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【小説】もうひとりの転校生 第1話

あらすじ
 スポーツ用品会社のサラリーマンとして、愛する妻と子供二人に囲まれて幸せな毎日を送っている俺(大島)は、会社の非常階段で同期の前田と激突し、心と身体が入れ替わってしまう。
 元に戻る方法を思案する暇もなく、俺は前田の代わりに販促イベントの責任者としての使命を果たすべく、二泊三日の出張に行くことに。
 家族はどうなる。仕事はどうなる。そんな心配を抱えたまま名古屋へ向かった俺は、イベントの準備段階からチームのメンバーの一人で次から次へとトラブルを引き起こす瀬能はるかに翻弄されっぱなし。
 やっと迎えたイベント当日。俺は無事に代役を務め、元の身体に戻ることができるのか。


   第1話

 走馬灯のように、これまでの人生が流れていった。

 よく、そんな言葉を耳にするよな。死ぬ前の一瞬で、脳が幻影を見せるんだって。

「走馬灯ってなに」
 あれは雨の日だった。田舎のばーちゃんの家に泊まりにいってたんだ。その時、俺はまだ小学校の低学年で、退屈してた。読んでいた漫画に偶然そんな言葉が出てきて、ばーちゃんに尋ねると、

「これだよ」
 そう言って、お盆でもないのに、わざわざ奥から引っ張り出してきてくれたんだ。

 提灯みたいに紙が貼ってあるんだけど、それが二重になっていて、中の蝋燭に火をつけると、内側がくるくる回りだすんだよ。そこには人や馬の形を切り抜いた紙が貼ってあって、外側の枠はスクリーンみたいになってるわけ。

「まだちゃんと動くねぇ」って、ばーちゃんも驚いてた。電気は使わない、動力は蝋燭だけ。すごいよな。

「なんで回るんだろう」
 不思議で仕方がなくてさ、ばーちゃんが奥を片付けに行ってる間、俺は飽きずにずっと眺めてた。

 よく見ると内側の枠にはいくつか羽みたいなものがついていて、まるで風車みたいになってるのがわかったんだ。その羽は、蝋燭のすぐ上に張り出してる。

 蝋燭から風が出てるってこと? そう思って、俺は蝋燭と羽の間に指を入れてみた。でも、なにも感じない。

 試しに何度も繰り返していたら、蝋燭の火に触れちゃってさ。ものすごく熱くて、慌てて引っ込めたんだけどひどい火傷しちゃったんだ。

 まあそれはいいんだけど、その時に慌てて倒しちゃったんだ。ばーちゃんの大切な走馬灯、燃やしちゃったんだよ。

 慌てて戻ってきたばーちゃんが消し止めてくれたから、火事にはならなかったけど、後で母ちゃんにこっぴどく叱られた。

 でも、ばーちゃんはちっとも叱らなくて、それどころか俺に向かって泣いて謝ってくれたんだ。あんたのことちゃんと見てなくて、火傷させてごめんねって。

 あーあ、俺ってホントに馬鹿だよな。なんであの時、あんなことしちゃったんだろう。

 って、これってひょっとして走馬灯? 俺、もしかして死んじゃったの?


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「……うぅ……」
 肩と腰の痛みが和らいでいくにつれて、指先の痺れが消えていった。代わりに、膝の内側がズキズキと疼き出す。ひんやりした床の冷たさが尻に伝わる。

「いてぇ……」
 自分の口から出た声に、俺は眉をひそめた。喉がおかしい。咳払いしかけた次の瞬間、目の前で同じようにうずくまっている人物と目が合った。

「おい……うそだろ……」
 思わず発した自分の声に、ぎょっとなって口を結んだ。吐き気を堪えるように口内を膨らませる。唾を飲み込もうとするが、喉はカラカラだった。

 恐る恐る顔を向けると、眉をひそめてこちらを見ているスーツ姿の見知らぬ男と目が合った。いや、むしろ見知った顔と言うべきか。

 混乱する頭を抱え、何度も瞬きを繰り返していると、男がまるで嫌なものでも見るように眉をしかめた。

 その様子を見て、俺も急激に頭が冷えた。負けじと顔を引き締め、投げ出していた足を引っ込める。けれども相手と目が合っただけで、ぞわりと悪寒が走った。

 目がちかちかするような白い壁に囲まれ、それでもどこか薄暗さを感じさせる非常階段は、まるでなにかの実験室のようだった。そして俺は、正に実験動物のような気持ちで、現状を把握しようと必死に頭を働かせていた。

