思っていました。 だけどマスク・手洗いくらいしか気をつけようがなくて、仕事は出社のみ。(自動車通勤なのが救いです) で、受診のついでに、各科の先生に聞いてみた。 「私はワクチンを打っても大丈夫ですか?」 これにはみんな「大丈夫」(そうでしょうね、そう言うしかないよね) 「できればワクチンを打ちたくないのですが、打つべきですか?」 呼吸器外科→「み