日本に早く帰ってこいと言われなくなった
ドイツに来てもう7か月、ついに本格的に次のビザの準備を始めた。ドイツに住むことは決して簡単ではないけれど、私はドイツに居続けたい。
ドイツに来る前、私はうまく準備をしたと思う。何の準備かといえば、両親に止められない準備。少なくとも10年以上は、ドイツに来ると言い続けた。
家族と通話をしながら、3年のビザを申請すると話した今日。もう何とも否定をしなくなった父がいて、私は何だか嬉しかった。
私の家族
いま私はベルリンにいるけれど、実家は高知という田舎にある。
田舎出身の方には想像いただけると思う、田舎に生まれると外に出ることがどれほど大変なことか。
まず私は高知市内に出ることを試みて、中学でそれに成功した。大学では県外に出れない危機に瀕しながら、なんとか京都まで出た。
大学で甲状腺の病気を発症した私は、自信をなくして高知に帰って就職した。が、ラッキーなことに異動で東京まで出ることができた。
私の家族は、弟たちを除けば、両親も祖父母もずっと地元に住む人たち。長子で女の子だった高校生の私が県外に出ることは容易ではなかった。
それでも私は、結果的にベルリンまで来れた。小学生の頃からずっと憧れ続けた場所、20年ものあいだ興味を抱き続けた場所に住んでいる。
まだまだ生活は楽ではないけれど、ここまで来た私のことはいつだって褒めたい。よく夢をあきらめなかったねと。
早く帰ってこいと言われなくなった
社会人になってすぐの頃、契約社員として社会人になった私に納得のいかない父は、ことあるごとに地元企業の求人を勧めてきた。
私にとっては契約社員はドイツに行くための最善の方法だったし、何より私の選択を否定する父に心底腹が立った。
だけど今となっては、お互いに若かったなぁなんて思う。父とはやっと普通に話せるようになった。これは私が出国前に終えた宿題の1つ。
それで、ドイツに住むことだってやっぱり賛成ではなかった父が、私がここで働いて暮らし続けることを受け入れてきている。それが嬉しい。
「もうドイツに行くのはわかったから、せめて早く行って帰ってこい」と、出国前に父は言った。
実際に来てみて、3年のビザを取るよと言ってみたら、「ふうん」という反応になった。
私はほんとうに、粘り勝ったと思う。ドイツに行くとずっと言い続けた。
子はやっぱり、いつまで経っても親に認めてほしいものだと思う。その認めてもらうという体験を、私はいま遠くからやり直している。
「早く帰ってこい」なんて言わなくなった父。私のことを認めてくれているようで嬉しい。いつまでも私の生き方を否定されるのは悲しいし。
遠く離れて暮らしながら、でも昔よりも家族らしくなっている。私はこの暮らしが嫌いじゃない。たまには会いたいけれど、この距離感もいいものだ。
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7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️