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なんでもない話

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日々のつぶやきとかちょっと誰かに聞いてほしい話とか、アラサーな私のなんでもない話
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#日記

今年の8月15日のこと

8月15日。今日は弟の誕生日であり、終戦の日。ちなみに私の誕生日は、12月8日で真珠湾攻撃の日。 今年の8月15日を、私はベルリンで過ごした。今日という日は私にとっては週初めの仕事の日、そして他の日から振り替えたドイツ語のレッスンの日。 なんの因果か、日本から来た私はベルリンに住んでいる。ベルリンというのは、第二次大戦のことが、今でも街のあちこちに刻まれている街。 私はこの街のそんなところが好きだ。 今日のこと 朝からバタバタとお仕事をして、午後にはドイツ語のレッス

誰を人生の登場人物にするか

私はかなりドライなのかもしれない。人間関係を整理したくなるたび、自分に対してそう思う。 プライベートの人間関係を、私はコロナの期間に大きく整理した。その3年前には、色恋の人間関係を整理した。 私は定期的に、まわりのひとを整理したくなるひとなのかもしれない。普通な誰かよりもドライなひとなのかもしれない。 でも、これが私なのでしかたない。日本を離れてドイツに住み始めたいまも、この性質は変わらないようだ。 私が一緒にいたいひと 私が一緒にいたいひとは、私が限りなく素の状態

父の子どもの頃の話を聞きたい

うちに家族には問題がある。長年そう思ってきたけれど、去年から家族の関係性が変わりつつある。 私も家族も、みんなが頑張った。考え方がバラバラだった家族が、家族といっても他人どうしである人たちが、程よく付き合える程度には1つになった。 だからこそ、いま興味のあることがある。父の子どもの頃の話を聞きたい。 自分から話すことのない父だけれど、そこにこそ私たち5人家族のルーツがある。父の生まれた家の話を聞きたい。 父という人は、なぜこんなにも自分のことを語らないのだろう。うちの

子どもの頃に好きだったことが見つからない

最近の私は、子どもの頃から好きだったこととはなんだろうと考えている。 というのも、そういうのを見つけて!と、信頼している占い師の方がくり返しおっしゃっているから。 私はスピリチュアルなものが好きで、占いをよく見る。私にとって占いとは天気予報のようなもので、事前に傾向がわかっていれば対策が取れる。 前職で経営者の方とお仕事をしていた時、経営者の相談相手は占い師に行き着くと聞いた。ふーんと思っていたけれど、いまはその気持ちがわかる。 何か言語化のされた問題を相談するという

日本にいる家族が倒れても、私はドイツで日常を過ごすのか

今朝早い時間に目が覚めて、なんとなく携帯を見た。一度携帯を見ると眠れなくなるから見ないようにしているけれど、今日はなんとなく見た。 SNSをひと通り見て、ふとLINEにたくさん通知があることに気づく。開いたら家族からのLINEで、病院にいるとのこと。 数日前にも同じ病院にいると連絡が来ていたから、最初はまた検査かなにかなのだと思った。でも途中で気づいた。これは検査ではない。 祖母が救急車で運ばれたという話だった。幸いにも大事ではなかったけれど、ついあれこれと考えてしまっ

どこまでいっても私の相棒は私

セルフパートナーシップという言葉を聞いたことがある。 私のパートナーは私。他にパートナーを持たないで、自分自身と関係性を育み、自分との暮らしを楽しむことと理解している。 独身で、恋人もおらず、数か月前からドイツに住み始めた私は、自分とパートナーシップを持つという状態に満足している。 自分がパートナーでも、やっぱりうまくいかない時もあるけれど、私はこの状態がとても好きだ。ベルリンで自分との生活を毎日楽しんでいる。 今日なぜこのテーマで書こうと思ったかといえば、最近私のな

1年後の私は愛を循環させて生きるアートの一部

どうやら私は、アート的に生きたい。「レールに乗る」とか「安泰を大事にする」のではなく、自らの願いにしたがって、アートのように生きたい。 誰かがそこに価値を見出すかどうかは大事ではない。ただ私が大事だと感じ、愛おしく思い、私の願いが一番に叶えられる生き方ならそれでいい。 実際はそんなことはなかなかできない。だからこう思っているくらいがちょうどいい。私はアートのように生きて、私の人生の目撃者とシェアしたい。 私はストレングスファインダーでは未来志向が優位なので、未来を描いて

