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看護師からモデル&芸能事務所の代表に転職

こんにちは!
プラスサイズモデルの桃果愛です。

私は元々看護師をしていました。

今はモデル、そしてなんと!


自分でも想像もしていなかった


約50名の所属を抱えるモデル・タレント事務所の代表として働いています。

10年前の自分が聞いたら、

えぇー!!!

って確実にかなり驚くことになると思います。笑

看護師の仕事が嫌だったかと言うと・・・

大好きでした!!

身体に不調がある患者さん
心が弱ってしまった患者さん
こども園の子どもたち
美容に興味がある方たち
健康診断を受診する企業の方たち
離島で生きる方たち
歳を重ねて生きる方たち

色んな方を相手にお仕事させて頂きました。

最初は正社員として精神科病院へ勤め、
重度の統合失調症や躁鬱病、認知症などを抱える方々と過ごしました。

人の心に触れるお仕事がしたいと元々思っていたので精神科で過ごす日々は大変だけど楽しかったですね。

それが約12年前。
当時は"読者モデル"ブーム。

今みたいに"ぽっちゃりモデル"や"プラスサイズモデル"の言葉すら日本で目にすることはなかった時代。

なので、元々ぽっちゃり体型だった私は、"モデルになりたい"とすら思っていませんでした。

というか自分には一生無縁な仕事だと思っていました!

でもある日、ネットを観ていたら目に飛び込んできたものがありました。

『プロのヘアメイクさんに綺麗にしてもらって、カメラマンに可愛く写真撮ってもらいませんか?』という楽しそうな募集。

普通なら自分には関係ないと通り過ぎるところが、なんとニッセンのぽっちゃりさん向けのファッションブランド『スマイルランド』の募集だったのです。

スマイルランドは設立当初から爆買いし、かなりお世話になっていたブランドだったので衝撃でした。

当時は大きいサイズの可愛いお洋服は
スマイルランドくらいしか買えるところがなかったんです!

これはもしかしたら私も可愛く写真撮ってもらえるのかな?と興味本位で応募したのがきっかけ。

しばらく経って撮影に来てほしいと連絡がありました。

それがいきなりのカタログ撮影でした。

こんなに大勢の人に観られながら撮影ってするんだと衝撃。笑

でもあまり緊張しない性格だったので撮影がすごく楽しかったのを今でも覚えています。


あとからきくと100人くらい応募があって、その中からひとり選んでくださったとか。さらに衝撃でした。

でもその写真を観た読者のみなさんからの反応がポジティブなものばかりで、私でも役に立てることってあるんだ!とやり甲斐を感じました。

そこからフリーのモデルとして、看護師としても働きながら二足の草鞋を長年続けていました。

日本初のプラスサイズモデルの誕生です。

正社員の看護師のお仕事とモデルのお仕事の両立は、まだまだモデルのお仕事が忙しくないとはいえ、急に頂くお仕事のお話しに休みをとるのがとても大変でした。

なので看護師も正社員ではなく、好きな時間で働けるフリーの看護師へ。

看護師もフリーの働き方ってあるんですよ。
ありがたいことに毎日どこかでバイトの募集もされているし、派遣のお仕事もたくさん。好きなときに好きなだけ働けるんです。

明日仕事したい!と思ったら明日からでも。
(もちろん内容によってはより専門的な経験が必要な場合もあります)

短期間離島に行ってみたり
美容皮膚科や精神科や施設で働いたり
こども園で保健室の先生をしたり

でもやっぱり正社員として働く方がお給料はよく、
ボーナスもあるし、

待つしかない不安定なモデルのお仕事をするために
貯金もできない生活を一生送るのか?という自問自答は常にしていましたね。

当時は母が倒れて
社会人になったばかりの私が家で看病したり、病院に通ったり、もちろん親の分の家事も全てしながら(仕事の日のお昼まで作って出たり、不在の日のご飯も準備したり)

とてもハードな看護師の仕事から帰宅後も心身ともに休まる場もなく今考えるとパンク寸前でしたね。

母子家庭でひとりっ子なので、金銭面も時間面も頼れる親族もいないし、
母は当時病気もあり常に超ネガティブワールドで、精神科で散々ネガティブな言葉を傾聴して自分の心がどんなに疲れていても、帰宅後も今度は母のネガティブワールドが続くんですよ。

自分が一瞬でも気を抜いたら、自分も一生働けなるかもしれないとおかしくなりそうでしたね。笑

唯一、気晴らしになったのがモデルのお仕事でした。
気晴らしと言ったら無責任にきこえるかもしれませんが、心身ともに大変な環境にいると、全く違うお仕事は気分転換になるのは事実と思います(いい環境の場合に限りますが)。

