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第94回 KANO 1931海の向こうの甲子園 (2014 台)

 WBCは日本の優勝で幕を閉じました。思えばWBCはイチローがイきかけたり、そのイチローにホモ一歩手前の信者が群がったり、そして今回は大谷を中心とした総受けハーレム!最低だと言わないで下さい。とっても喜んでます。

 お祝いに野球映画をと思いました。何が良いだろうと考えて、思い浮かんだのがチェコ代表の思わぬ奮闘です。誰もが「チェコで野球やってるのか?」と思ったはずですが、今や日本人はチェコ贔屓です。

 そしてもう一つは日系人ヌートバーの思わぬ活躍。ハーフの日本人選手が他の国の代表に行く事はあっても逆は初めてで、彼も今や人気選手であります。

 皆が例えた『クールランニング』はレビューしている。『フィールド・オブ・ドリームス』もやった。『ダイナマイトどんどん』もやった。アメリカが負けたのに『メジャーリーグ』はちょっとないでしょう。

 そこで今回はちょっと捻ってあまり知られていない、しかし是非観てもらいたい映画で行きましょう。『KANO 1931海の向こうの甲子園』でお送りします。

 台湾の弱小チームが民族混成チームで甲子園に挑み、準優勝して日本中を感動させた実話をモチーフにした台湾映画です。そう、これはチェコ代表と同じ構図です。

 野球映画というのはどう転んでもBLになるに決まっています。本作ももう色々と絡まって大変な事になっています。何しろ戦前の日本で野球が出来る身分の人間の間では、ノンケが変態だったのですから。

KANO 1931海の向こうの甲子園を観よう!

U-NEXTで配信があります。

真面目に解説

チェコ代表に捧ぐ

 チェコ代表の奮闘は見事でした。野球に興味の無い人にはヨーロッパで野球が行われているという事実がそもそも驚きでしょうし、野球に詳しくてもイタリアやオランダでは意外に盛んという以上の認識はなかったはずです。あとは関西ローカル吉田のよっさんがフランス代表の監督だったからムッシュと呼ばれているというのが限界でしょう。

 余程の野球マニアでもチェコは全くのノーマーク。元メジャーリーガーが一人と数人のマイナーリーガーの居る他は別に本業を持つアマチュアでありながら、あそこまで上がってきました。

 だから皆『クールランニング』だと言いました。ですが彼らは野球がチェコではマイナーである事を承知で野球を選んだのです。止むにやまれずボブスレーを始めたのとはちょっと違います。

 そういう意味では本作の方がチェコ代表の置かれた状況には近いと私は思います。観て頂ければ納得してもらえるはずです。

台湾野球のルーツ

 台湾代表は予選敗退してしまいましたが、チェコよりはずっと野球がメジャーです。予選が開かれたのは台湾でしたし、プロリーグもある、大リーガーも居るし、更にはとても可愛いチアも居る。

 韓国も常に日本のライバルです。一方中国は野球があまり盛んではありません。北朝鮮に至っては謎です。同じアジアなのに一体どこでこんなに差が付いたのか?

 これは日本統治時代に日本人が野球を広めた結果なのです。日本の統治の是非はこのレビューで議論しませんが、少なくとも日本の統治はダムと野球を残したのです。

 勿論満州でも野球は盛んでした。北朝鮮でもそうです。しかし共産党はアメリカのスポーツである野球を嫌ったため中国や北朝鮮では廃れてしまい、台湾や韓国と大きな差がついたわけです。

 台湾の豊かな野球文化の源流にあるのが今回の主役、嘉義農林学校の躍進であり、彼らの普及活動なのです。

野球で八紘一宇

 丁度春の甲子園の季節です。甲子園はもはやスポーツを越えて信仰と言うべき物です。プロ野球より人気と言っても間違いではないでしょう。何しろ都道府県の代理戦争ですので、スポーツを越えた何かを内包しています。

 台湾代表が甲子園に出るという事実がそもそも驚きかも知れません。ですが戦前の甲子園は外地の学校にも門戸が開かれていました。

 つまり、台湾、朝鮮、満州からも代表校が選ばれたのです。樺太の学校もルール上は予選に出られました。

 しかも外地の野球チームは決して弱くありませんでした。優勝こそ叶いませんでしたが、外地のチームは1回戦負けに決まっているというのは大間違いです。

 社会人の都市対抗野球に至っては第1回の優勝が満州代表で、戦前は外地の方が強かったくらいです。政治的な話はともかく、野球に関して言えばいわゆる八紘一宇の精神はかなり実践されていた…とも言えない問題がありました。

混成チームの凄さ

 残念ながら外地代表のチームの選手は多くが日本人でした。当時は高校ではなく旧制中学校の時代です。日本人でも中学に息子をやったのに学費が続かないなどという話がありふれていました。

 野球をやるまでの道のりが大変なのです。昭和6年の日本は列強だと言ってみたところでまだまだ貧乏でした。

 外地の子供が中学校に進む事は制度上は可能で、学校も必ずしも日本人と別ではなく、大学まで行けたのですが、現実的には進学に困難が伴いました。

 ましてや野球までやらせる余裕ある家は限られたのは当然です。嘉農の選手達も見た目は芋ですが案外良い家の息子である事が示唆されます。

 また、外地人にスポーツは不向きという偏見が存在したのも残念ながら事実です。やってはいけないわけではありませんでしたが、舐められたのも確かです。

 確かに身体能力に人種差はありますが、それは向き不向きという次元であるはずです。この映画は言ってみれば、それを証明する事がメインテーマなのです。

 これはヌートバーの置かれた状況に似ています。選ばれた時に誰もが驚きました。日本人で間に合うじゃないかと思った人が沢山居ました。私だってそうです。将来的に凄い日系人が現れた時の為の布石だと思っていました。

台湾という多民族国歌

 台湾というのは日本とも中国とも違う独自の文化を持っています。日本人が居て、漢人と呼ばれる中国人が居て、蕃人と呼ばれる原住民が居ますが、原住民も多様なのです。

 従って言語もバラバラで、作中でも選手達はグラウンドでは日本語で会話しますが、台湾人同士では台湾語で会話します。原住民の言語はバラバラなので、かなり遅くまで共通語として日本語が使われたという話もあります。

 嘉農の選手達には民族の壁は無く青春丸出しの仲良しぶりですが、どうしようもない弱さで出塁さえした事がないという惨状です。

 勝った事がないというのはありがちですが、出塁無しというのは半端ではありません。デッドボールや振り逃げも無しというのは逆に奇跡的です。

農林学校って何だよ(教育学)

 農林学校というのも台湾の土地柄を反映しています。やはり台湾の産業というと農業なのです。

 嘉義は台南の内陸にある町で、伝統的に農業が盛んな土地です。つまり。嘉農に学ぶ若者たちは台湾の農業を担うエリートでもあるのです。

 実質プロの現代球児と違って彼らはちゃんと授業にも出るし、台湾の未来を担う自覚を持っています。この辺もこの映画が台湾でも日本でも好意的に受け取られた所以なのでしょう。

 作中野球と並んで重きをなすのが現代もなお台南農業の大動脈となっている灌漑水路の嘉南大圳の建設であり、台風による水害に悩む農民たちの苦悩なのです。

 この嘉南大圳の建設を主導したのが当地に銅像が建つ八田與一(大沢たかお)で、作中にも要所要所で顔を出します。選手の中には建設技師の息子も居ます。

 理由は追及しませんが、野球に大沢たかおという取り合わせに笑っちゃう人も多いでしょう。分かる人の為に言うと、台湾では当時からコーヒーが栽培されていました。

 嘉農の活躍と嘉南大圳の建設は台湾の人々にとって喜ぶべき事だったというのはこの映画が作られた事からも確かです。盆と正月が一度に来たというのはこういう事を言うのでしょう。

嘉義を見たい

 しかし、台湾の幸せな日々は長く続きませんでした。戦争が全てを台無しにしたのです。

 映画は錠者博美(青木健)という大尉がフィリピンへ向かう途中の台湾に上陸し、嘉義に寄り道する事から始まります。彼こそが嘉農と甲子園で対戦したピッチャーなのです。

 彼は特別な由緒を持っていますが、そうでなくても台湾に来た日本人の多くが嘉義を見たいと願ったそうです。あの勇気ある嘉農のお膝元を拝もうというわけです。それだけ嘉農の活躍は印象に残る出来事だったのです。

 しかし戦争とは残酷な物で、これでも大分美化されています。本物の錠者大尉は大陸に送られ、シベリアで死にました。戦争とは嫌な物です。

今から俺はお前達を…殴らない!