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思いもよらない場所で友人に会うような、感覚的な体験を増やしたい

コロナ前、私は思いもよらない場所で知り合いに会うような、うまく言葉にできないけれど強い感覚的な体験をすることが多いタイプでした。 会社の旅行で歩いていたら、現地に住む友人とすれ違ったり、東京駅でラーメンに並んでいたら、偶然遊びに来ていた地元の友人と出くわしたり。 他にもいくつもこんな体験があって、強い何かを感じることがありました。 でも、コロナになってからは、そもそも出歩くことが減ってしまいました。 だからこの感覚を忘れていたのだけど、ちょうど昨日思い出しました。これ

韓国にしかいない私を見つけた

数日前から、韓国に来ています。 韓国は私にとってどんな国かといえば、つい半年前まで留学をした場所です。そして、会社員を抜け出して、必死にたどり着いた場所でもあります。 その韓国に、久しぶりにやってきました。訪れるお店の方と韓国語で話したりするうちに、ここにしかいない私を見つけています。 韓国語と私 韓国語は、いまでも勉強を続けています。 留学中は半年間語学学校に通いました。その後日本に戻ってからは、週1〜2回のオンラインレッスンを受けています。 過去にドイツに留学

金属アレルギーがつらい

私はゆるやかな金属アレルギーです。どうしようもないわけではないけど、ふとした時にちょろっと症状が出ます。ささやかな日常の困りごとです。 例えば、大好きなブランドのアクセサリー。金属アレルギー対応がされていないので、そのままつけると大変なことになります。 でも、ワセリンで肌を保護して、ポリッシュで金属をコーティングすれば、そこそこの時間はアクセサリーをつけていられます。 それくらいの、ゆるやかなアレルギーの話をします。 私のアレルギーは緩やかだけど、日常生活で支障が出る

お金を稼ぐ方法は、大変でなければいけないのか

最近私がよく出会う呪いがあります。お金をいただくものは、手間暇をかけたものでなければならないというものです。 「好き」や「得意」を仕事にすると決めて、1年半ほど挑戦をしてきました。結果私の仕事は、「ライフコーチングを提供する人」になりました。 話を聞くことが得意だし、目の前の方をどんどん知って応援していくことが好きです。 そんな私の特性を活かして、最近は新しいサービスを作っています。例えばこんなものです。 私にとって、これは好きで得意なことを集約したサービスなので、辛

私は推しがいるからこそ、私は推しに生かされない

私の人生は、1年半前に大きく方向を変えました。 うつな会社員だった私から、フリーランスの私へ。 東京に住む私から、韓国を経てドイツに住む私へ。 この変化は、推しに出会ったから起きたものです。 その推しが、新たなステージに移っていくことを発表しました。とっても寂しいけれど、いまの私は意外にも大丈夫です。 推しに出会い、自分を大事にすることを心から理解できた経験から、私は自分を大事にできない環境を手放しました。 大事なきっかけを、推しにもらいました。だから、推しをしば

自己責任論者は、まだ私の中にいる

政治と宗教の一件を、私はまだ許していない。というか、両者がこんな調子なので、私はこれからも怒り続けると思う。 7月の某日、私は鍼に行っていた。終わる頃を見計らって迎えに来た母の車で、あの事件を見聞きした。 この先しばらく国政選挙はないとされる、大事な参院選の途中。私は韓国から帰国したばかりで、投票権がなかったけれど、この選挙を注視していた。 と同時に、この時の私は何も知らなかったと言わざるを得ない。 政治の表層の表層だけを見ていて、その表層のなかで情報を得たつもりにな

男女って、互いに品定めし合うものだと思っていた

最近よく、昔見ていた風景や感情を思い出します。 そのうちの1つが、中学・高校の体育の時間、卓球場から男子のバスケを眺めた風景です。(私は中高一貫校に通いました) 校舎が建て替わる前、体育館棟は中3階のようなところに卓球場があり、2階の体育館全体を見渡せました。(1階は食堂や部室が並ぶ場所でした) 体育の授業は男女別で、1.5クラスずつに分かれます。 全員が卓球をできるわけではないから、順番を待つ間は、1つ下の階でバスケをする男子を眺めていました。この風景を思い出します