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男女って、互いに品定めし合うものだと思っていた

最近よく、昔見ていた風景や感情を思い出します。

そのうちの1つが、中学・高校の体育の時間、卓球場から男子のバスケを眺めた風景です。(私は中高一貫校に通いました)

校舎が建て替わる前、体育館棟は中3階のようなところに卓球場があり、2階の体育館全体を見渡せました。(1階は食堂や部室が並ぶ場所でした)

体育の授業は男女別で、1.5クラスずつに分かれます。

全員が卓球をできるわけではないから、順番を待つ間は、1つ下の階でバスケをする男子を眺めていました。この風景を思い出します。


誰を好きになろうか?な会話


当時の私は、大きな失恋をしてすぐでした。誰かいい人いないかなと、卓球の順番待ち中に友達と話していました。

その子はといえば、新しい恋愛を始めたところで、明るく相談にのってくれました。

「じゃあ、○○くんはどう?」「○○くんは?」

2階でバスケをする男の子たちを眺めながら、「好きになれそうな誰か」探しをしたのでした。


「誰かの好きな人」だといじられる教室


一方で、こんな経験もしました。中学1年生の頃、「○○がaimiのことを好きらしい」という噂で、クラスでいじられた経験です。

いじられたというか、中学生なんていじり方も知らないから、物が飛んできたりして嫌な思いをしました。

男の子も女の子も、「誰が誰を好き」とか、「気になっている」のような話題が好きだし、品定めをし合ってるんだなあと理解しました。

それに、この「品定め」には絶対に入らなくてはならなくて、選ばれないことは悲しいこととも理解をしました。

いまとなってはそんなことはないと言えるのだけど、当時の私には重大なことでした。


恋愛における「品定め」の文化


「恋愛における品定め」を、私はこんなふうに定義したいと思います。

  • 自分が好きになれそうな誰かを見定めること

  • 誰かが好きと言っている誰かを、その価値があるか検証すること

私にとって「恋愛の品定め」とは、ちょっと嫌な言葉です。


ここまで品定めの話を、学生の頃の思い出に重ねて書きました。でも、この文化って大人になってもあるよなと思います。

卓球場から体育館を見渡して「○○くんいいんじゃない?」と話したり、クラス写真を見て「○○さんがかわいい」とかいう露骨な話をしなくても。

「○○部署の○○さんがかっこいい/かわいい」なんていう話は、大人にも溢れているなって。

私はこの文化を、当たり前のように受け入れていました。大人になってもなお、この「品定め」には選ばれなければいけないとも思っていました。

誰にも認めてもらえないのは、自分に価値がないことのように思える。誰かにかわいいとか良いとか言ってもらいたくて、努力をしていました。


みなさんは、この文化を日常で感じますか?この文化を、どんなふうに受け取りますか?

私は学生時代や社会人になってからも、この文化を感じていました。でもいまは、もうこの文化圏には入りたくないと受け取っています。

理由は、誰にも品定めや評価をされるのではなく、自分らしく生きていたいから。

「卓球場からバスケを眺める」は、過去の淡い思い出の風景です。でも今は、必要のない文化だとも思います。


7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️