 そんなチームの惨状を見てドン引く通りがかりのおじさんが、嘉農に赴任してきた近藤兵太郎(永瀬正敏)です。名門松山商業の監督でしたが、挫折して台湾に落ち伸びて来たのです。この辺は完全に『クールランニング』ですね。

 台湾では体罰は描写できないと見えて選手を殴りこそしませんが、分かりやすいスパルタの鬼監督です。赴任早々市内一周のランニングを命じ、負けた者に泣く資格は無いと言い切ります。

 一方で選手達をこよなく愛するカリスマでもあります。遠征費が無いと言えば嫌味な金持ちに頭を下げ、記者が選手を軽く見ればブチ切れて演説をぶち、何かというと選手にうどんを作ってくれる奥さん(坂井真紀)も連れています。無敵です。

 差別に立ち向かうのは常に監督です。差別発言をする人に蕃人は足が速く、漢人は打撃が強く、日本人は守備が上手い、従って理想的なチームだと熱く反論します。

 選手達を野蛮人扱いする八紘一宇精神の欠如した記者には民族など関係ないと言い切ります。

 言ってる事が矛盾しているというのは浅はかで、特徴は尊重するのが真のダイバーシティです。90年前より人類が遅れてしまっているのは嘆かわしい話です。

おじさんのバナナだからね

 もう一人選手達の庇護者が居ます。監督を野球部に引き込んだ部長の濱田先生(吉岡そんれい)です。

 教職の傍らで農作物の品種改良を研究しているので、ある意味では一番台湾の人々の事を考えている人でもあります。

 その作物というのがバナナやパパイヤなのが台湾です。当時のバナナは現代日本で言えば夕張メロンクラスの高級品でしたが、台湾では伊予みかんレベルだったのです。

 とにかく厳しい監督とは逆に仏のような人で、監督同様に尊敬されています。根本的にはこの映画には悪人は出て来ません。実に気持ちの良い映画なのです。

青春に年齢は関係ない!

 さて、選手の紹介に入る前に重要な事をお知らせしなければいけません。選手達は少年とは到底言えない歳です。

 というのも、当時の日本の学制は現代とは違います。甲子園とは旧制中学校の野球大会で、年齢制限は特にありませんでした。

 小学校が6年でその後の中学が5年です。ストレートに行けば13歳から17歳の選手が戦う事になります。

 しかし2年の高等小学校を経由するケースが非常に多く、浪人や留年も珍しくありません。甚だしいと大学野球を経験している球児さえいました。

 従って全体的には20代が戦前の甲子園の中心で、大学野球ともなればアラサー、社会人野球やプロともなればレベル以外はおっさんの草野球に近いノリです。

 しかし、年齢に何の意味があるのでしょうか?選手達は青春を燃焼させて野球に打ち込んでいます。家庭の事情など考慮せず厳密な年齢制限など設けている現代の高校野球の方がおかしいのです。

エースはガチ

 さて、野球チームなどという物は1年では強くならないので、甲子園の土を踏めずに終わる上級生が卒業して2年目からが本番です。

 しかし、監督は彼らもちゃんと尊重して優勝パレードに飛び入りさせます。『スクールウォーズ』の上を行っています。近頃は優勝パレードさえ高野連が文句を言って邪魔するのですから、人類は退化しています。

 嘉農のエースになったのが漢人のアキラこと呉明捷(曹佑寧)。嘉義の大通りで本屋を営むおじさんの家に下宿する21歳です。トップクレジットは監督ですが、事実上の主人公は彼です。およそありとあらゆるエースのやりそうなことはやります。

 監督は監督を引き受けるのを渋っていましたが、外野を守っていたアキラの強肩に未来を見て入念に指導します。つまりアキラにとって監督は監督であると同時におさっやんなのです。

 野球経験者は彼のピッチングにおっと思うでしょう。凄く上手です。それもそのはず、曹佑寧はU-18の台湾代表選手で、当時は大学の選手でした。撮影の為に休学したというのだから念が入っています。

 他のキャストも概ね野球経験者で、野球シーンはハリウッドに引けを取りません。カート・ラッセルには負けるとしてもタカ田中よりは上です。

 本屋の店員で自転車で二人乗りする仲のしずか(葉星辰)は医者に嫁入りしてしまいますが、ナチュラルホモジゴロであらゆる男を魅了してしまうカリスマの持ち主です。

 作中嘉義の街の噴水がよく登場しますが、現在この噴水のど真ん中に彼の銅像が建っているのですから長嶋茂雄並みです。ちなみに卒業後は早稲田大学に進み、ミスターが登場するまで六大学野球の通算ホームラン記録を持っていました。

 本物の呉明捷の息子と孫がちょい役で出演しているのも面白い所です。本作のキャストは日台混成で、戦前の台湾のように民族が融和しています。

生き証人はリアルマンガ

 主砲が漢人の蘇正生(陳勁宏)です。陳勁宏は嘉農の後身である嘉義大学の選手ですが、蘇はテニス部から転部してきます。歳は意外に若くて19歳。

 飛んで来たボールをテニスラケットで打ち返したのを見て監督が引っ張り込んだというのは、花形満と左門豊作のハイブリッドです。豪農の倅なので出自もちょうど半々と言っていいでしょう。

 大変なスラッガーで、甲子園の外野フェンスに打球を直撃させた史上初のアジア人でもあります。

 甲子園なんて狭い方だというのは早計で、今の甲子園はホームベースから左中間への距離は119メートルですが、当時は126メートルもありました。逆に道具は質が悪いので今ほど飛距離が出ません。異次元のバッティングです。

 作中でも審判が慌てて出て来て、フェンスに蘇の名前を書き込むシーンが入ります。それ程の偉業であり、まだフェンスに広告など無かった時代の物語です。

 優遇されているのは製作を始めた時点で本物の蘇正生はまだ存命だったからで、彼の証言が映画に大変生きています。彼の台湾球界への貢献は大で「国宝」と呼ばれていたそうです。

蕃人は足が速い(本当)

 転部枠がもう一人、蕃人で核弾頭の平野保郎(張弘邑)はマラソン選手でした。野球部を馬鹿にしていましたが、監督のカリスマに堕ちます。彼は23歳。

 名前が日本人じゃないかと思うでしょう。当時の蕃人は日本名を名乗ったのです。彼は野球選手を多く出しているアミ族です。足が速いという監督の話しもオーバーではないのでしょう。

