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【小説】もうひとりの転校生 第9話

   第9話

「おはようございます!」
 俺の姿を見るなり、後輩たちが晴れやかに挨拶した。

「ああ……、おはよう」
 広々としたイベント会場の各ブースでは人の声が行き交い、にわかに活気づき始めている。

 横を向き、欠伸をかみ殺した。明けきらぬ前に夢にうなされてからは、そのままずっと眠れなかった。

「前田さん、ひどい顔してますよ」

 斎藤という後輩が俺を見て眉を曇らせた。さっきから大きな口を開けて欠伸をしている小島に対し、こいつは細かいところによく気づくタイプだ。仕事は丁寧で、周囲からの評判もいい。

「これ、よかったら」
 栄養ドリンクが差し出された。右手を立て、空を切ってから受け取る。

「サンキュ」
「僕もさっき飲んだところなんです」

 見ると、いつも端正な顔が少しだけむくんでいる。こいつも寝不足か。
 ふと視線を感じてそちらに顔を向けると、慌ててそっぽをむいた女子社員の姿が目に入った。手には同じメーカーの栄養ドリンクがある。

 ははーん。

 ぴんときた。仕事とはいえ旅先、独身、男と女。それはもう、簡単な公式だ。

「おはようございます」
 瀬能はるかがそっと近づいてきて、俺にぺこりと頭を下げた。昨日よりは晴れやかな顔をしている。

「おはよう」
 少しどぎまぎしながら答えた。意味もなく咳払いをする。

「昨日はありがとうございました」

 俺にだけ聞こえるようにそう言って、もう一度頭を下げた。その様子に、斎藤が興味を惹かれた顔でこちらを見ている。

 いやいや、そうじゃないって。お前と違うから。なにも言われていないのに焦ってしまう。

 瀬能はるかは女子社員たちの輪に近づいていったが、彼女たちは話に夢中だ。中に入っていけず、ぽつんと立ち尽くしている。

 おいおい、まさかいじめられてるんじゃないだろうな。

「時間にはちょっと早いけど、みんな揃ったな」
 俺が声をかけると、一堂の間にびりっと緊張感が走った。

「ずっと準備してきたイベントの、今日はとうとう本番です。でもみんな、リラックスしていきましょう」

 一人一人の顔を見ながら言った。さっき眠そうだった女子社員も、顔を引き締めている。

「ここまで入念に準備してきたんだから成功間違いなしだよ。なにか困ったことがあったら、遠慮せずに先輩を頼りましょう。立派な先輩がたくさんいますから」

 言いながら、またしても大口を開けて欠伸をしている小島に顔を向けた。慌てたように口を押えた小島に、全員がどっと沸く。

 笑顔でじっとこちらに眼差しを向ける瀬能はるかと目が合った。

「なにかあったら俺に言えばいいから、みんな伸び伸びやって下さい。イベントなんだから楽しくいこう」

 求心力のある上司ならきっとこう言うだろう。それを意識しながら伝えたからか、後輩たちの目がキラキラと輝いている。


「はい!!」


 後輩たちの中で一番体格の大きな太田という男が低く大きな声で叫んだ。体育会系らしいその様子に、ふたたび笑いが起こる。

「はい!」
 笑いの中から他の誰かも大きく叫び、釣られたように、次々と元気のいい返事が飛んだ。不思議に連帯感が生まれ、俺の胸も熱くなる。

 それとは別の気持ちでも、俺は気持ちが高揚してきた。今日を乗り切れば、明日は東京へ帰れる。同期と入れ替わり、元の生活が戻ってくる。

 これが最後だと思えば、どんなことだって耐えられるさ。

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