「女の子は親の世話をするべき」という呪縛を解いてくれたのは、親世代である居酒屋の大将だった
「将来親が歳をとったら、女性である私が世話をしなくてはいけない」「そのために、学校を卒業したら地元で就職をしないといけない」
そんなふうに考える女性は、令和のいまでも少なからずいると思います。
かくいう私も、20歳頃まではそう思っていました。
生み育ててくれた親なので、兄弟の誰かが近くで見ていないといけない。お父さんは、知らないひとではなく身内である私に世話をしてほしいと言っている。兄弟で女の子はひとりなので、私が世話をしないといけないんだ。
そうやって、じぶんに呪縛をかけていました。
◆大将についても触れている、いまの私に至るまでを説明した記事はこちらです。ご興味あればご覧ください☺︎
大学に通う、呪縛が強まる
そんな私の呪縛は、大学に通うにつれて強まりました。
周りの友人が卒業後を見据えて資格や公務員試験の勉強をしているのを見ると、じぶんの将来を考えざるを得ない。親が公務員信者なので、興味は持てないけど公務員の勉強を始めるべきかも迷っていました。
大学を卒業したら地元に戻り安定した職に着くということは、もはや私の中で決定事項でした。
呪縛を解いてくれたのは、親世代であるアルバイト先の大将
そんな時に、大将と将来について話す機会がありました。
私がアルバイトをしていたのは小さな居酒屋だったので、他のアルバイトの方とシフトがかぶることはなく、いつも大将とふたり。お客さんがいない時の大将との何気ない会話で、私はたくさんの大事なことを教えてもらいました。
そのうちのひとつが「じぶんの人生を生きる」ということ。
「aimiは、大学を卒業したら何をするんだ」と何気なく聞かれた時、私は「地元に戻って親の近くに住みます」「将来世話をしてほしいと言われているし、長子で責任を感じているのでそうします」といったことを答えました。
いつも寡黙で多くのことを話さない大将。その大将がボソッと放った言葉で、私の未来が変わりました。
「そうか。でもそれって、おかしくないか。」「親には親の人生があるように、お前もじぶんの人生を生きていいんじゃないか。」
そんなことを、言ってくれました。
20歳だった私は、そのうちの18年を地元である田舎の町で過ごす中で、将来親の世話をすることは当たり前なのだと思っていました。だから、「じぶんの人生を生きていい」と言われるまで、この選択が誰かの人生に乗っかっているものだという自覚もありませんでした。
そんな私がアラサーになった今
大将がそんな話をしてくれてから早10年。私は今年30歳になります。
呪縛に気づいても、解けるかどうかは本人と周り次第。私はいまも、呪縛と戦う日々です。
でも、じぶんでも気づいていなかった呪縛に気づき、1つずつ手放すこと。これを繰り返しているうちにアラサーになっても夢はできたし、働き方や住む場所を主体的に変えようとしています。
じぶんの”好き”なもので人生を埋めていくことはとても楽しい。女の子の幸せは、早く結婚をして子どもを産み、親の近くに住んで親に喜んでもらうこと”だけ”ではない。
10年前に大事なことを教えてもらったので、10年後のいまがこうなっている。次の10年の変化も楽しみです。
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️