 キャッチャーで実質キャプテンの東和一(謝竣晟)もアミ族。彼は25歳。同じ部族だから顔が似ているのではなく、役者が兄弟なのです。

 何しろキャッチャーと一番打者は野球物では美味しい役です。BL的にも非常に美味しいのですが、これについては後にしましょう。

年齢なんて数字さ

 やはり蕃人のショート上松耕一(鐘硯誠)はここぞという時に歌を歌うくらいであまり目立ちませんが、この人は経歴がずば抜けています。

 まず第一に、何と当時26歳です。プロでも引退する選手が出る年頃なのに甲子園球児です。今後絶対に破られない最高齢出場記録保持者なのです。

 第二に、一番出世しました。後に嘉農のコーチになりましたが、息子は知事になり、孫に至っては国会議員だそうです。旧制中学というのは本物のエリート集団だったのです。

トラブルも無きゃね

 本作はほぼ実話に則っているのに、スポコンの主立つイベントはほぼコンプリートしているところに凄味があります。

 日本人のファースト小里初雄(大倉裕真)はやっと現代基準で17歳です。彼は辞めようとして引き留められる枠です。

 父親は建設技師で、台風で負傷して内地に帰るという話になります。監督が熱血で説得して引き留めるのです。それだけに漢気は一番で、BL的にはメインキャストに躍り出る逸材です。

 彼は長じて専売局に勤めました。煙草は台湾の基幹産業だったのです。阿片については…よしましょう。この世界には必要ない代物です。

優しい世界

 嘉義の街の人達は最初は野球部に否定的でした。銭湯に行けば情けないと罵倒され、甲子園甲子園と唱えながらランニングすれば馬鹿にされ、夏祭りには他の学校と喧嘩になり、台風の後にはお百姓さんに恨み言を言われます。

 特に良い仕事をしたのが監督が部費の援助を頼みに行った街のお金持ち(渋谷天馬)です。そう、彼は『イップマン』の佐藤大佐。悪い日本人ならこの人という稀代の悪役俳優です。

 差別発言をかまして監督にキレられ、嘉農が甲子園出場を決めれば手のひらを返して監督に睨まれますが、どうにも憎めません。昭和なら金子信雄がやる役回りです。これが出来る日本人俳優が居たのには感動します。

 選手達を野蛮人呼ばわりした記者小池(小市慢太郎)もメス堕ち組です。彼はスタンドで嘉農への賛辞を述べますが、これは菊池寛の観戦記の引用です。これについては後で詳しくやりましょう。

 結局のところ、全員が最後は応援するようになります。とことんハッピーな映画です。

南北対決

 しかし、戦争が全てをぶち壊しにします。錠者が戦争に行く途中に狂言回しを務めるのですから。エンディングでは嘉農のメンバーのその後が語られますが、やはり戦死者が出ています。

 錠者はアキラのライバルとして優遇されています。錠者は札幌商業のピッチャーなので、日本の南端と北端の対決です。

 一番アキラに参っているのは議論の余地なく錠者で、ほぼストーカーです。北海道も日本ではあっても法的にも社会的にも微妙な立ち位置で、北海道に移住する事は不名誉なイメージがあったのも確かなのです。だから境遇が意外に似ていたと言えます。

 この爽やかな友情とライバル心のせめぎ合いこそが野球物の醍醐味です。これについても後でじっくりやりましょう。

甲子園には怪物が住む

 嘉農は外地のチームとして唯一の甲子園準優勝を果たし、通算5回に渡って甲子園に出場します。誰が優勝を阻んだのか?それが今回のラスボス、中京商業の吉田正男(張鎧嚴)です。

 夏の甲子園を3連覇したまさに甲子園の怪物で、本作で2人しか果たしていない殿堂入りを成し遂げています。嘉農から取ったのが1勝目です。

 春夏両方を使って3連覇はありますが、夏で3連覇というのは江川でも桑田でも松坂でも大谷でも出来なかった事です。そりゃあ殿堂入りします。

 台詞もないのでストーリー上は重要な役ではありませんが、彼については後です。

小姓は出世できる

 さて、もう1人殿堂入りした傑物が居ます。アキラじゃありません。嘉農に小姓のように引っ付いている少年、呉波(魏祈安)がそうです。この子はプロデューサーの親戚だそうです。

 作中では小姓のままでしたが作中の少し後に嘉農に入って甲子園に出場し、残りの4回全てに出場します。そして監督の松山時代の教え子の藤本定義率いる巨人に入団します。

 意外かもしれませんが、アキラや吉田は誘いは受けましたがプロ入りしていません。当時のプロ野球の地位は低く、金に困った選手が契約金欲しさに嫌々やる仕事でした。ミスターの登場までプロ入りした選手は大学のOB会にも顔を出せなかったくらいなのです。

 その現状を危惧したのがほかならぬ呉で、20年もプロを続けました。戦時中の甲子園は芋畑になりましたが、その管理人が嘉農で農業を学んだ呉だったのも戦争の悲話かも知れません。

 プロ入りしてからは台湾に帰らず日本に帰化してしまいましたが、王貞治と並ぶ日台両方での殿堂入りを達成しています。こういうやり方は正直大好きです。

師弟対決

 架空の人物も居ます。監督の師匠である松山商業の佐藤監督(伊川東吾)は実在しません。

 一度は過激な指導方針で松山を去った監督を優しく迎え、敵味方だというのに飲み屋でアドバイスまで授けちゃいます。監督にとっては大切な恩師なのです。

 一応モデルは存在して、実物の近藤兵太郎の師匠でなく弟子である森茂雄がそうです。この人も殿堂入りしているので、実質3人も殿堂入りしている人がいるのです。

 作中カットされて残念でしたが、後の大会では直接対決がありました。松山商の勝ちでしたが、そのまま優勝したので師弟で抱き合って喜んだという素敵な逸話もあります。

 野球BLはナマモノの中では比較的メジャーですが、このように居ない人の人間関係まで掘り下げるとより強固な物になります。もっとも、やり過ぎると全ての野球BLはノムさんに辿り着くという過激かつ否定しがたい事実に行き着くのですが。

BL的に解説

ホモが格好良い時代があった

 さて、久々のオールナマモノな本題に入る前にバックボーンを明確にしましょう。これは重大かつ美味しい事実です。

 戦前の日本の中高等教育にあって、同性愛は悪い事ではありませんでした。いや、ノンケこそ軟弱で恥ずべき事だったのです。

 考えてみれば当たり前です。極端な言い方をすれば、薩摩や土佐のホモ侍がイートン校をお手本に作った世界なのですから。これでノンケになる方が間違いです。

 例えば嘉農への賛辞を送った菊池寛がガチホモなのはもはや常識ですが、彼は旧制一高を一度中退しています。この顛末が戦前日本のイカ臭い教育事情を切り取っています。

 菊池寛には佐野文夫というホモ達が居ました。この男は戦前のまだテロ集団であった共産党で要職を占めたホミンテルンですが、あろうことか女と浮気して盗品のマントを質入れしてデート資金を作りました。菊池寛は愛する男の罪を被って退学したのです。

 また、当時の学校では下級生を小姓として愛する慣習が広く行われ、菊池寛の中学時代の小姓(ペットと呼ばれた!)の元にはラブレターや交換日記が大量に残っています。

 ガチホモ一直線の菊池寛は長じて日本第一の文豪となり、女に走って愛する男に罪をかぶせた佐野はテロリストになった挙句追放され、警察にかつての仲間を売った挙句肺病で死にました。これは男色の効能の証明ではないでしょうか?

 従って、当時の球児がテーバイの神聖隊のようにグラウンドだけでなく布団の中でもケツ束を深めたとしても何もおかしくありません。同性愛者をリンチして殺していたキリスト教原理主義者のたわごとなど何の役に立ちましょうや?

