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【小説】もうひとりの転校生 第19話

   第19話

「優ちゃん!」
 名前を呼ばれて顔を上げると、廊下の向こうからやってくる妻の姿が目に入った。椅子から立ち上がる。足元がふらついた。

「なにがあったの」
 妻が駆け寄る。その顔をつくづく眺めた。最後に会ったのが昨日の朝だから、丸一日半。それなのに、ひどく久しぶりな気がする。

「遅くに急に家を出ていったと思ったら、病院って。どれだけ心配したか」
 妻が頬を膨らませる。そんな顔も愛おしくてたまらない。

「見せて」
 妻が俺の頬を両手で挟んだ。触れられた顎がぴりっと沁みたが、かまわず妻の身体に腕を回した。

「ちょっと」
 腕の中でもがく妻を、いっそう強く抱きしめた。妻の匂いが俺に無限大の安心感を与えてくれる。

「もう、ごまかさないでよ」
 妻が両腕を突っ張り、俺の腕から逃れようとする。

「なにか隠してるでしょ。昨日からずっと、様子が変だもの」

 俺は目を瞠り、もう一度妻を強く胸に抱いた。やっぱり、妻はいつもの俺と違うことに気づいていた。最初に思った通り、きっと事情を話していたら信じてくれていただろう。

 その時、病室の扉が開き、中から看護師が出てきた。妻が慌てて俺を押しのける。

「あの、すんません。あいつは」
 駆け寄って尋ねると、看護師は眉を上げて、

「怪我の処置は済みました。ただ、頭を打っているので検査が必要です」
 俺と、隣にいる妻に目を向けた。

「検査は明日ですので、本日は入院していただきます」
「ちょっとだけ、話していいですか」

 俺が病室の扉を指すと、

「この時間ですから、手短にお願いしますね」
 と言って、看護師が廊下の奥へ去っていく。

「ちょっとここで待ってて」
 妻にそう言い置いて、小さくノックをしてから扉を開けた。そっと部屋に入る。

「おい」
 声をかけると、ベッドの上で同期が頭だけ動かしてこちらを向いた。

「大丈夫か」
 同期はむすっとした顔で黙っている。俺はベッドに近寄った。頭の包帯が痛々しい。

「お前、俺のこと庇ったから……」

 落ちていく瞬間、同期が俺に向かって手を伸ばしたのを覚えている。

「逆だろ」
 同期が口を尖らせた。

「庇ったのはお前だ」


 え?


「ほら」
 同期が手を伸ばした。手の甲にガーゼが巻かれている。

「お前が俺を庇ったんだよ。だからお前が無傷なんだ」

 あれ、そうだっけ。

「覚えてないのか」
「必死だったからな」

 そういえば、団子になって落ちていく時に、無我夢中で相手の頭を抱えた気がする。

「お前らしいよ」
 同期が苦笑いする。その時、遠慮がちなノックの音に続いて扉が開いた。妻がそっと顔を覗かせる。

「優ちゃん、そろそろ失礼しよう」
 同期が起きていることに気づいた妻が、ドアの隙間からそっと身体を滑り込ませた。

「前田さん、お久しぶりです」
 同期がわずかに頷き、天井を見上げた。

「大変でしたね。お大事になさって下さいね」
 俺の後ろに半分隠れながら、妻がそっと頭を下げた。

「じゃあ、また来るよ」
 妻と共に部屋を出ながら声をかけた。同期はわずかに首を持ち上げると、黙って目を閉じた。

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