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「静かな働き方」を読んで、仕事とライフのGood Enoughな距離感について考える。

こんにちは、aicafeです。
40代、人生時計で14:00頃に差し掛かったところです。
これからの人生の午後の時間の過ごし方を模索中です。

シモーヌ・ストルゾフ著 大熊希美訳「静かな働き方 『ほどよい』仕事でじぶん時間を取り戻す」を読みました。

「静かな」というワードが時代のトレンドになっている

梅津 奏さんの、以下のウェブ記事を読んで、興味を持った本です。

「静かな」というワードが時代のトレンドになりつつあるという切り口での記事で、とても興味をそそられました。
というのも、わたしは「静かな退職(Quiet Quitting)」的な仕事の在り方を一つの理想に思い始めていたためです。

実際には退職せず会社に勤務してはいるものの、仕事へのやりがいは求めず、淡々と業務を遂行する働き方のことをそう呼びます。

「好きを仕事に」とか、パーパスのある仕事とか、起業や副業・プロボノとか……。仕事を単に、「給料を得るための労働」とみなすのではない価値観が社会に根付いてきたように感じます。しかしそれは、「自分自身」と仕事の境界が曖昧になり、毎日が仕事で埋め尽くされる「沼」のはじまり。そのことに気づき、そこから出ていこうとするのが、「静かな退職」なのではないでしょうか。

https://mi-mollet.com/articles/-/47253?layout=b

The Good Enough Job は、ウィニコットの理論に基づいていた

読み始めて、最初に「あ!」と驚いたのは、先日読んだばかりの「聞く技術 聞いてもらう技術」に出てきた、精神分析家で小児科医のウィニコットの話が出てきたからです。

ウィニコットの提唱した「環境としての母親」「対象としての母親」の理論に救われた思いを持ったわたしでしたが、ここに登場する「ほどよい母親 good enough mother」のgood enough という言葉が、この「静かな働き方」の元になっているそうなのです。「静かな働き方」の原題は「The Good Enough Job」
この巡り合わせにわくわくしながら読み進めていきました。

現代の労働主義・ワーキズム社会がいかに築かれていったか

コテンラジオの知識から、働くことが神聖視されるようになったのは宗教改革がきっかけであることは理解していました。
それまでは、「労働は苦役以上のものであるという考えは西洋にはなく」、古代ギリシャ人に至っては「労働を、より崇高で価値のある活動から人々の身体と精神を遠ざける呪いと考えていた」とのこと。「『ビジネス』のラテン語である『negotium』は、『楽しくない活動』を意味する」というから、笑ってしまいました。
それが、宗教改革の旗手であったルター、特にカルヴァンにより、一生懸命働くことが天国へ行く者の特徴となり、「天職」という考え方が生まれていきます。
このカルヴァンの思想は、絶えず成長を求める資本主義の仕組みと共通点があると、マックスウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で説き明かします。
仕事を崇拝する社会労働を神聖視する社会が成立していったということです。

仕事に価値を置く社会

わたしたちは、濃淡はあれど、仕事を宗教のように崇める社会の中にあるというのが、本書の前提です。これには、確かに納得します。
仕事でなにかを成し遂げること
パーパスのある仕事
好きを仕事をする
やりがいのある仕事
こうしたことには価値がある、という常識はわたし達に刷り込まれていますし、例えば、初めて会った人に
「普段は何をしているのですか?」
と何気なく問うその裏には、「どんな仕事しているのだろう?」という意図が隠れています。つまり、よく知らない相手を推しはかる時の基準に「仕事」があることを意味しています。

仕事をしていない時の自分は何者か

本書は「有名レストラン、金融大手、グーグル、キックスターターを辞めてあたらしい幸せを手に入れた元仕事人間たち。珠玉のストーリー!」という帯にもあるとおり、成功を手にしながらも仕事と個人のライフの関係性に悩み、何らかの選択をした人々のインタビューから成り立っています。
彼らは、仕事に全力を注いで”成功”を収めるも、自分の人生の他の時間に割く余力がなくなったり、信頼していいた人物に裏切られて仕事から離れることを余儀なくされたり、人生の袋小路に陥いります。
それぞれの方法で、仕事とライフとの距離感を掴んでいくのですが、その過程で皆が「仕事をしていない時の自分が何者であるかを認識」する点が特徴的です。

わたし自身をふりかえると、シンガポールに住んでいた時間や帰国してからの時間というのは、働くことから距離を置き、自分は何者かを認識しようとしていた時間でもあったのだなと、しっくりきます。
辞めるのは簡単で、難しいのは働いていない自分を認めること」という、登場人物の一人の語りにはとても共感しました。
生産性以外の価値、自分に元から備わっていた特性を、いかに認めていくか。これはワーキズムのはびこる現代で、その思想のもとで成長してきたわたし達にはとても難しいことだと実感します。

初めて会った人へ、「普段は何をしているのですか」に代わる質問

本書は最後に、「あなたは普段なにしているのですか?」の質問に代替する質問が紹介されています。
これが秀逸で、ぐっときました。

仕事、ひいては社会との「ほどよい」距離をいかに確保していくか。
それは人それぞれで、わたしにはわたしの距離がある。
これからの生き方・働き方を考えていくうえで、とても考えさせられた一冊でした。

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