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日本語を混ぜたくらいのドイツ語がちょうどいいのかもしれない

ドイツ語と日本語を勉強する人が集まる場があると聞いて、学校終わりに参加をしてきた。夕食を食べながら約3時間、予想よりも長く滞在した。

程よくゆるくて、自然とどちらの言語も話し、楽しい時間を過ごした。たどたどしくても、私はちゃんとドイツ語を話せた。

こういう場での縁は嫌いじゃない。……と思えるのは、私がコミュニケーションへの苦手意識を克服したからなのだろう。


まだ3か月しか住んでいないのに、ドイツ語がしゃべれないことに焦る私がいる最近。

今日思ったのは、ドイツ語だけの会話は私にはまだまだ早くて、日本語を混ぜたくらいの会話がちょうど良さそうだということ。

それくらい、妥協してもいいのかもしれない。


ドイツ語はわかるようでわからない


3か月勉強して、ドイツ語でわかることが増えた。私が話せることも増えた。でも、全然流暢じゃない。それが悔しい。

だけど、ドイツ語と比べたら簡単だと思った韓国語も、3か月の時には話せなかった。半年経ってもたどたどしかった。

だから、ドイツに来て3か月目の私がまだ話せないのは当たり前なのだ。そう分かってはいるけど、どうも焦ってしまう。


ドイツ語は、わかるようでわからない。わかる言葉は増えたけれど、少し難しい単語が入ってきたら理解できない。

もどかしさを感じている。聞き取れないのではなく、単語がわからない。ということは、ひたすら覚えるしかないんだよな。やべきことは明確なのだ。


日本語を混ぜたくらいのドイツ語


ドイツ語を学ぶ日本人と、日本語を学ぶドイツに住む人が集まった今日。コミュニケーションは、とっても楽だった。

わからない言い回しは日本語に頼れる。難しくても一旦挑戦できる。お互いにお互いの言語を学んでいるからこそ、ゆっくり聞けるし挑戦もできる。

それで、ドイツ語のみでの会話は、いい意味で私には贅沢だったのかもしれないと思った。日本語があると、格段に話がわかるし伝わる。

早くドイツ語を話せるようになりたいけど、もう少し何かに頼ってもいいのかもしれない。今日の会話でそう思った。

ちゃんと勉強はしながらも、高望みをして焦らない。このバランスが必要そうだ。


日本語を混ぜたドイツ語で話せるこの場は、ドイツ語を学び途中の私にはとてもありがたい場だった。

しばらくは通ってみようと思う。今日も素敵な縁に出会えて嬉しい。

7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️