モデルのお仕事のためにポージングの研究は常にやっていました。

プラスサイズモデルの先輩なんていないですし、
細いモデルさんと同じポージングをしても同じように見えない体型なので。

雑誌からエビちゃんのポーズを切り抜きしてスクラップ。鏡の前で練習の繰り返し。

そのことをやっているときが、唯一楽しい時間。

金銭的余裕もなかったので、友達と遊ぶのはほぼ断っていました。忙しいというのは事実でしたが。

同じ職場で彼が出来て、お金を使わなくても心が安らぐ場所ができたことが唯一の救いだったかもしれません。

素敵な人だったし、仕事面においてもお互いに高め合いながら過ごしていたように思います。

短期間離島に行ったのは母の具合が少し落ち着いてから出稼ぎでした。病院で働く正社員の看護師の1か月のお給料の2倍を1か月で頂けるんです。正社員をやめて金銭的余裕がなかった私にとってはありがたすぎました。

島の皆さんも良くしてくれて、心が癒されましたね。

『若いうちに苦労は買ってでもしろ』という言葉、私は買ってないのに若いうちに相当苦労したなぁと振り返って自分で思います。笑

そんなこんなしながら、金銭的、時間的にあまり余裕がなくても二足の草鞋を続けたいと思ったのは

モデルのお仕事が好きだったからでしょうね。

カメラマンの前に立つのが一番楽しかったし、
ランウェイを歩くのが刺激的で幸せと思える時間に感じたし、
ぽっちゃりした私が堂々としている姿をみて勇気をもらいましたの一言がものすごく励みになったし。


看護師も『ありがとう』の言葉や元気になる姿がものすごく励みになるけど、

モデルも看護師と同じく

離れていても観てくれた人の心に勇気や希望を届けられることを体感しました。

看護師は目の前の人やそのまわりの家族かもしれないけど、むしろモデルは一瞬にしてたくさんの人に光を届けられるのかもしれないとすら感じました。

看護師は命に直結する責任重大なお仕事。
モデルは直結じゃないかもしれないけど、看護師と同じような魅力を私は感じたんです。


看護師のフリーもなんだか疲れ果てた私は、
一旦総合病院に正社員として再就職しました。

とてもいい職場でやり甲斐もあるし
このまま看護師として安定な生活を送った方が
貯金もできて心身共にいいんじゃないか?とすら思いました。

空いた時間にモデルのお仕事がマッチすればいいな..くらいの方がいいのかな?

と自分では思っていたものの、

いざモデルのお仕事のお話しがあると病院のスケジュールを一生懸命に調整しようとする自分がいました。

やっぱり私、モデルのお仕事を今一番にしたいのだと。

そうこうしているうちに看護師の主任のお話しを頂きました。

すごくありがたかったし、このまま主任のお話を受けたら看護師としてもキャリアが積めるし、月々のお給料もアップするしいいのかもしれないとも思いました。

でも、主任になったらモデルのお仕事が入るからと言って好きにスケジュールを調整している立場ではなくなると感じ、

いつまでも二足の草鞋の中途半端な状態じゃなく、看護師なのかモデルなのかどちらかに振り切って覚悟を決めるしかないと思い、今しか挑戦できない方を選びました。

私は病院を辞めてモデルを選んだんです。


その後は施設でパートとして働きながらスケジュールを調整させて頂きながら(その施設にはかなり感謝しています)モデルをしていました。

当然生活は再び苦しくなりましたが、自身で振り切った選択をしたおかげで、覚悟があるせいか楽しくも感じました。

以前に東京ガールズコレクションに出演させて頂いたことがきっかけで、自身でぽっちゃりさんのファッションショーがしたいと思い続けていました。

それをいざ本格的にやろう!と企画し、モデルを集めはじめたのがきっかけで、プラスサイズ専門モデル・タレント事務所の設立となりました。

今では約50名のプラスサイズモデル・タレントの所属がおり、モデルをはじめた当初はひとりぼっちだった私が、今では大家族のようにワイワイ楽しくお仕事させて頂いているんです。

この現実が幸せすぎて、

色んな苦労があったけど、モデルのお仕事を辞めなかった自分によく頑張ったねと言いたいし、

大変な中怪我や病気と闘ってくれた母にも頑張ったねと言いたいし、

それをなんとか支えようとしてくれた医療関係者の皆さんや、芸能関係者の皆さん、元カレ、今の旦那さんにも感謝です。

もちろん、私に関わってくださった全ての人に感謝。

看護師のお仕事は好きだし
いつかはまた始めるかもしれないけど

今が一番幸せです。
転職してよかったと心から思います。

〜自分を愛してHappyに〜
Aimomoka💋

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