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あの頃、すべてに必死だったね・・・4

こんにちは。精神障害ピアサポート専門員愛音です。
私が精神を病んでいった過去に起きた事実を伝える「あの頃、すべてに必死だったね・・・」4回目になります。


・児童相談所での面談

面談をしてくれた女性職員Aさん。私は頼ろう、いっぱい心の中を伝えよう、と必死でした。けれどAさんの周りにある空気、目の色、表情、声、から「心配しているよ。いくらでも話してね。一緒に考えていきましょう」それを感じ取ることが出来ませんでした

14歳の子供の感覚なんて頼りないかもしれないけど、面談を受けている本人が「頼れない」と感じたら「頼れません」1時間くらいの面談でしたがいつしかAさんの顔を見るのすらプレッシャーやストレスになりました。

Aさんは「仕事だから愛音さんの話を聞く」いう姿にしか見えませんでした。


・温かい保健の先生

児童相談所と保健室登校、その両方をバランスよくは出来ませんでした。それでも面談後に顔が浮かぶのは保健のB先生。自分がこうなるまで保健室には無縁でしたが、当時は大切な居場所になっていました。だから疲れていない時には頑張って大嫌いな同級生と同じ制服を着て保健室まで通いました。

「ハーブティーは嫌い?落ち着くよ」
保健室ではB先生とこっそりハーブティーを飲んでお茶会をしていました。お茶会をしながら児童相談所で感じる違和感だったり、いつ元気になれるのかなど話し合いました。
ハーブティーは温かくて、B先生はもっともっと温かくて、心が落ち着きました。B先生は時々体のマッサージまでしてくれたんです。体が硬いとリラックスできないから、と言いながら足や肩をほぐしてくれる手を今でも覚えています。

学校が大嫌い、教師が大嫌い、同級生が大嫌い、
それでも保健室は別の空間でした。そう広くない部屋に並ぶ2つのベッド。テーブルにはハーブティーの入ったカップが2つと家から持ってきた文庫本。
あのうるさくて、ひっくり返したおもちゃ箱だった教室とはまったく違う、学校なのに学校じゃない。
居場所は心が決めていいんです。大好きな人と、リラックスできるとか心が柔らかくなる場所を「居場所」と呼ぶんだと思います。
間違いなく14歳だった私の居場所はあの保健室とB先生。


・一生許さない、許すわけにはいかない

Yちゃんが連絡をくれました。「明日席替えがあるの、愛さんちょっとだけ着てみない?」しばらく考えて「席替えだけ行ってみる」
1月に保健室登校になり、2月は児童相談所に定期的に通い、3月席替えをきっかけに久しぶりに教室に入りました。
心は緊張していて、クラスメイトがどんな顔をしていたかはあまり覚えていません。YちゃんとMの側にいただけ。席替えはくじ引きではなくて、話し合いで好きな場所を選ぶ、だった気がします。

席替えがすみ帰ろうと思った時に担任に呼び止められました。プリントを渡したいから一緒に保健室まで行きましょう、と。この日B先生は不在で、担任と向き合って椅子に座りました。
「久しぶりに教室にきて疲れたでしょ?お疲れ様です」
ニコニコ顔で、嬉しそうに頭を下げる担任。

頭なのか、心なのか、大きく感情がキレる音がする。
沸々と感情が言葉になって爆発。

「なんか、がっかりした。なんにも変わってないし
1月から今までどんなことしてくれたの?学年変えようと思ってくれた?
先生たちの叱る声聞きに学校に着ているわけじゃないよね?
私の中にいる『いい子ちゃん』は先生やみんなを許そうとしているけど
私はそんな気ないから。ここまでぐちゃぐちゃにされて許せないよ
卒業しても、その後も、『許す』『許される』なんて思わないで
私は一生許さない、許すわけにはいかない

担任は静かに泣いていました。私は言いたい放題まき散らし、プリントを鞄に詰め込んでさっさと保健室から出ていきました。

一生許さない、許すわけにはいかない。あんな言葉を人に対して言ったのは初めてでした。


・自傷行為と家族の理解

最初の自傷はシャープペンでみみずばれを作るものでしたが、ある日とうとうカッターを購入。もうみみずばれでは気持ちが落ち着かない。
夜、隣の部屋で寝る父と母が「お休み。なにかあったら呼んでいいよ」優しく部屋の仕切りである襖を閉めました。

しばらくボーっとして引き出しからカッターを取り出して腕を軽く切りました。

その時視線を感じて振り向くと母が立っていました。
(見られた!見られた見られた!!!)

固まっている間に襖が開きました。開けたのは父です。「お母さん、愛音がまだ眠れないみたい」
・・・え?お母さん、さっきそこにいた・・・じゃあ幻覚?
襖の向こうから母が来てくれて私のことを抱きしめて背中をポンポン叩いてくれました。
「あーちゃんどうしたの?眠れない?悩んでいるの?苦しい?」

夜中だから声を必死に抑えて母の寝間着をぎゅっと握りながら泣きました。

あのね、今ね、カッター使ったの、使わない約束だったけど、ダメだったの、使ったの、ごめんなさい・・・!!

どれだけこれから怒られるのか、もういらない、うちの子じゃない、好きにすればいい、
きっといっぱいいっぱい言われる!!

でも、母は更に私を抱きしめました。
「やっていいよとは言えないけど、切ったらちゃんと消毒する約束は守ろう。痛いのは腕じゃないのはお母さん知ってるよ、あーちゃんの一番痛いのは心だよ。心が痛くてしちゃたんだ。辛いし苦しいよね

自傷をしてそれを認めてくれる親は珍しいことかもしれない。
ただ私の家族は保健室登校も、自傷行為も、「生きる手段」と分かってくれ認めてくれました。
「それしか方法が今はないのならそれでいい。でもいつか必ず止められるよ。
ただ、「やめよう、やめよう!」と強く思うと逆に自傷行為に憑りつかれるから時期をまとう」
これが家族からのアドバイスでした。

いつか必ず止められる
止めることは出来ました、ただ簡単ではなく14歳で始まった自傷は少なくとも10年続きました。
心が落ち着き、生きる目標が見えたとき、ようやくカッターを離すことが出来たのです。

*愛音*

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