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三十一提督の軍艦小話(さわ)

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海軍・軍艦に関する記事をまとめました
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#軍艦

英国軍艦ドレッドノート4代

英国軍艦ドレッドノート4代

 日本海軍や自衛隊ではほとんど例がないのですけれど、欧米の軍艦では抽象的な一般名詞や形容詞を艦名にすることがけっこうあります。表題のドレッドノート Dreadnought もそのひとつで、もともとは「恐れを知らない」といった意味だそうです。
 ふつう、イギリス軍艦ドレッドノートと言えばまず 1906年に進水した革新的な戦艦を思い浮かべますが、その艦名自体は特に限定されない形容詞にすぎないため、長い

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日本海軍の艦隊 全集合(5) 太平洋戦争 後半

日本海軍の艦隊 全集合(5) 太平洋戦争 後半

 日本海軍の艦隊の変遷について説明しています。今回が最終回になります。
 前回の記事は以下になります。

中部太平洋 昭和18(1943)年11月21日、アメリカ軍がギルバート諸島に上陸する。ニミッツ提督が指揮するいわゆる中部太平洋ルートによる反攻のはじまりだった。この地域の防衛は第四艦隊の担任だったが要地防御以上のことはできず、アメリカの機動部隊に対抗できるのは聯合艦隊主力の第二、第三艦隊だった

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日本海軍の艦隊 全集合(4) 太平洋戦争 前半

日本海軍の艦隊 全集合(4) 太平洋戦争 前半

 日本海軍の艦隊の変遷について説明しています。今回は太平洋戦争の開戦から昭和18年末まで。
 前回の記事は以下になります。

第一段作戦 開戦劈頭の真珠湾空襲には第一航空艦隊に第二艦隊から抽出した部隊を付属した機動部隊を臨時編成してあてられた。このように、建制とは別に指揮下(この場合は聯合艦隊の指揮下)の部隊を適宜編合して短期あるいは長期の作戦に充当する部隊編制を軍隊区分と呼ぶ。軍隊区分は指揮官(

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日本海軍の艦隊 全集合(3) 日中戦争

日本海軍の艦隊 全集合(3) 日中戦争

 日本海軍の艦隊の変遷について説明しています。今回は日中戦争の開始から太平洋戦争の直前まで。
 前回の記事は以下になります。

日中の衝突 昭和12(1937)年7月7日、盧溝橋事件で日中戦争が始まった。はじめ戦局の中心は華北地方で北支事変と呼ばれ海軍の関与は限定的だったが、8月9日上海特別陸戦隊の大山大尉が殺害された大山事件をきっかけに華中でも衝突が起こった。日中の全面戦争の様相を呈し支那事変と

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日本海軍の艦隊 全集合(2) 日中戦争以前

日本海軍の艦隊 全集合(2) 日中戦争以前

 日本海軍の艦隊の変遷について説明しています。今回は日露戦争の後から日中戦争がはじまるまで。
 前回の記事は以下になります。

明治から大正にかけて 日露戦争が終わった明治38(1905)年12月20日、戦時編制が解かれて平時体制に復帰したが戦前そのままでというわけではなかった。第一艦隊と第二艦隊が併存した上で、南清艦隊と練習艦隊が編成された。戦力は大幅に縮小され、戦艦はすべて艦隊からはずれ、第一

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日本海軍の艦隊 全集合(1) 日露戦争まで

日本海軍の艦隊 全集合(1) 日露戦争まで

 日本海軍の艦隊の変遷を追ってみようと思います。初回は明治初期から日露戦争まで。

初期の艦隊 日本海軍ではじめに艦隊が編成されたのは明治3(1870)年7月28日(旧暦)に普仏戦争の勃発にともなって中立維持のため小艦隊を編成して横浜、兵庫、長崎、函館各港に警備のための軍艦を配備したときのことである。小艦隊は明治5(1872)年5月18日に中艦隊と改称したが明治8(1875)年10月28日に解散し