 大体、タニマチにソープランドを貸しきりにしてもらうだの、マネージャーを妊娠させるだの、戦後の球児がよくやる女絡みの汚らわしい醜聞に比べれば、仲間同士でホモセックスに耽るのは健全で有益です。ビデオに出たってチアガールを慰安婦にするよりはマシだと私は思います。

 最近の球児はカメラの前で平然とホモキスをやってのけますが、これは時代が進歩したのではありません。古き良き時代に立ち返る道すがらに過ぎないのです。

監督本当に男色家説

 監督が松山出身というのも見逃せません。松山に野球と言えば正岡子規。彼の野球好きは弟子の碧梧桐が「変態現象」と呼ぶほどでした。

 そして、正岡子規と夏目漱石がホモ達なのも状況証拠から明白です。ノンケが変態の世界で何も無いのにあんなに仲が良い方が不気味です。

 世代的にも監督は間接的に子規の影響を受けているのは間違いありません。下手をしたら面識があります。将来台湾で野球花を咲かせる野球少年に、変態野球マニアの子規がしつこく絡んだというのはあり得る話しです。

 何なら子規は近藤少年にこんな事を言ったかもしれません。「You一高に入っちゃいなYo!」とか。勿論、私には作れない高度な俳句にして。

 そして松山で挫折した監督が台湾に流れてくるのも意味深です。『クールランニング』の時に私は「辺境に居る白人はキリスト教から逃れてきたホモ」という説を提唱しました。

 実際日本に来るお雇い外国人はそういうホモが多かったのですが、今回もこれが生きてきます。同じ構造です。もっとも、日本でも台湾でも同性愛を否定した様子は全くありませんが。

 監督が逞しい南国の美青年を求めて台湾に辿り着いたというのは飛躍的発想だとしても、この方法論は驚くべき物ではありません。

 だって、進駐軍の日系人が近所の美少年を集めて作った野球チームが、日本の芸能史を永遠に変えてしまったのは誰にも否定できない事実なのですから。

甲子園は女人禁制

 しかし、女が出てこない映画です。いや、出てきますが全く重きを成しません。

 監督の奥さんや娘は選手達にとってある程度存在意義がありますが、居なくても話は成立します。何しろ奥さんが最初に作ったうどんは監督が選手達の不甲斐なさに怒って食べさせるのを拒否したのです。

 名目上のヒロインはしずかちゃんですが、彼女は早々に嫁に行ってしまいます。アキラにとってはショッキングで重大な出来事だったのは確かですが、ストーリー上彼女の居る意義は何もありません。

 あとは優勝パレードを見物に来ていた女学生が後の上松の奥さんですが、これは有力者である彼の遺族を立てる為に挿入されたシーンであると私は想像します。

 長々書きましたが、この映画は男だけの映画と言えます。後楽園のサウナに足繁く通ったという淀川先生は言いました。「男だけの映画にハズレなし」と。

監督×アキラ

 さて、真面目に観ると居なくてもいいしずかちゃんですが、BL的には重要なキーマンになります。

 アキラは確かにしずかちゃんが好きでした。ですがしずかちゃんは台中の医者に嫁入りしてしまいます。まだ結婚相手を当人が選べない時代の話です。

 アキラにとっては甲子園の決勝で負けるよりも辛い出来事であったはずです。決勝で負けても準優勝したと言えますが、好きだった女の子が遠くの金持ちの元へ嫁に行くと何も残りません。

 ホモに走っても無理のない話です。しかも、現代よりも男達の世界は気軽にして崇高なのです。

 一方、監督は台湾に来たものの嘉農の監督になる気はありませんでした。嘉農はあまりに弱く、松山での失敗の傷はまだ癒えていません。

 しかし、アキラの肩の強さに監督は未来を見ます。まるでジョーと丹下団平です。

 就任早々お前達を甲子園に連れて行くと宣言し、ランニングで選手達を絞るのは屈服させる為です。甲子園と連呼しながら走らせるのに至っては羞恥プレイです。

 選手達は監督を恐れ、審判を殴った、甲子園でホームランを打ちまくった、挙句はかつて身長が180センチあったなどと真偽不明の伝説が流布する有様です。

 しかし、失敗すると恥をかくのは監督も同じです。これは日本古来の美しい主従愛の境地と言えます。それに監督も一緒に走っています。これはなかなか出来る事ではありません。

 主君が責任を負う事の尊さを端的に示しています。ホミンテルンの伯爵様が北欧の美少年をゲイバーに連れて行くのとは訳が違います。

 蘇や平野が転部して来てメンバーが揃って来たタイミングでしずかちゃんが嫁に行く事になったのは、あるいは監督の差し金かも知れません。

 冷静に考えれば、本屋の店員がイケメンの医者に嫁げるならかなりの良縁です。これはアキラを女から引き離す為に監督が手を回して作った縁談だと考えれないでしょうか?

 何しろ女は足にきます。そしてBL的にはしずかちゃんは邪魔者です。独占欲の強い監督が己の利益を確保するとともに、アキラの輝かしい将来を小娘が邪魔しないように計らったというのはありそうな話です。

 メンタルの乱れを監督は利用し、アキラをピッチャーに抜擢します。そしてボディタッチしながらフォームを矯正して覚醒させます。

 これはもうメス堕ちのメタファーです。最初は苦痛だったのに、いつの間にかそれが快感に変わる。最初から気持ち良いのはBLのご都合主義で、苦痛の先に快楽があるのがリアルなのです。

 嘉農は初得点を記録しますが、アキラは夏祭りの夜にしずかちゃんが例の医者と自転車で二人乗りしているのを見て酷いショックを受けます。

 直後に映画館で他校の生徒と喧嘩したのは責められません。女は盗られる、まだ野球も勝てない。鬱憤が暴力に転嫁されるのは当然の帰結です。

 監督はこれをチャンスと捉え、野球で決着をつけると称して練習試合に持ち込みます。これは『ダイナマイトどんどん』のノリです。

 結果は残酷で負けてしまい、最上級生の斎藤と大江はこの試合を最後に野球部を去る事になります。

 監督も堪えたらしく、選手に一晩中ろうそくの火を見つめるという剣豪の修行のようなトレーニングを課し、選手を鷹に例えたポエムなど詠んで動揺します。

 しずかちゃんの祝言も行われ、アキラも出席と爆竹を鳴らす事を強要されて事態は最悪の段階に達します。思えば、しずかちゃんが現れると良くない事が起きます。

 しかし、濱田先生の助けもあってアキラは回復します。チームは一丸となり、アキラは予選の一回戦を完全試合で飾ります。半端ではありません。

 更に監督は裏技を残していて、打者のタイミングを外す方法を伝授して修羅場をしのぎます。

 最初からやらせずにピンチになってからやらせるのがポイントです。ピッチャーは修羅場をくぐって成長するものです。そして、アキラがしくじるはずがないと確信しているのです。一発勝負のトーナメントでやるのは並大抵の事ではありません。

 かくして甲子園出場を決めたナインは監督に泣きながら礼を言いますが、勝ったのに泣くなと攻め様を爆発させます。負けても泣くな。勝っても泣くな。監督も昂っている証拠です。

 卒業生として優勝パレードを見物に来た斎藤と大江を嘉農の一員だからとパレードに入れるのは監督のカリスマの極致です。もっとも、彼らは架空の人物だそうですが。

 そして優勝パレードの最中に嘉南大圳が完成し、ついに水が嘉義の田んぼにやってきます。奇跡的なタイミングとしか言いようがありません。

 選手達はパレードをおっぽり出して水を見に行きます。彼らは台湾農業の未来を担う存在なれば、野球も大事ですがダムも大事なのです。エキサイトして水路に飛び込んだ者まで居るのは、大沢たかおも居る事ですし猛虎魂というわけです。

