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いつから僕らは意味の奴隷になったんだろう?

小学生は意味不明ないきものだ。

今日、夕方の住宅街ですれ違った少年は、見たところ小学5年生くらいの年頃で、奇妙な動きをしながら僕の方へ近づいてきた。


両手をズボンのポケットにいれ、両足をたけしのコマネチみたいなガニ股に開き、高速でこっちへ近づいて来る。

前進するカニみたいな動き。

ゼンマイ式で動くブリキのおもちゃみたいな速度だった。しかも、動いているのは主に下半身のみで、上半身は体幹をキープしている。

表情はまったくの無表情だ。クリっとした大きな瞳は、まっすぐ正面に向けられているだけで、笑ってもいないし、怒ってもいない。そこから読み取れる感情はない。

彼はそのまま、ブリキのコマネチみたいな動きで高速に僕の横を通り過ぎていった。

表情は最後まで変わることなく、その目はただ前だけを見つめていた。


彼は1人だった。きっと下校中だったのだろう。誰に見せるためでもないその孤独で奇妙な歩行はどこまでもピュアだった。

僕の脳裏にある言葉が浮かんだ。


「無目的」


小学生のカースト内には、意味不明なことをやるやつは尊敬される、という力学が働いている。

別に誰に言われることもなく、そういう暗黙の了解が生じるのはなぜだろう?

きっと小学生がそういう生き物だからだ。

意味不明なことをすると、気持ちいいのだ。ただふざける、というのとも違う気がする。もっと突然で、突発的で、脈絡のない、「意味不明」という4文字を捧げたくなるラインの行動がそこにはある。

それは世界に対して挑戦的だ。が、別にトゲはない。攻撃を目的としていないからだ。むしろそこには目的なんてものはない。無目的。ただ小学生であるということがそうさせているだけ。そして、世界の方がそれを挑戦的だと受け取るだけだ。


例にもれず、僕もそう感じてしまった。彼の動作から挑戦を。


夕方の住宅街で突然「意味不明」とすれ違ったことで、僕の脳内は軽いパニックを起こした。

こんなことはあってはならない!

と、脳が今、目の前で確かに展開されている事実をねじ曲げようとしているのが分かる。

こんな無目的な存在を認めてはならない!

そう叫ぶ脳は、瞬時にその識別能力を駆使して、目の前の小学生の「意味不明」の中に「意味ありそう」な要素を見つけられないか?スキャンして探そうとする。

脳は、意味や目的がないと困るのだ。


しかし、そんなものはどこにも見つけられない。

彼は完璧だった。


その行為のどこにも、人間らしい目的などは見つけられなかった。

手足の動き、表情、目線、同行者。

そのどこにも、いかにも人間が求めそうな「意味」はない。意味不明だ。

脳はみずからの敗北を知った。


いつも過去に原因を探り、未来に目的を置いておかなくては落ち着かない自らの習性が恥ずかしくなった。

瞬時に保身のために見知らぬ小学生に対してアラ探しを始めてしまう自分自身が情けなかった。

生き物としての「差」を見せつけられた気がした。


これが大人になるということだ。


なんて言葉にあぐらをかくくらいなら死んだ方がいい。

だって、お前はもう死んでいる。

そう、あのカニ歩きは言っていた。


やがてあいつも大人になる。つまらない大人にきっとなる。意味に囚われた大人になる。

だとしたら、これが悲しみじゃなくてなんだろう。

お前はもう、死んでいる。

生き返れるかはお前しだいだ。





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