見出し画像

日本海軍軍艦の艦内編制(6)機関科、工作科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は機関科、工作科について。
 前回までの記事は以下になります。

機関科

 かん科では、機関関係すなわち罐(ボイラー)、機械(外燃機関、内燃機関)、電機、その他(補機と総称)などに関する職務を担任する。
 帆船時代からの長い歴史を経てきた西洋海軍にとって蒸気機関とその操作にあたる機関兵は19世紀前半になってから登場した新参者だったが、その制度を無批判に導入した日本海軍では創設期から蒸気機関を導入していたにも関わらず、機関関係の職務を兵科とは異なる特殊技能と位置付けいわば兵科の下請け扱いにした。特に士官については養成課程も別にもうけられ、のちに弊害が強くなり合同はたびたび構想されたが実現は戦時中にまで持ち越された。しかし別扱いはその後も続き終戦までその影響は強く残った。機関科は甲板下の艦底に近いところで主に勤務するため、与えられた位置を守って任務を黙々とこなし、艦が最期の段階に至ったときには従容として運命を受け入れることが美徳とされた。

 機関長は機関科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 機関科の術科教育ははじめ、機関科士官養成を主目的とする海軍機関学校でおこなわれていたが、のち海軍工機学校をもうけて分離した。高等科学生課程では機関長として勤務することを目的とした教育が行なわれた。
 兵機合同によって海軍機関学校が海軍兵学校舞鶴分校に改編されると、海軍工機学校は横須賀海軍機関学校と改称し武山にあった分校は大楠海軍機関学校として独立した。大楠校では内燃機関や補機の教育を担当した。

 機関長附は機関科の乗組士官があてられ機関長を輔佐する。通称「チョーヅキ」。他科のように「機関士」と呼ばないのはかつて階級として「機関士」があったため混同を避けたものといわれる。

 掌機長は機関科の乗組特務士官または准士官があてられ、機関科の職務全般について現場では出身者の観点から機関長を輔佐する。

 機関科要具庫員は機関科が用いる要具の保管に任ずる。

 運転幹部は機関の運転を指揮した。運転指揮官には機関長があたり、運転指揮官附は指揮官を輔佐し機関長附があてられた。運転幹部附は運転幹部に属する下士官および兵の総称で、補助員、通信伝令員があった。

 機械部は機関のうち機械を担当する。具体的にはタービン、レシプロなどの外燃機関とディーゼルなどの内燃機関が含まれる。その機械の配置や数量に応じて適宜機械部を編成し、複数に及ぶ場合は第一機械部などと呼んだ。機械部指揮官は分隊長があてられ、機械部附は指揮官を輔佐しあるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。特務士官または准士官が機械部附をつとめる場合は機械長と呼んだ。機械員は機械部に属する下士官および兵の総称で、機械部下士官、運転員、通信伝令員があった。

 罐部は罐(ボイラー)作業を担任する。配置や数量に応じて罐部を編成し、複数におよぶ場合は第一罐部などと呼んだ。罐部指揮官は分隊長があてられ、罐部附は指揮官を輔佐あるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。罐部附を特務士官または准士官がつとめる場合は罐長と呼んだ。罐員は罐部に属する下士官および兵の総称で、罐部下士官、通風員、給水員、給油員、焚火員、通信伝令員があった。

 電機部は発電機や電動機などを担任した。電機部指揮官は分隊長があてられ、電機部附は指揮官を輔佐あるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。特務士官または准士官があてられた場合は電機長と呼んだ。電機員は電機部に属する下士官および兵の総称で、電機部下士官、発電機員、電動機員、機関科電路員、通信伝令員があった。

 補機部は機関や電機以外の機械を担当した。具体的には水圧機、空気圧縮機、冷却機、造水機などである。補機部指揮官は分隊長があてられ、補機部附は指揮官を輔佐あるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。補機員は補機部に属する下士官および兵の総称で、補機部下士官、水圧機員、舵取機員、空気圧縮機員、冷却器員、蒸化器員、通信伝令員があった。

 昭和18(1943)年12月1日付で電機・補機関係が内務科に移されたが、実際には補機関係の多くは関連が強い各科に分散された。水圧機は砲術科に、空気圧縮機は水雷科に、舵取機と蒸化器(造水器)は機関科の機械部に移され、内務科で担当したのは冷却器などである。

工作科

 こうさく科では、艦内での工作工業作業、注排水を担任する。

 工作長は工作科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 工作科の術科教育ははじめ海軍工機学校でおこなわれていたが、軍備拡張にともない学生や練習生が激増し収容しきれなくなったため久里浜に海軍工作学校が独立した。高等科学生課程では工作長として勤務することを目的として教育がおこなわれたが、工作長が廃止されると「工作関係主要職員」むけの教育と位置付けられた。さらに築城術と航空機整備術を担当する沼津海軍工作学校が新設され従来の海軍工作学校は横須賀海軍工作学校と改称した。

 工作士は工作科の乗組士官があてられ工作長を輔佐した。

 掌工作長は工作科の乗組特務士官または准士官があてられ、工作科の職務全般について現場出身者の観点から工作長を輔佐した。

 工作科要具庫員は工作科の用いる要具の保管に任ずる。

 工業部は工作作業を担当する。工業部指揮官は工作長があたるのが基本だが分隊長をあてることもできるとされた。工業部附は指揮官を輔佐あるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。工業員は工業部に属する下士官および兵の総称で、工業部下士官、金工員、木工員、通信伝令員があった。

 注排水部は注排水作業を担任する。注排水部指揮官は工作長があたるが分隊長や乗組士官をあてることもできるとされた。注排水部附は指揮官を輔佐あるいは一部の職務を分掌し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。注排水員は注排水部に属する下士官および兵の総称で、注排水部下士官、管制装置員、弁開閉員、しょくとう員(ポンプ)、補助員、通信伝令員があった。

 工作艦には工作部長以下、工作部員、工作部附が置かれ、工作およひ救難作業にあたった。

 昭和18(1943)年12月1日に艦内編制としての工作科は廃止され、運用科に移されて内務科となった。もともと工作科が担当していた業務は運用科の担当であり昭和3(1928)年に工作科(艦内編制)が独立した。当時は船匠科(兵科)が存在していたが昭和5(1930)年に廃止され工作科(艦内編制)は機関科(兵科)の領分となる。昭和13(1938)年に機関科(兵科)から工作科(兵科)が分離した。昭和18(1943)年に工作科(艦内編制)が廃止されたが工作科(兵科)は残った。兵科と艦内編制の機関科や工作科という単語が入り乱れるが試行錯誤の現れだろう。

おわりに

 次回は医務科、主計科を取り上げます。

 ではまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は「大和ミュージアム」に展示されている巡洋戦艦金剛が搭載していたヤロー水管罐の実物大模型 - ウィキペディアより)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?