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日本海軍軍艦の艦内編制(8)分隊、当直、衛兵司令

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。最終回は分隊、当直、衛兵司令について。
 前回の記事は以下になります。

分隊長

 連載第1回で簡単に触れたが、常務編制として乗員をぶんたいに編成して大尉または少佐の分隊長を置き、分隊員の教育、人事管理、軍紀維持に責任をもたせた。これはもともと18世紀なかばにイギリス海軍で考案された制度だが、日本海軍では艦船にかぎらずあらゆる組織で分隊が基礎となった。太平洋戦争の直前、極秘で編成されていた落下傘部隊の隊員が軍需部に備品を受領に行って所属分隊を聞かれ「分隊はありません」と答えたところ「海軍で分隊がないということがあるか」と追い返されたという話があり、それくらい分隊という組織は海軍のとくに下士官や兵にとっては身近で強い帰属意識をもつ存在だった。分隊長の側にとっても直接の部下である分隊員ひとりひとりの考課表を記入する責任があり、人物や能力などを熟知しておくことが求められた。

 分隊は戦闘編制を基礎に編成するとされており、同一科に属する者で分隊を編成するのが基本とされた。航海科員で一個分隊を編成し、砲術科の各砲台部でそれぞれ分隊を編成するなどである。ただしこれはあくまで大型艦艇を前提とした原則に過ぎず、それぞれの艦艇の乗員数や装備、任務の特性などによって適宜合同したり分散させた。例えば航海科と運用科をあわせて一個の分隊とする、砲術科の測的部は一個分隊とするのが原則だが砲台分隊に分散配属する、医務科や主計科を運用分隊に編入するなどの方法がとられた。駆逐艦では機関科で一個分隊、その他の乗員を三個以内の分隊に編成するのを例とし、小艦艇では全乗員で一個分隊を編成することもあった。具体的な編成例については艦内編成令で詳しく示されているがここでは一部を紹介するにとどめておく。分隊には砲術科、水雷科、航海科、通信科、運用科、飛行科、整備科、機関科、工作科、医務科、主計科の順で通し番号を与え第一分隊などと呼んだ。分隊長は科長が兼務することがあった。医務科分隊の分隊長は軍医長が、主計科分隊の分隊長は主計長が兼務するのが通例だった。

 分隊士は乗組士官があてられ、分隊長の職務を輔佐した。

 分隊首席下士官は分隊長の指揮をうけて分隊所属下士官や兵の指導にあたる。

 分隊員は右舷直と左舷直に分けられ、上陸を許可する場合は片舷直ごとに上陸させ少なくとも分隊員の半数は艦内に残すようにした。また分隊をさらに班に区分し、分隊を通じて番号を与えて呼んだ。班の最先任の下士官を班長と呼んだ。

当直将校

 とうちょく将校は、分隊長以上の兵科将校が交代で勤務し(艦長、副長、航海長を除く)、艦の保全に責任を負った。停泊中は適宜艦内を巡回し防火や防水を監督し錨鎖や係留策を点検し、周囲を監視し短艇や汽艇の発着を許可監督し、乗員の上陸帰艦を管理し、訪問者を受け入れ送り出し、信号や通信、郵便物の発送受領にあたり、重要事項を航泊日誌に記録しその内容に責任を負うなどその職務は多岐にわたるとともに神経を使うものだった。
 一方で航海中は常に艦橋にあって直接操艦にあたることとされており、万一事故でも起こそうものなら真っ先に責任を問われる立場だった。中佐に昇進すると当直は免除されるのが通例で、肩の荷がおりた心地がしたものだという。

 ふくちょく将校は乗組兵科将校が交代でつとめ、当直将校を輔佐しその職務の一部を分掌した。

 なお機関科については別にかん当直将校機関副直将校が置かれ交代で常時勤務した。

衛兵司令

 衛兵えいへい司令は艦長の指定する分隊長がつとめ、艦内の軍紀風紀の維持に任じた。

 甲板かんぱん士官は乗組士官があてられ、衛兵司令の指揮をうけて艦内を巡回し風紀や整頓の維持にあたった。若くて元気な候補生や少尉があてられるのが例で、裸足でズボンの裾をまくりあげた格好で艦内を歩きまわり大きな声をあげてけたたましく号令するため通称「ニワトリ」と呼ばれた。

 各分隊から下士官や兵が派遣されて臨時の役職を交代でつとめた。これらを総称して諸役員と呼び、その職務に関しては副長、衛兵司令、甲板士官の指揮をうけた。特に重要なのが先任衛兵伍長で、衛兵伍長と衛兵を統轄指揮して下士官および兵の規律の維持にあたった。消灯前の巡検(初夜巡検)は先任衛兵伍長が先導して副長、甲板士官、各掌長が艦内を巡回した。

 諸役員には他に伝令、内外舷掛、甲板掃除番、厠番、取次、従兵、守灯番、電話掛、酒保委員附、食卓番、釣床掛などがあった。

おわりに

 艦船令、艦内編成令、艦船職員勤務規程を読めば書いてあることばかりなのですがいちいち全部読んでいられないし覚えきれるものではありません。
 手記などを読んでいるとここで挙げたような役職がよく出て来るのですが、ふと我が身を省みたときにこうした用語をわかったような気分でいて実はちゃんと調べていなかったんではないかと思い至り、自分の知識の整理再確認とあわせて、万一誰かが戦記を読んでいて単語の意味がわからないとなったときに読解の助けになるかもしれないと考えて公開してみました。

 ではもし機会がありましたらまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は当直にあたる米空母ジョージ H.W. ブッシュの乗員)


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