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病気に負けてなくて、明るいからイイね *9



10歳で膠原病(リウマチ)を発症した私。

小学生の頃からよく大人に言われました。
「病気に負けてなくて、明るいからイイね」

言われる度に
“違う‼︎  毎日泣いてるのに”
と思っていました。

“やっぱり病気で暗いなんて、救いようがないんだな……” と、必死で元気を装いました。
自分が迷惑をかけるだけの存在であるとも思っていたから。

家ではもうグッタリだったし
負けまくりなんだけどなー、と悲しかった。

だから “本当の自分は違う”  と
いつもウソをついているような気持ちでした。

笑いながら、
“誰か私のことを分かって!”
“誰か私のことを助けて!”
と、ずっとずっと思っていました。



闘病記で、よく出てくるのが
「家族の支えがあったので、がんばれました」
というやつ。

私はというと、両親……家族…
残念ながら家庭環境が落ち着かず、悩みの一つでもあって。
だから「誰か」と思い続けていて。

家庭環境については、まだどう整理すればいいのか分からないので、ウマく伝えられませんが

端的に言うと
父子家庭で、父はバツ2

コレでは
父親が悪かったのか、母親が悪かったのか
分かりにくいですよね。

母親が今で言う「毒母」なのでしょうか。
ゆえに父子家庭となります。
諍いと冷戦状態が、私が高校を卒業する頃まで続きました。

父のバツ2は、説明しきれないので
とにかく “心乱される家庭であった” とだけ言っておきます。

親の離婚が今ほどない時代に、さらに父子家庭。

それに至るまでと、父子家庭になってからも、
病気以上に、親のことで苦しんでいました。


小中学校時代はもちろん、高校•大学時代も
親のことは誰にも言えなくて、

病気のことも友達にちょっと話すだけで
“あぁ、ただ暗い話をして負担をかけてしまった”
と後悔しかなくて

家以外での私はいつも
病気だけれど、元気で明るい私 でいるしかありませんでした。



「病気に負けてなくて、明るいからイイね」

という言葉は
“私のことを理解してもらえてない” と悲しくなるばかりではなく

“明るくなければいけない” という呪縛の言葉でもありました。

言われると、“大丈夫。バレていない。取り繕えている”  と安心できて
さらに気持ちと正反対の自分を装い続け


そうして、救われない気持ちが、どんどん積み重なっていきました。



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