 札幌商業を撃破して台湾商工会まで嘉農は味方に付けます。嫁に行ったしずかちゃんはお祝いののぼりを立てたところで産気づきますが、どうでもいい事です。

 映画ではオレンジジュースで乾杯程度でしたが、現実的にはあの後は芸者を揚げてどんちゃん騒ぎです。あんな小娘は忘れて野球で勝ってちやほやされろと監督は説くでしょう。野球選手に女は使い捨てのオメコ芸者だけで十分なのです。

 決勝前夜に旅館の部屋に忍び込んでアキラと選手達に布団をかけてやる様は攻め様のくせに嫁のようです。

 そして決して選手に弱みを見せなかった監督は甲子園に連れて来てくれた礼を述べて去ります。ツンデレです。しかもアキラは聞いています。大部屋の旅館だから良かったようなものを、ホテルの個室ならおっぱじまる所です。

 決勝ともなると満員御礼、解説者(元ロッテの水上善雄)もついて大騒ぎです。台湾でアキラは麒麟児と呼ばれているという素敵情報を教えてくれます。キリンは盛んにホモセックスをする動物です。

 吉田とアキラの球筋が似ているという指摘に対して、監督は吉田は変化球のコントロールが悪いという弱点を見抜いて披露します。

 これは俺のアキラがあんな味噌カツ野郎に負けるわけがないという自信の発露です。

 しかもアキラは監督の分析通りに吉田が変化球でカウントを悪くして投げた直球を打ち返します。アキラは打席に居るのでこの分析を聞けなかったはずなのに、愛の奇跡です。

 しかし、アキラの手に出来た豆が悪さをして痛みが襲います。監督は控えピッチャーを用意させますが、アキラは完投すると言い張ります。

 監督は自らアキラを治療し、責任は自分が取ると言い切ってマウンドに再び送り出します。お前となら一緒に死ねる。これはもう井原西鶴の世界観です。

 連続フォアボールで押し出しになりますが、あくまで監督はアキラを信じています。もう余人には立ち入れないレベルです。

 結局アキラはバックを信用して打たせて取る事で窮地を乗り越えました。これは監督の小姓達のケツ束の勝利であります。アキラだけが監督の男じゃない。俺達は同じ男に忠誠を誓った精鋭だという事です。監督はもうビンビンでしょう。

 最終回を前に監督はアキラを治療しながら自分と仲間を信じろと言い残します。アキラは史実を曲げて最後の打者として吉田に屈しますが、もうここまで来ると勝ち負けは問題ではありません。愛の前には優勝旗などぼろきれなのです。

 監督はアキラの奮闘を前に急激にデレ始め、上松達に禁止していた歌を歌うように命じます。もっと大声で歌えというのはもう監督の中で何かが変わった証拠です、。

 外野フライに倒れたアキラはホームベース上で泣き崩れ、監督は涙声になりながら泣いてはならんと命じ、結局全員で泣きます。

 そして船上で野球をするシーンで映画は終わります。何しろ船ではとやかく言われません。船室がハッテン場に変身するのは避けようのない事なのです。

監督×濱田先生

 濱田先生が監督を監督にしました。つまり濱田先生は嘉農の恩人であり、監督の恩人でもあります。

 渋る監督に自作のバナナを持参して何度も監督就任を頼みに行きます。子供が食べ飽きてうんざりする程です。

 それはさておき、バナナを食べろと監督に勧めるのはかなり意味深です。パパイヤでも良かったはずなのにバナナですから、もうそういう事です。

 濱田先生は常に監督の味方です。偉い人に支援を頼みに行く時も一緒、練習試合では審判を引き受け、監督の攻め様力の及ばない時には別のアプローチから解決を試みます。

 しずかちゃんの嫁入りとメンバー離脱でメンタルが最悪の状態になったアキラを救ったのは濱田先生でした。アキラと平野を自宅の実験農場に招き、励ます様は慈母のようです。

 ついでに監督を俺のライバルとか言っちゃうのはさりげないですが強烈な正妻アピールです。お前達は監督の実質的な息子かも知れないが、母無くして子は生まれないというわけです。監督を引き込んだのはあくまで濱田先生なのですから。

 濱田先生がパパイヤの木を例え話に出したのはBL的には見逃せません。実のならないパパイヤの根に釘を打つと、生存の危機に立たされた木が本気を出して実をつけるというのです。

 専門的には、根にショックを与えるとオスの木がメスになるのだそうです。これはかなり意味深です。一番大事な部分に硬くて長いブツをぶち込まれた結果オスがメスになるのですから。

 ホモ話はさておき、濱田先生はアキラにこの木のように後がないから頑張れと奮起を促しているのです。泣かせます。

 そして、1本だけ釘を打たなかったパパイヤも披露します。周りの木に合わせて大きく成長するのだそうです。

 これはホモのケツ束力を暗示しています。そして、目標を高く設定する事の大事さを説いているのです。

 濱田先生のパパイヤトークで嘉農の置かれた状況は底を打ち、好転します。監督だけではこの難局を乗り越えられなかったでしょう。

 貧乏野球部なので濱田先生は甲子園には行かず留守番ですが、アキラのおじさんの本屋に設置されたラジオ応援席では最前列真ん中に陣取っています。これは嘉義の街が濱田先生をチームの一因であり精神的支柱として認めていた証明です。

 アキラ血豆騒動でも平野が濱田先生のパパイヤ理論を掲げて完投を主張します。何の事だかわからない監督ですが、完投させたのは熱意が通じた証拠であり、濱田先生の言葉が平野を通じて甲子園に響いた瞬間なのです。

 いい歳なのに独身の濱田先生の事です。もうこの後は野球部員を食いまくりでしょう。バナナやパパイヤばかりではなく、台湾のホモ文化をも先生は変えてしまったのだと想像すると楽しいではありませんか。

監督×蘇

 蘇は監督がチームに引き入れたという点では特別な選手です。テニスラケットを破壊しながらファウルボールを打ち返した蘇のパワーと生意気な目つきに監督は参ってしまい、野球部に転部させます。

 冷静に考えれば無茶な話です。蘇はテニス部でも有望選手だったはずで、当人も周囲も簡単に転部を承知するとは思えません。

 監督が蘇を下のバットで承知させたとしても驚くべき事でしょうか?監督の攻め様ぶりはBL作家の限界を超えています。

 蘇のおばあちゃんは頭に球が当たって孫が馬鹿になるのを恐れて反対し、占いで阻止しようとしますが、神様は転部しろとお告げします。

 監督の見守る前で蘇自らにやり直しをさせますが、やはり神様は転部しろと譲りません。台湾の神様は腐女子なのでしょう。

 その直後にバットを腰で振るようにボディタッチを交えて指導するのはかなり意味深です。しかも指導は効果てきめんですから、神の定めるカップルだったという事なのでしょう。

 投手アキラの覚醒をバッターボックスで見たのは蘇でした。アキラの剛速球に驚いているというのはノンケの発想で、私にはジェラシーが見えます。

 俺という者がありながらというわけです。小姓同士を競わせるのが近藤イズムなのです。それが勝利を呼び、ナイターを充実させるわけです。

 蘇は台詞は少ないですが確実に力を付け、台湾予選の決勝ではあわやホームランという打球を飛ばして監督とおばあちゃんを悦ばせます。

 彼が甲子園でバットを折りながらフェンスにぶち込んだのを見て審判が協議し始めた時の蘇の困惑の表情がキュートです。俺何か悪い事したかな?と不安にさいなまれています。

 一方監督は渋い表情です。蘇にいちゃもんを付けたらただじゃ済まさんと顔に書いています。審判を殴ったという伝説が真実になりそうな勢いです。

 幸い審判は意地悪ではなく、ボーイスカウトにペンキを持って来させて蘇に着弾点へ署名をさせます。監督は渋い表情をしながら心はアヘ顔に違いありません。

 決勝で怪物吉田を前にしてもヒット性の打球を飛ばすのは腰の鍛錬の賜物です。

 そして打たせて取る戦術にシフトした選手達はいらっしゃいませと連呼し始めますが、これも本物の蘇の証言によります。もはや意味不明ですが、嘉農の情熱と団結を象徴するシーンであるのは確かです。

