コロナで自由が効かないからこそ、頭をからっぽにして夏だけを味わった
ほんとうなら、東京で過ごすことにしていたこの週末。
コロナの感染者が増えすぎてしまったから断念して、7月の楽しみが消えてしまったとガッカリしていたところ。
これ以上ないタイミングで友人が来てくれたので、夏にどっぷりと浸ってきた。
地元を誰かに案内する
コロナが起きてから2年と少し、誰かが地元に来るなんていうイベントは起きなかった。
むしろ私自身も遠慮して帰っていたわけで、誰かに来てもらうなんてもってのほかだった。
地元のおいしいごはんを、友人と食べることが好き。コロナ前はたくさんの友人に遊びに来てもらっていたけど、この数年はできなかった。
だから、地元に誰かが来るというのは、もう数年ぶりのこと。そのうえで、まさに私の地元を案内することはいつぶりだろうと思う。
大好きな場所を誰かに案内できることは、とっても嬉しい。
頭をからっぽにする
自然に触れることは、私を豊かにしてくれる。
美しい風景を眺めたり、実際に自然に触れたりするとき、繰り返しこんな言葉が浮かんでくる。
今日触れたのは、私の地元の青と緑の風景。そして、虫の声や水の音。
人の少ない田舎で、大きな自然とその音に包まれると、頭は自然とからっぽになる。
目の前の風景と音を、最優先で味わおうとするから。
私たちの夏
今日ここにあった、私たちの夏。
畑に生える草や大葉を眺めた。田んぼの横を歩いて、タニシを見つけた。暑い日差しに耐えられなくて、傘をさして歩いた。
ランチにはおいしいものを食べたし、移動する車の中ではいつもの私たちのように問いを交換するような話をした。
一番よかったのは、川で過ごした時間。夕方頃にやっと着いたのだけど、ちょうどよく影になっていて涼しく過ごせた。
私が兄弟やいとことよく遊びに行っていた頃、この川はもっと深かった。それが、弟によれば、数年前に上流が崩れたことで浅くなってしまったそう。
泳がなければ対岸まで行けなかった、気を抜けば下流まですーっと流されていた川は、対岸まで歩いて渡れるし、魚がスイスイと泳ぐ穏やかな川になっていた。
ここに、私たちの夏があった。裸足で川を歩きまわって、川の音を楽しんだり、自分の好きな石を探したりした。
何か考えごとをするのではなくて、ただその場にひたること。
その時は気づかなかったけど、帰宅をしてから、頭がからっぽになっていたことに気づいたのだった。
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