タップはした方が良い

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昨日のRIZIN(総合格闘技)の試合を見ての感想となります。

※ 朝倉選手を批判する記事ではないので、その点ご理解の程よろしくお願い致します。


昨日のRIZINでは、メインカードにて朝倉 未来選手とクレベル・コイケ選手が対戦。朝倉選手がまさかの失神KOされるという、衝撃的な結末でした。

久々に格闘技を観た事、「失神」という普段の生活ではお見掛けしない状態の人をTV越しではありますが観た事で、思っている以上にドギマギしてしまいました。

対戦後すぐに朝倉選手がTwitterにて『記憶もあるので大丈夫です』とコメントされ、身体に支障が無さそうだと分かって、一視聴者として安堵しました。
(↓ 下記は、朝倉選手の公式アカウントからのツイート)

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今回の記事タイトルにある事を考えたのは、試合後のファンの書き込みや下記のような記事を想っているよりも多く見かけた為です。

※ 決して朝倉選手へのアンチ記事ではありませんので、その旨ご了承下さい。


朝倉選手は非常にクレバーな立ち回りと、格闘技に対してストイック、自分に対しても厳しい印象のある選手なのですが、それを表す言動の1つに「タップを絶対にしない」というのがあります。

試合直前のVTRでも紹介されていましたが、『タップをして、レフェリーが助けてくれて…』というのが、ギブアップする様で受け付けない(という風に私は解釈しました)との事。

この主義主張は、朝倉選手のように強い方だからこそ成り立つ話だと思います。

また『タップをしない』を貫く事で、試合を観る人が「最後まで諦めない」心を学べれば良い事ですし、エンタメとして観るのであれば「負けるとしても、タップするのかどうか」が注目点になり盛り上がります。

朝倉選手のアンチが居るとしたら「タップするところを観たい」という、これまたエンタメとしてプラスに働く要素になるでしょう。

『タップをしない』発言をする事で、どの立場の観客も、試合に対して注目せざるを得なくなります。朝倉選手も人間で、自身の命も大事だと考えているでしょう。しかし、こういう発言をする事で、格闘技界が盛り上がる、そういう事を計算されているだけでも「クレバーだな~」と感じてしまいます。


ただ、改めて「タップ」の意義を考えたいと思います。

確かにタップ≒ギブアップかもしれませんが、単なる屈辱的な行為なのでしょうか?

『タップをしない』事を、大手を振って称賛されて大丈夫なのでしょうか?私はそこに非常に不安なモノを感じました。

タップがルール上ある理由。

私は2つあると思います。



理由① 自分の命を守る

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対戦中はアドレナリンが噴き出て興奮状態になります。その中で、冷静に締め上げた感触を、技を掛けた側が冷静に判断できるとは限りません。

「『タップしない』という事は、未だ大丈夫なのだ」と見做して、より強く締め上げる可能性だってあります。

もう大丈夫と思って緩めた矢先、猛反撃によって逆転負けをしてしまうリスクもある訳ですから、基本はレフェリーか相手セコンドが止めない限りは締め技は続けられるものだと考えています。

しかし、レフェリーやセコンドが、自分のダメージを正確に把握できているとは限りません。

リングのコーナー傍で見辛い場所で技が決まっている場合、例え映像では映っていても、リアルタイムで目視しているレフェリーやセコンドに、正しい状況が見えているとは限りません。

昨日の試合でも、クレベル選手が朝倉選手を締め上げている途中、周囲にアピールしたからこそ止めることができたような状況に見えました。


タップしない場合、どういう事が起こるか?

大分昔の話で恐縮ですが、アントニオ猪木 VS アクラム・ペールワンの試合では、アクラム選手がタップをしない、レフェリーも試合を止めない、という状況下でしたので、最終的にはアントニオ猪木がアクラム選手の腕を脱臼させて決着となりました。(片目失明もあった壮絶な試合でした…)

今よりも過激な演出も可能な時代でしたので、どこまでがプロレス上のシナリオ通りだったのかは不明ではありますが、あれだけの人数が見守る中でも計画的にもアクシデントでも、命を落とす可能性があるのが「格闘技」です。三沢選手の事故も記憶に新しいですよね…


『タップをする』という事は、その試合で負けが確定するという意味以上に、その後の競技人生を守る意味があると考えます。

観客としても、その試合を楽しむのは勿論ですが、その後も試合が観たいですし、引退されたら解説他でも楽しませて欲しいですから。


② 対戦相手を殺人者にしない


格闘技は、試合直前のマイクパフォーマンスで煽り合いをするとしても、根底には相手へのリスペクトがあります。

選手が、その試合に全てを賭ける気持ちは勿論わかります。真剣勝負で全力で向き合って欲しいし、緊張感ある白熱する試合を観客も観たいです。

しかし、試合後にも人生は自分にも相手にもあります。

真剣勝負の結果だとしても、相手を死に至らしめてしまった場合、重い十字架を背負わされることになります。社会的に罪にならなくても、ネット上での炎上・私刑もある時代です。その後も従来通りの競技人生とはならないでしょう。

プロレスの三沢選手が事故で無くなった際には、その事故の2年前に三沢選手が『もしも俺がリングの上で死ぬことがあったら、その時の相手に伝えてほしい』という手紙を友人に託していた事が後に明らかになり、対戦相手だった斉藤選手の支えになったというエピソードがあります。

ですが、これは例外中の例外で、格闘家全員が対戦相手へ同様の手紙を用意はしていないでしょう。

そうであれば尚更、タップをする事も双方の今後の競技人生も考えた「相手へのリスペクト」なのではないでしょうか。


おわりに

「我慢が美徳」みたいな風潮がありますが、仕事でもプライベートでも、「誰かを頼る」という手段は、もっと活用すべきだと考えます。

タップ=他人の助けを求める、誰かを頼る事だと捉えれば、『タップ』は格闘技だけでなく日常生活で我々も行う事が出来る動作の1つです。

勿論、自分の成長の為にも、視野を広げる為にも、自分で精一杯考える時間を取る事も必要です。

ですが、自分のキャパが分かってないままに、力量の限界を超えてしまう/自身のプライドを優先してしまうとなると、却って取り返しがつかない大失敗に繋がり、次回以降は消極的な思考・言動しか出来なくなってしまうクセが付いてしまう可能性があります。


『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』と言います。

適度に相手に頼る柔軟性がないと、この複雑で不連続な情報社会の中で、その後の人生が逆に狭苦しくなってしまうのではないか、そんな一抹の不安も感じたのでした。

なので、タップしない事を神格化するのではなく、積極的にタップしていこうと訴えたいのでした。


以上、最後までお読み頂きありがとうございました。

※スポーツの知識で拙い所もあり、ツッコミどころもある記事だったと思いますが、何卒ご容赦下さい。

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