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海防艦 新高 遭難記

海防艦 新高 遭難記

 数年前に集中的に調べたことがあるのですが、改めてまとめてみました。見やすくするために軍艦名を太字にしています。

三等巡洋艦 新高 日清戦争後に海軍が計画した軍備拡張計画のうち第二期拡張計画は明治29(1896)年に帝国議会に提出され可決された。この計画に含まれていた三等巡洋艦が新高級として国内で建造されることになった。
 明治34(1901)年1月7日に横須賀海軍造船廠(翌年、横須賀海軍工廠造

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未完の改革者ジョージ・トライオン提督

未完の改革者ジョージ・トライオン提督

 ジョージ・トライオン提督はその最期に起こした失敗で後世にその名を残してしまいましたが、そこに至るまでの過程に注目してみました。
 かなり長いです。

クリミア戦争 1832年1月4日、イングランド中部ブルウィックパークという街でジョージ・トライオン George Tryon は生まれた。父トマス Thomas Tryon (1802-1872) は州長官や州判事をつとめたので名士であることは確か

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日本海軍軍艦の艦内編制(8)分隊、当直、衛兵司令

日本海軍軍艦の艦内編制(8)分隊、当直、衛兵司令

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。最終回は分隊、当直、衛兵司令について。
 前回の記事は以下になります。

分隊長 連載第1回で簡単に触れたが、常務編制として乗員を分隊に編成して大尉または少佐の分隊長を置き、分隊員の教育、人事管理、軍紀維持に責任をもたせた。これはもともと18世紀なかばにイギリス海軍で考案された制度だが、日本海軍では艦船にかぎらずあらゆる組織で分隊が基礎となった。太平

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日本海軍軍艦の艦内編制(7)軍医科、主計科

日本海軍軍艦の艦内編制(7)軍医科、主計科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は医務科、主計科について。
 前回の記事は以下になります。

医務科 医務科では、乗員の健康管理および傷病者治療を担任する。

 軍医長は医務科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 軍医の養成は外部の大学や専門学校に依存した。海軍軍医学校では初任士官教育である普通科学生と、要職にあてるための高等科学生などがあった

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日本海軍軍艦の艦内編制(6)機関科、工作科

日本海軍軍艦の艦内編制(6)機関科、工作科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は機関科、工作科について。
 前回までの記事は以下になります。

機関科 機関科では、機関関係すなわち罐(ボイラー)、機械(外燃機関、内燃機関)、電機、その他(補機と総称)などに関する職務を担任する。
 帆船時代からの長い歴史を経てきた西洋海軍にとって蒸気機関とその操作にあたる機関兵は19世紀前半になってから登場した新参者だったが、その制度を無批

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日本海軍軍艦の艦内編制(5)飛行科、整備科

日本海軍軍艦の艦内編制(5)飛行科、整備科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は飛行科、整備科について。
 前回の記事は以下になります。

飛行科 飛行科では、飛行機に関する作業を担任した。

 飛行長は飛行科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 海軍では陸軍と異なり飛行教育を担当する学校はもうけられなかった。飛行教育は、海軍大臣が教育航空隊に指定した航空隊が担当する。霞ヶ関航空隊や横須賀

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日本海軍艦艇の類別標準の変遷

日本海軍艦艇の類別標準の変遷

 日本海軍での類別標準の変遷をまとめました。

前史 日本海軍が手本としたイギリス海軍では乗員数または搭載砲数を基準とした等級制をとっており、それにならって明治4(1871)年の海軍規則では一等から七等軍艦までに分類した。しかしこの時期には軍艦の装甲化、蒸気化が進行して、こうした一律の基準で等級わけする方法はすでに本国イギリスでも機能しなくなりつつあり、日本でもこうした等級制は形骸化した。結局、等

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日本海軍軍艦の艦内編制(4)運用科

日本海軍軍艦の艦内編制(4)運用科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は運用科と、それを改編した内務科について。
 前回の記事は以下になります。

運用科 運用科では、艦の運用、応急を担任する。かつては帆の操作などを主に担当していたが、帆走設備が廃止されると索具や錨関係、起重機などの作業全般をつかさどった。運用と航海は軍艦にかぎらず乗り物としての船には必須の機能だが、運用は地味に思われてあまり人気がなく出世にも結び

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