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女性も1人ずつの人間だと知っていますか

ここ数年のうちに政治への関心が増してから、どうも正直向き合うことが辛い。当事者として、真正面から受けとめるからなのだろうと思う。

ここであきらめていては何も変わらないので、行動を続けるしかない。そうはわかっていても、どうも辛いことがある。

今回の統一地方選とか、私自身がこの週末に体験したこととか。この世界での生きづらさを、またいっそう突きつけられる。

女性も1人ずつに意思があって、それに従って生きていることを知っていますか。女性は二番手以降にいるもの、庇護されるものと思っていませんか。

私の近からず遠からないところにいる人たちに問いたい。女性も1人ずつの人間だと知っていますか。


「女性なのにすごい」って、褒め言葉ですか


海外に住んでフリーランスで働く。そんな私は、人と違うことをやっている、どこかすごい人のように見えるのだろうと思う。

それがすごいかどうかなんて、正直なところ私はどうでもいい。私はただただ、日本に住みたくなくて逃げてきたのだ。逃げた結果がこれだった。


すごいと言ってもらえるのは、そりゃ嬉しいか悲しいかと言われれば嬉しいに近いけれど、この「すごい」を純粋に受けとれないことがある。

その1つが、「女性なのにすごい」ということ。

「私はよくやった / やっている」と、私はいつでも自分に言う。だって、実際よくやっているし、頑張っているから。

でも「女性なのにすごいですね」は、正直素直に受けとれない。特に男性から言われた時には、もうその場を去りたくなる。

「女性なのにすごい」って、褒め言葉ですか。女性の私はこの言葉を、刃のように受けとっています。


女性も1人ずつの人間だと知っていますか


私たち女性にも意思があって、それを叶えて生きる権利がある。私も自らの願いを叶えたくて生きている。

でも、私に見えている世界は、それをさせたくなさそうに見える。

女性はプレイヤーではなくサポートであるもの、家を守るもの、子供を産み育てるもの、自らのキャリアはあきらめるか何倍もの無理をして作るもの。

女性が1人ずつの人間だと思って扱われているようには、私には見えない。むしろ子どもがいてこそ価値があるかのように受けとれてすごく悲しい。


「女性なのにすごいですね」は、「男性なのにすごいですね」と言わないからそう表現をするもの。

逆に「男性なのにすごいですね」という言葉も、「女性なのにすごいですね」とは言わない場面でのみそう言われる。

「女性 / 男性なのにすごい」って、やめませんか。対等な1人ずつの人間として、この社会で暮らしませんか。

ジェンダーロールを押しつける社会のほうが、お互いの役割を守らないことを許せなくさせて、もっと辛い生き方になると思うのです。

女性も1人ずつの人間だと認識しませんか。女性の私たちは、ただ普通にともに、日常的に傷つくことなく暮らしたいだけです。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️