 台湾パワーを最も直接的に大観衆に披露した蘇は長じて台湾野球の国宝と呼ばれるまでになります。蘇が教え子たちにバットを腰で振る事を命じたのは議論の余地がないでしょう。

 掘られて掘って掘らせる。そう、歴史は繰り返すのです。

監督×平野

 監督にとって台湾で最初の男は、実は平野でした。まだ陸上部だった平野が監督にぶつかり、監督の風呂桶を破壊したのが監督と嘉農野球部の事実上のファーストコンタクトだったのです。

 監督はランニングで自分達を追い抜いていく平野に目を付け、早速野球部に引っ張ります。

 目を付けた極上のオスは必ず手に入れる。長嶋巨人や王ダイエーも驚く強欲ぶりです。

 王長嶋は獲った選手を腐らせてしまう悪癖がありますが、監督は違います。平野を早速一番打者として起用し、平野はそれに応えて大活躍を見せます。

 喧嘩も平野が殴られた事から始まり、これで結果として嘉農は勢いづいたので功労者です。

 アキラが甲子園に行けるのか疑問を抱いている状況でも、平野は監督についていけばやれると信じているあたりは相当です。やはり最初の男はアドバンテージがあるのでしょう。

 濱田先生のパパイヤトークで、ビンロウをヤシの木の間に植えたら巨大なビンロウが出来るのだろうかと愉快な話をするのも意味深です。

 ビンロウは台湾人にとって欠かせざる嗜好品ですが、最近までビンロウはエッチな格好のお姉ちゃんが売る物でした。つまり、平野は既にメスになっているのです。

 ビンロウをキメたかのように平野は走りまくり、甲子園でもいきなり初ヒットを打ってアピールを欠かしません。

 札幌商業戦で蘇が甲子園史上に残る大飛球を放てば、平野も負けじとランニングホームランをかますのは明らかにアピール合戦です。

 しかし、監督にとっては小姓たちが競い合う事こそ快楽であり、あいつが打てば俺も打つというのは野球物における最も高級なBLであります。監督が選手同士がデキたからと言ってあれこれ言うはずがありません。

 パパイヤ理論でアキラと監督を勇気づけ、ラストイニングはセーフティーバントまで決めます。これに至っては神様が追い風を吹かせたとしか思えません。

 そしてEDでは平野がアキラの後任のピッチャーになった事も語られます。平野の甘美なパパイヤが監督を魅了したのです。

監督×小里

 小里は関西人です。現代の高校野球で関西人が居るチームは憎まれるのが常ですが、彼の場合ちゃんと台湾に居住実態があるので許されますし嘉義の人々も同意見です。敬遠の好きな流刑地の王様には見習っていただきたいものです。

 しかし、夏祭りの夜に小里の父は台風の水害で負傷し、監督に泣きながら内地に帰る事を告げます。

 監督はあくまでデレず、小里に甲子園だと思って打席に立てと命じ、アキラには小里を最強のライバルだと思って相手をしろと命じます。

 結果はクリーンヒット。そして監督は小里家に説得に向かい、残留交渉を成功させます。金のやりくり以外は本当に完璧なお人です。

 八田先生は部下の雇用に気を配った事で知られているので、監督だけでなく先生も計らってくれたのかもしれません。

 記者の失礼な質問に立ち向かったのも小里でした。関西人としてこれは許せなかったのでしょう。良い話です。これで河内音頭が出来ます。

 吉田とアキラの球筋が似ているのを見抜いたのも小里でした。アキラに打たせて取る戦術を提案したのも小里でした。やはり背負っている物が一人だけ重いので高等衆道の境地が分かっています。

 栄光に満ちた青春の日々。それは地上で最も強烈な麻薬であって、阿片などシンナー程の立ち位置に過ぎません。

監督×上松

 上松は作中目立ちませんが、嘉農の教員になったという点では近藤イズムを最も顕著に受け継いだ存在と言えます。

 そして、監督の猛練習で意味深なシーンがあります。腰を落とした上松に監督が跨り、その状態で捕球練習をするのです。

 腰を低くするという内野守備の基本を身に着ける古典的な方法ですが、この状態で上松が悲鳴を上げるのは完全に別の何かです。これ絶対挿入ってるよね。

 上松は地味ですがショートなので一番大事な所を守っています。従って打たせて取る戦術で一番貢献したのは上松です。年長者の意地というわけです。

 ラストイニングで三振(史実と違うので遺族が怒ったらしい)しますが、アキラを歌って励ます様に奥さんは惚れたのでしょう。きっと腐女子です。

 後に上松は台湾が世界に誇る十種競技世界記録保持者、楊伝広を見出しました。近藤イズムは教義の枠をも超え、ひいては台湾の全ての人に受け継がれているのです。

監督×街の偉い人

 野球部は金がかかります。甲子園に初出場して勝ち進んでしまった公立校が赤字を出して騒ぎになるというのはありふれた話です。

 嘉農も熱意はあっても金がないので、監督は嫌味な偉い人に支援を頼みに行きます。

 しかし偉い人は差別丸出しで嘉農をディスり、監督はブチ切れて元も子もなくなります。

 監督は台風の中で酔っぱらって田んぼで夜を明かしますが、台風の中で寝ても無傷で朝を迎えるのは神の御意思です。死体も出てこないのが普通です。

 監督は校長にも支援を頼み、何でもやるとまで言いますが返事は色よくありません。校長はノンケなのでしょう。

 なので監督は給料を持ち出して野球部を支えます。監督の愛は本物です。スーパー攻め様と呼ぶには甲斐性がありませんが、純愛です。

 この偉い人は甲子園を決めた嘉農を祝福しに来ますが、監督に一礼されてしょんぼりしてしまいます。金子信雄なら厚かましくタニマチ面をするところなので、やはりこの映画は優しい世界なのです。

 きっとこの偉い人は己の小ささを恥じ、この後何度も甲子園に行かなければいけない嘉農に援助を惜しまなかったでしょう。

 しかし、選手達を侮辱した問題は清算されていません。そう、ここは身体で払わねばいけません。

 監督の夜の千本ノックに偉い人は屈服し、尚の事嘉農を贔屓にするようになってしまいます。監督の攻め様力とチームの団ケツの勝利です。

監督×小池

 小池に限らず記者は差別意識丸出しでかなり失礼です。嘉農の選手を原始人扱いしています。

 小池に至っては高砂族は日本語が出来るのかとまで抜かします。これは失礼であると同時に無知です。動機はどうあれ日本は台湾を内地と同等に発展させようとしていたのですから、天皇陛下の御心を理解しない不敬な質問と言わざるを得ません。

 監督は当然ブチ切れて痛烈に反論します。これこそが主従愛のあるべき姿です。掘った男を全員不幸にしたイタリアの豚伯爵とは訳が違います。

 札幌商業との試合で先制されたというので小池またも嘉農をディスりますが、蘇がフェンス直撃弾をぶち込んだのをみて顔色を変えます。常夏の太陽の下で鍛え抜かれた逞しき台湾男児の素晴らしさに目覚めてしまったのは明らかです。

 嘉農が勝つなり手帳に「太陽の強襲、千年の氷を溶かす」という耽美な見出しを書いてしまうあたり、この男はやはり筋金入りのホモです。ノンケにはちょっと考え付かないコピーではありませんか。

