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人生に脚本はない、すべてに意味が続くものだ

こんにちは、愛音です

最近少し考えることがあります
それは自分らしく生きるとはなにか?です
35年の人生を振り返り、いつ自分らしく生きてたのか。どういう時にらしさが光るのか。

不登校になった後は半引きこもり、昼夜逆転生活、自傷の日々、苦しくなれば泣くし叫ぶ。その中で見つけた観劇という趣味だけが外に出るときの喜びでしたが、これが自分らしくかは判断できない。

29歳でB型を利用して毎日本格的にパンを作りました。これは面白くて、やりがいのある仕事。最初は生地を丸めるのも、伸ばすのもできない。包む作業では「これ無理です~!」一体何回先生へ向けて言ったかな。
でも必死に周りの上手い人の手元を見たり、先生からコツを教わったりしてしばらくすると出来る作業が増えていきます。
そして1年ほど経つと先生から合格点をもらえるようになり、仕事が楽しかった。のびのびと外の世界で働きました。

34歳でピアスタッフとして就職。
仕事には責任を持つ。同じ心を持つ利用者さんは1人としていない。たとえ障害名が同じでも感じ方受け止め方はそれぞれです。だから紙の記録を読み内容を暗記するのではなく、実際にふれあいそこから見えるものが大切。
この作業は好きでした。一人ひとり違う個性があり、特性がある。これは得意だけどこれは苦手。その苦手は障害が関係しているのか、それとも自己肯定感が関わることか。いつも無表情だけどこの話題を振ると少し笑ってくれる。逆にいつもテンションが高いけどこの話とは相性が悪いから冗談でも振ってしまうと機嫌が一気に悪くなる。
利用者さんのことを知ると今までの記録には書かれていなかったことが知れました。心と心で向き合うから見えたことだと思いたい。
ピアスタッフとして一生懸命でした。

しかし、振り返り思うこと
ピアスタッフは確かに一生懸命力と心を入れて仕事をしていました。でも自分らしいのかな?と靄がかかってしまう。
ピアサポーターは目指したくて、やりたくて、やっと手にした職でした。でも振り返るとピアスタッフの私よりも一生懸命だった私がいたんです。

それが半引きこもり時代です

皆さん引きこもりと聞くとどんなことを連想しますか。
暗い、人生から距離を置いている、次の一歩を踏み出さない、現状に甘えている、可哀そうな病気、前を向いてチャンスをつかんでほしい、とかでしょうか。
これらの意見も一理ありだと私は思います。
なぜなら私は暗かった。部屋も心も性格も思考も暗かったです。人生と距離をめちゃくちゃとってました。次の一歩なんて踏み出すの嫌でした。一生引きこもって家族に甘えるだけ甘えちゃえと思いました。心が病まなかったらこうならなかったよねと自分を慰める。チャンスがこの世にあるのなら、私でも掴めるチャンスがあるのなら、一度くらいならそれを見てみてもいい。

こんな気持ちを心に住まわせても私は決して死にませんでした。2階からの自殺未遂は起こしたけど生きています。
なぜ私は生きているのでしょう。
死ぬのは一番の親不孝だから?自殺していいわけがないから?

いいえ、おそらく違います。私は挑戦がしたいんです。
過去に自傷を当たり前にしていた
自分の心をぐちゃぐちゃにした
生きる希望は片っ端から潰していった
明日なんてこなくていいと心から願った

そう、人生すべて諦め信じない人でした。
どうすればもう一度人生這い上がり、楽しいと笑顔になるか、
希望を見つけたらそれを育てることは可能か、
どん底にいた私がどこまで人生ひっくり返せるのか、
挑戦したくてたまらないのです。

人ってこんなに強いじゃん!こんなことが出来るようになれるよ!
つまらないと思ったことでも取り組むと夢中になっちゃう!

こういったことを人生と命と行動力を使って挑戦したい。

私らしさが生きるのはきっと、絶対、ここからです。

私らしさとは、
過去の自分へ謝罪する代わりとして
未来の自分へキラリと光る可能性を渡すために奮闘すること。
私らしさとは、
まずは自分を幸せにして、そこから幸せを広げたくなる希望を持つこと
私らしさとは、
失敗して情けない姿をさらしても、
そこから本気になり立ち上がり続けること。

自分の心に嘘ついて生きて、やりたいことが見えなくなる人生になるくらいなら、このまま馬鹿正直な自分で生き抜いていく

だってその私はとても愛おしく、自分らしさに自信を持っているから

*愛音*

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