 目の前にいる男が手首を振った。そこに嵌められている時計に耳を当てる。

 つられて、俺も自分の手首に目をやった。しかし、そこにあるのはまったく見覚えのない時計だ。秒針が完全に止まっているのがわかる。

 時計だけではない。身に着けているスーツも、自分のものではない。

 目の前の男が時計から耳を離し、諦めたようにため息をついた。

「おい、それ俺の時計!」
 思わず叫んだ。目の前の男がつけている時計は、確かに俺のものだ。去年の誕生日に妻からもらった。間違いない。

 俺の言葉に、男は片方の眉を吊り上げると、

「馬鹿か」
 と呆れたように呟いた。嘘じゃない、それは俺の……と言いかけたところで、

「時計だけじゃないだろ」
 男が俺に向かって、両腕を広げた。言われてみれば、男が身に着けているスーツ、ネクタイ、鞄もすべて俺のものだ。しかし、それよりも───。

 恐る恐る、男の顔を正面から見た。やはり間違いない。その顔は俺のものだ。そしてその肉体も。

 自身に目をやるまでもなく、ものすごい違和感がした。わかる。これ、ゼッタイに俺の身体じゃない。

「なんで……、なんだよこれ、気持ちわりぃ」
 そう言った途端、吐きそうになった。声も俺のものじゃない。

 俺の顔をくっつけた男は苛立ったように、

「お前こそ返せよ。それは俺のもんだ」

 そう言ってぐっと顔を近づけた。鏡や写真でしか見たことのない自分の顔に迫られ、背中にぞくりと悪寒が走った。尻で後ずさりする。

「お前……ひょっとして大島か」
 男が俺の名を口にする。ドキッとしたが、同時に俺の中でもふとひらめくものがあった。

「お前は……前田か……」
 自分の着ているスーツにもう一度目を落とした。見覚えがある。いつも安物仕立ての俺に対して、同期の前田が好んで着ているブランドだ。

 そっと自分の頭に手を伸ばす。短く刈りっぱなしの俺の頭と違い、整髪料の感触がした。いつも隙のない手入れをした、同期の髪型を思い浮かべる。

「触るな。崩れる」
 そう言って、同期が俺の手を払った。

「なんで、これ、どうして」
 混乱したままの俺に向かって、

「お前、『転校生』を知らないのか」

 同期が低い声で言った。その声は俺のもののはずなのに、動画に録られた自分の声を聞くような、恥ずかしい気持ちになる。

「は? なんだそれ」
 転校生? 目を瞠る俺に、

「『おれがあいつであいつがおれで』」

 同期はそう呟き、白い壁を見つめている。その目が真っ赤に見えて、俺はまたしても背中にぞわりと寒気が走った。

 初めて見た。目の前で人が狂ったのを。きっと次は、『カニバリズムの禁忌は閉鎖社会におけるパラドックスだ』とか言いながら、刃物を持って俺に襲いかかってくるに違いない。

 しかし同期は深いため息を吐くと、

「小説と映画だよ。激しくぶつかった二人の心と身体が入れ替わる。いわゆるアレだ」

 いわゆるアレ。つまり、アレか。

 いや、それを言うならもっと最近の作品にあるだろう。有名なアニメ作品で、タイトルが昔の朝ドラと同じやつ。

「いやちょっと待てよ。あれって普通、若い男女がなるものだろ!」

 ふざけんな。おっさん同士が入れ替わったって、なんも楽しいことはない。

 そもそも、激しくぶつかったくらいでいちいち心と身体が入れ替わってたら、そこらじゅうで大混乱だ。子供なんてどうする。しょっちゅうぶつかってる。

「知るか」
 同期は吐き捨てるように、

「SFっていうのはな、『なぜ』『どうして』っていうのは言わないお約束なんだ」

 言いながら、時計を外して俺によこす。代わりに、俺の腕に嵌められていた時計を乱暴にむしり取った。



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