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弟のこと(3)(きょうだい児と家庭不和と)*20


弟と向き合う余裕がない

大学を卒業しても「就職しない」と言った弟。
バイトをして過ごしていました。

私には理解できませんでした。
大学まで行かせてもらって、就職しない選択肢があるなんて。
親にぶら下がったまま生きるなんて、考えたこともなかった。
親を無視し続けているにも関わらず、自立せず、それが甘えであることも自覚していない弟。

私は、社会人2年目だか何だかで、仕事をこなすだけで精一杯。
持病のリウマチで、起き上がるのも、服を着替えるのもツライ日も何とか出勤し、社会人をこなそうと苦しんで。

持病と仕事のバランスは、なかなか取れませんでした。

仕事で疲れきり、倒れて動けない週末も、一週間分の食材を父と買い出しに行かなければならず、よく険悪になりました。
「動けない」と言うと「オレ一人にやらせるのか!」と不機嫌になるので。
まだ男性が家事に積極的ではなかった20年以上前、父は買い物カゴを一人でさげて、食材を買うことに抵抗があったようです。
申し訳ないと思っていました。
私は食事を作るくらいしかできず、ほぼ家事は父が担っていましたから。

でも、リウマチで障害者の私以上に、なーーんにもやってないヤツがいる!
子どもの頃から家族に無関心で、好き勝手やってるヤツが!
掃除も洗濯も食事も、家族にしてもらっている事は享受するのに、自分に関わるなという態度をしているヤツが!
そして、働いて自立することすら拒否ったヤツが!

でも、日々を何とか回していくことに精一杯で、弟と向き合う余裕がなかった父と私は、弟と丁寧に関わることはできず、変えることもできませんでした。

逃げなのか、チャレンジなのか

そして突然、弟は、オーストラリアへワーキングホリデーに行くと言い出すのです。
突然、は私だけなのかな。
父の「就職しないのなら、外国にでも行ってみたらどうか」という一言がきっかけになったらしく。
父と弟の間でどんな話がされたのかは、分かりません。

私は、英語も全く話せないのにナニ考えてる⁈
と、呆れるばかりでした。

父は、弟の状況を変えたかったのだと思います。
そして、弟は逃げたかったのか、チャレンジしたかったのか、どうなのでしょう?

さらに、状況は変わります。

帰ってこなくなった父

弟がフリーターで過ごして1年くらい経った頃でしょうか、父が家に帰ってこなくなりました。
私はもう、その頃の記憶が曖昧です。
思い出したくないからかもしれません。

父と私は、仕事が終わるとポケベルで帰宅予定をやり取りし、先に帰った方が夕食を作っていました。
…やっぱりあまり覚えていないな。
弟とは一緒に夕食を取っていた?
私は父と一緒に夕食を取っていた?
どうやって日々を暮らしていた?

そのうち、父が「職場の人と食事に行く」と言うことが増え、何か“付き合っている”的な人の話を聞かされるようになった、と記憶しています。
私は、“父は私たちの犠牲になってきたのだから、もっと好きにしてくれていい”と思っていたから「そうなんだね」と、話を聞いていた。

そうしているうち、父が家に帰ってこなくなりました。
ちゃんとした話もなく。

父にも捨てられた

“父はもっと好きに生きていい”と思っていた私ですが、父が帰ってこなくなって、フラフラしている弟と二人きりにされて
「ああ、父にも捨てられた」と思いました。
「え?この弟と、どうやって暮らしていけと?」と絶望した記憶しかありません。

20代も半ばを過ぎていて仕事もしていた私は、別に自分だけで生きてゆくことに問題はなかったけれども、突然手を放されて転んだような感覚で、倒れたまま、どうしたらいいか分かりませんでした。
父に頼りきりだった生活は、どう維持していいのか分からず、ただただ不安で、押し潰されそうで、弟のことも私が背負っていくのかと思って。

何日かして、帰ってきた父に言われました。
「この家で、一緒に暮らしたい人がいる」と。


私は受け入れられなかった。
父の幸せは願っているけれど、自分の病気にも人間関係にもいっぱいいっぱいの私は、知らない人を受け入れる余裕はなかった。
家を出て一人暮らしをすることにしました。

弟は「別にいいよ」とのことでしたが、ちょうどワーキングホリデーが決まって、程なくオーストラリアへ旅立ちました。


私父弟は、距離的にも3人バラバラになりました。


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