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『音楽室のなにか』/掌編小説

不思議なピアノだった。

音楽室のさらに奥の部屋にある、もう一台の白いピアノ。
校舎が建ったときにはなかったはずのこの部屋は、誰も知らぬうちにできていた。
この部屋のピアノの椅子に座ると、楽器を弾いたことのないものでもポロポロと指が動き、きれいな旋律を奏でる。
奏者の感情を汲み取ってそれを音へと変換してくれるようだった。
弾いている本人でもわからないほどの心の内の深い想いが旋律となる。
奥底に隠していたトラウマも傷も、激しく静かで荒々しい曲調となって鳴り響いた。
音楽室の方からピアノの音が聞こえてきても、誰が弾いているのか詮索しない。それがこの学校で唯一絶対のルールだった。

つまり音楽室の奥のその部屋には、同時に二人以上の人間が入ったことは一度もなかった。人間は。
その部屋には、なにかがいた。なにかは分からないがその部屋に入るとじっとりと、体のなかの内臓が重さを増したように苦しくなる。この部屋を訪れるものはみな感じることだった。
それでも心の内を洗い流してくれるピアノを求めて訪れるものは絶えず、この部屋が忘れ去られることはなかった。

あるとき、仲良しの少年と少女がやってきた。幼い頃からの付き合いで、お互いの悩みやうれしい出来事、将来の夢など、なんでも語り合う親友だった。

彼らはルールを破った。このルールは、他人には知られたくない心の内を隠すためにあると思った彼らは、二人の間にそんな遠慮はいらないと、日も暮れた放課後、示し合わせて一緒にこの部屋へ入ったのだった。

ルールは絶対だった。この部屋に、二人以上の人間は存在し得ない。長年にわたって引き継がれてきたこのルールは、もはや契約ともいえるほどの強いくびきとなっていた。
少女がピアノのイスに座って鍵盤に手を置いたとき、後ろに立っていた少年の体は散り散りにほどけ、小さく輝く粒子のつぶになってさらさらとピアノのなかに吸い込まれた。

「弾いてみるね」
少女が返事のない少年の不在に気づいたとき、少年であったなにかは、親友の悲しみをきれいな旋律にのせて歌った。


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