 決勝を偶然錠者の近くの席で観戦していた小池はアキラの最終打席を前に例の菊池寛の嘉農への賛辞を読み上げます。実質菊池寛なのでまさにホモは文豪です。

 小池は監督に謝りに行かなければいけません。そこで掘られるのは仕方ない事で、願ったりかなったりです。野球記者は監督と仲良くなければやっていけない職業なのですから。

佐藤監督×監督

 攻め様も恩師の前ではあへあへする。それこそが主従愛の尊さという物です。

 監督は過激な指導方針で選手のメンタルまでもキレ痔にしてしまい、負けそうな試合でしょんぼりしている選手達を罵った挙句グローブを地面にたたきつける醜態をさらした事があります。

 それを感情的に叱らず、グローブは選手の魂ではないのかと優しく諭したのが佐藤監督です。

 同じ哲学を持っている野球人を知っています。清原和博です。彼は決してバットを粗末にしない事で知られています。ただ一度の例外ばかりがテレビで繰り返し放送されているのです。

 KKコンビの薄い本は沢山あったそうですが、清原は道を誤り、ゲイの世界で願望的にささやかれていたスイッチヒッター説を裏付ける醜態を晒してしまいました。ただし清原は順調に更生の道を進んでいるので、またやらない限り尊重されるべきであります。


 監督は辞表を出して松山を去りますが、佐藤の言葉は常に監督の支えであり続けます。何かというと監督は佐藤の授けた野球訓を引用するのです。

 監督は決勝を前に佐藤監督を居酒屋に招いて助言を求めます。準決勝で松山商業は負けたというのに助けに来てくれる佐藤監督はやはり立派な人です。

 佐藤監督は一度は逃げた監督が嘉農を鍛えぬいて戻ってきたことを褒め称え、監督は負けるのが怖いと佐藤監督に吐露します。

 しかし、佐藤監督は打たれるのを恐れてはいけないという、監督がアキラに授けた言葉を改めて授けて励まします。甲子園球場は阪神電鉄が持っているだけに、この尊いホモトレインは効きます。

 ついでに野球は守備側が主導権を持つ唯一の球技であり、アキラが鍵を握っていると説きます。

 ピッチャー攻めが明白になりました。これは重要な事です。

 

実例で学ぶナマモノ野球BLの力学

 アキラのカップリングに入る前に野球BLのカップリングについて考えてみましょう。

 野球というのはチームスポーツでありながら一騎打ちという側面を内包しています。従ってピッチャーが常に中心にあるわけで、BLにおいてもこれは変わりません。

 例えばピッチャーにとっての女房役、タマを受けるキャッチャーは基本的には受けです。甲子園的に言うと香川×牛島がありえないのは想像がつくはずです。香川のBLがありえないとは言わせません。ドカベンBLは大手なのですから。

 そもそも、ピッチャーはお山の大将でないと務まりません。性格的に攻め気質なのです。そんなピッチャーの相手をするキャッチャーが受け気質なのも当然です。

 これはマウンドに居なくも同じ事で、同じハーレムの主でも星野仙一は明らかにスーパー攻め様気質であり、ノムさんは執拗な誘い受けです。性格が出るのです。

 一方ピッチャーと直接戦うバッターはどうか?これはやはり勝った方が攻めであるべきでしょう。屈服させた相手を掘り、屈服された相手に犯される。美しいではありませんか。

 また清原の話をしましょう。何しろ甲子園は清原の為にあるのでエピソードも豊富です。

 清原が数えきれないほど打ったホームランの中で最高の一発に挙げるのは、3年の夏に高知商業の中山裕章から打った物です。

 甲子園史上初の150キロ投手である中山から、バットをへこませながらレフト最上段に叩き込んだホームランは清原にとって忘れられない一発であり、このホームランのような最高の一発を打ってから引退しようとして清原はあんな事になってしまいました。

 つまり、この瞬間中山は清原にガン掘りされてしまい、清原も中山という極上のオスを忘れられなかったのです。どっちも犯罪を犯すに至ったのは残念ですが、中山は台湾で事業をしているので嘉農と縁がないではありません。

 そして、甲子園ではスーパー攻め様だった清原が屈服したケースが3年の春です。これまた高知県の無名校、伊野商業との試合でした。もっとも、この学校は高知では偏差値30代を誇る地獄のような学校として悪名高いのですが。

 無名校のメガネっ子ピッチャー渡辺智男は他の選手にはそれほど凄いピッチャーには見えませんでしたが、清原はその球を見て顔色を変えました。渡辺は清原にだけ本気で投げたのです。

 清原は渡辺の剛速球に完全に屈服し、伊野商業はそのまま優勝してしまいました。高校時代の清原が完敗を認めた唯一の相手が渡辺です。

 渡辺は社会人野球に進んでオリンピックで銅メダルを取り、西武に入団しました。清原は渡辺の西武入りについて「味方で良かった」と言いました。野茂にも伊良部にも屈しなかった清原なのに、全盛期の自分を征服した渡辺だけは恐れたのです。

 究極には、成績の数字だけでBLが十分に成立します。これに数字で表現できないストーリーが加われば無敵です。

 ピッチャー同士も勝ち負けが攻め受けを決めます。今度は桑田をベースにしましょう。あの人は明らかに鬼畜攻めです。

 桑田は甲子園で3回しか負けませんでした。その最後の3敗目を喫した相手が誰あろう渡辺だったのです。彼こそがKKコンビをガン掘りした男。

 桑田と渡辺の最初で最後の再戦が5年後の日本シリーズでした。どちらも完投しましたが渡辺が完封勝ち、桑田は7失点とあまりに残酷な結末になりました。

 清原も最終回にタイムリーを打っています。これが桑田との2度目の対決であり、初打点でした。

 とすれば、この時桑田は清原と渡辺に前から後ろから犯し尽くされたのです。断じて負けないという姿勢を貫き通した宿敵渡辺筆舌に尽くしがたい感情の交錯するかつての相棒を打倒せんと燃える清原、一方桑田は我を押し通して巨人に入ったというのに、悪い噂のツケが一気に回って謹慎したシーズンでもありました

 KKコンビBLは定番ですが、一人の男を挟むだけでこんなにも深みが増すのが野球BLの奥深さであり、豊饒さであります。さあ、間もなく開幕するプロ野球を観戦する事から始めましょう。

アキラ×東

 やっぱりピッチャー×キャッチャーは王道です。このカップリングが駄目な野球物は作品として破綻しています。

 名目上のキャプテンはアキラですが、アキラは感情的になりやすいので実質東がキャプテンです。彼のリーダーシップは台湾で「神捕」と呼ばれたのも納得です。

 豆を潰して尚完投すると言い張るアキラを叱ったのは監督ではなく東でした。自分だけが英雄になりたいのかという言葉は痛烈ですが、同時に俺達を信じろというメッセージでもあります。

 ピッチャーというのはややもすると仲間を軽視しがちな人種であります。それを尊重するにせよ改めるにせよ、キャッチャーは上手くコントロールしないといけません。

 古い夫婦像に似ています。亭主を束縛するならば徹底していなければならず、究極には好き勝手させるふりをしてうまく誘導するのが最強の女房です。東の操縦術はその点完璧です。

 そうしてアキラを納得させて打たせて取る戦術にシフトし、クロスプレーの末に得点を阻止したのはこのカップルの最尊シーンです。

 キャッチャーはチームの為に痛い思いをする覚悟と勇気が求められます。そして、失敗した時にはピッチャーの責任になります。キャッチャーとは受けの勇者の生き様なのです。

アキラ×錠者

 本作の大トロはここであり、錠者こそがメインヒロインです。錠者は完全にアキラに堕ちています。フィリピンへ赴く途中に嘉義に寄るという行為からして大概です。

 既に戦況は最悪で、フィリピンに着く前にバシー海峡の藻屑と消える可能性の方が高い時期です。現に八田先生はそうなってしまい、奥さんは終戦の日に嘉南大圳に身投げしました。戦争の悲劇です。

 それでも錠者の心はアキラとの輝かしい思い出が占めているのです。だから死ぬ前に嘉義が見たいと願ったのです。

 甲子園の開会式の時点で錠者は明らかに嘉義を気にしています。旗手として入場し、必勝を宣言した錠者に対し、船の遅れで慌ててグラウンドに駆け込んできた嘉農

 堅実な札幌商業とユニークな嘉農は真反対に見えますが、根っこは似ています。台湾も北海道も日本の端であり、出自のバラバラな開拓者が支えているのです。錠者が親近感を持ったのは当たり前です。

 錠者は大連実業を下して2回戦進出を決めますが、スタンドでアキラの速球にビビります。ピッチャーというの俺様気質な生き物ですが、それだけに負けを認めざるを得ない相手には敏感になるものです。

 札幌の監督(滝裕二郎)もそこはハーレムの主なので錠者の不安を見抜いて励まし、錠者は必勝を宣言するもののアキラのような球を投げられないと畏れます。

 あくまで監督は錠者を庇い、球速が全てではないと説きます。大変なケツ物です。日本の両端にカリスマが居た時代だったのです。

 錠者は蘇に凄い打球を撃たれて酷く困惑し、上松に危険球をかまし、呉にタイムリーを打たれ、平野のランニングホームランでついにマウンドを自ら降ります。

 自らマウンドを放棄するというのはピッチャーとして、特に甲子園球児としては許されない行為です。しかし監督は決して錠者を責めません。錠者が心の尻をレイプされて血を流しているのを監督は分かっているのです。

 それどころか監督は嘉農の闘志を褒め称え、錠者と一緒に潔く負けを認めます。監督も嘉農に心のアナルを掘られてメスになってしまっているのです。

 錠者は負けても帰らずに居残り、スタンドで勝ち進んだ嘉農の試合を観戦します。これも相当です。

 何しろ現代とは交通事情が違います。札幌まで帰るのを遅らせるというのは簡単な事ではないのです。それでもやったのは錠者のアキラ愛であり、監督の錠者愛の結実です。

 居ても立っても居られない錠者はあろう事か便所でアキラを待ち受けます。いくらなんでもやり過ぎです。錠者の父親はホモの兵隊と宝探しをしたのかも知れません。

 アキラは「便所で待ち伏せ何て礼儀正しいんだな」とビーンボールをぶちかまします。これはどっちもこのシチュエーションの意味が分かっています。

 錠者は俺達に勝った以上は優勝してくれとアキラに頼み、ラッキーボールを差し出して優勝したら返してくれと熱い事を言います。

 アキラは礼を言いますが、俺にとってもラッキーボールとは限らないし言われなくても優勝する気だからと突っ返します。

 返すというのは意外に思うかもしれません。しかと受け取ってお前の気持ち受け取ったぜとか言うのお約束という物でしょう。

 しかし考えてみてください。このお約束は健さんのメンタリティです。つまり受けのやる事です。だからピッチャーはこれでいいのです。

 ところが、錠者は返ってきたラッキーボールに血が付いてるのを見て顔色を変えます。アキラの故障に最初に気付いたのが錠者だったわけです。

 アキラの暴投の真相に気付いたのも東と同時でした。ピッチャー同士に言葉は必要ないのです。

 そして錠者は嘉農の打たせて取る戦術に感動し、嘉農のグランドでいらっしゃいませと叫びながら走り回ります。

 イケメンの大尉殿だからいいような物を、一歩間違えば憲兵が来る案件です。錠者は完璧にのぼせ上っています。

 そして敗れた嘉農に錠者は「天下の嘉農」と叫び、一瞬周りはやばい奴が居ると思ったようですがたちまち球場全体に伝染します。錠者が死に際してもアキラを忘れられずにいるのは当然です。

 そして錠者大尉は嘉農のマウンドにあの日のラッキーボールを置いて立ち去ります。この時ついにアキラと錠者は事実上一つになったのです。

吉田×アキラ

 アキラも受けに回る時が来ました。殿堂入り投手が相手では仕方ありません。

 アキラは明らかに吉田を意識していて、吉田と同じ配球で中京の選手を三振に取ります。これは困難ですが尊い奴です。

 そしてその直後に打者として吉田と相対し、ヒット性の外野フライを打たれて吉田は動揺します。簡単に掘らせる相手など甲子園の怪物は願い下げなのです。

 しかし吉田はモビーディックのごとく強く残酷で、嘉農は敗戦濃厚のラストイニングを迎え、ツーアウトでアキラと相対します。

 勢い余って投げてしまった血染めのバットを拾いに来たアキラに吉田は恐れをなします。

 痛いんじゃないのかと思わず武士の情けで聞いてしまった吉田にアキラはパパイヤ理論を持ち出して反論して打席に戻りますが、吉田は困ったと思います。当時の名古屋でパパイヤが容易に買えたとは思えません。

 よくわからん例え話で揺さぶられた吉田はアキラに強烈なファウルを打たれてしまいます。掘るか掘られるかの瀬戸際のせめぎあいです。

 外野フライに倒れたアキラがダイヤモンドを一周してホームベースにへたり込む様を吉田は呆然と眺めます。ともすれば、三連覇を果たせたのはアキラとの激闘があったからではないかと私は思うのです。

 さて、映画はここまでですが、アキラと吉田の闘いは終わりませんでした。アキラは早稲田大学に進学し、吉田は明治大学に。華の六大学野球で第2ラウンドです。

 2人とも野手転向しましたが成績は互角。チームとしては明治が優勢で2人の大学野球は終わりました。

 そして社会人野球で第3ラウンドになります。アキラは台湾拓殖、吉田は藤倉電線、いずれも東京のチームなので都市対抗野球の予選でぶつかります。

 第3ラウンドは完全に吉田の勝利で、都市対抗野球のMVPである橋戸賞も受賞しています。

 しかし、この際勝った負けたはいいでしょう。足かけ10年以上に渡った闘いは男と男を特別な関係にするのに十分な物です。お互いの心に残るライバルであったことは間違いないのです。

呉波はみんなの

 呉波は明らかに嘉農の選手達の小姓です。これを少年が慰み者にされていると考える人は心が汚れています。日本が誇る崇高にして甘美なる少年愛文化は、汚らわしいイタリアのホモ貴族とは根本が違います。

 小姓は戦う男達の心を癒す存在でありますが、一方で男達は小姓の成長に責任を負いました。小姓が長じては小姓を持てるような立派な男に育てるまでが少年愛なのです。尻の穴などおまけに過ぎず、小姓が一人前の男に育つのを見届けるのが最高の快楽なのです。

 呉波は嘉農の選手達に可愛がられ、大切にされています。呉波もまた嘉農の一員であるという意識を持ち、チームの為に尽くしています。ヤったとしても驚く事ではなく、ヤっていなくてもこの関係の尊さは変わりません。

 また『300<スリーハンドレッド>』でも説明しましたが、少年愛の本場である古代ギリシアでは、強き男の精子が少年を強くするという思想が存在しました。呉波がもし嘉農魂を身体で学んだとすれば、大選手になったのは定めです。

お勧めの映画

 独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介し

『ダイナマイトどんどん』(1978 大映)(★★★)(日本の野球映画の最高傑作)
『フィールド・オブ・ドリームス』(1989 米)(★★★★)(野球映画の最高傑作)
『クールランニング』(1993 米)(★★★★)(南の島から殴り込み)

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