日本海軍での類別標準の変遷をまとめました。
前史
日本海軍が手本としたイギリス海軍では乗員数または搭載砲数を基準とした等級制をとっており、それにならって明治4(1871)年の海軍規則では一等から七等軍艦までに分類した。しかしこの時期には軍艦の装甲化、蒸気化が進行して、こうした一律の基準で等級わけする方法はすでに本国イギリスでも機能しなくなりつつあり、日本でもこうした等級制は形骸化した。結局、等級制は定着しないまま明治19(1886)年に廃止される。
明治23(1890)年には海軍艦船籍条例(海軍省達291号)を制定し、戦闘に耐える艦を第一種、水雷艇を第二種、戦闘に耐えない艦を第三種、運送船などを第四種、その他雑船を第五種とする分類を新たに設けた。
明治26(1893)年10月19日、水雷艇を一等(70トン以上)、二等(20トン以上70トン未満)、三等(20トン未満)に類別することとした(海軍省達105号)。
明治29(1896)年3月29日、海軍艦船条例(勅令71号)が制定され、艦船を第一種軍艦(戦闘に耐えるもの)、第二種軍艦(戦闘に耐えないが常務の航海に耐えるもの)、水雷艇、雑役船舟の四種に分けた。海軍艦船籍条例は廃止された。第一種、第二種の別はのちの役務の分類に相当する。
この頃まで、海軍に所属する主に戦闘に従事する軍艦をその任務や構造で分類するという方法は正式なものとしてはとられていなかったが、予算要求に際してその必要性を説明するために「甲鉄艦」「巡洋艦」「砲艦」などの艦種を示す用語が大蔵省(と議会)向けに用いられていた。こうした艦種は海軍部内でも便宜的に用いられてきたが、統一された基準がなく同じ艦でも異なる呼び方をされることもあり、さらに軍艦の進化が著しかった当時、前例を踏襲する大蔵省向けの説明と実態に差が生じてきた。まさにロシアに対抗して海軍の戦力が大きく拡張されつつある時期にあたり、軍艦の類別が正式に規定・指定されることになる。
明治31(1898)年3月21日
「軍艦及水雷艇ノ類別及等級」(海軍省達34号)が制定され、軍艦はいずれかに類別されることになる。
参考として、この時点でそれぞれの類別・等級に属した艦艇名を挙げておきます。
明治33(1900)年6月22日
「軍艦及水雷艇ノ類別及等級」を廃止し改めて「艦艇類別標準」(海軍省達121号)を制定した。軍艦と水雷艇をそれぞれ類別としてあわせて艦艇とし、水雷艇駆逐艇を軍艦に移し駆逐艦と改称した。
明治38(1905)年1月13日
艦艇類別標準を改定し(海軍省達1号)、水雷艇に潜水艇を加えた。
明治38(1905)年12月12日
艦艇類別標準を改定し(海軍省達181号)、駆逐艦を軍艦から外すとともに潜水艇を水雷艇から独立させ、駆逐艦と潜水艇を軍艦や水雷艇と同列に置いた。
なお同時に海軍艦船条例を改定し(勅令258号。12月11日制定、12月12日公布施行)、第一種、第二種軍艦の別を廃止して艦船を軍艦、駆逐艦、水雷艇、潜水艇、運送船、病院船、工作船、雑役船舟とした。
大正元(1912)年8月28日
艦艇類別標準を改定し(海軍省達11号)、軍艦に巡洋戦艦を加え、通報艦および水雷母艦を廃止した。戦艦の等級を廃止し、巡洋艦と海防艦の三等を廃止した。砲艦の一等と二等の境界を変更した。駆逐艦に一等から三等の等級を設定し、水雷艇の三等および四等を廃止した。
大正5(1916)年5月17日
艦船令(軍令海6号。5月18日公示)が制定され、海軍艦船条例は廃止された。艦船を軍艦、駆逐艦、水雷艇、潜水艇、敷設船、工作船、運送船、雑役船舟に分類した。病院船を廃止し敷設船を新設した。軍艦から潜水艇までを艦艇と総称し、敷設船、工作船、運送船を特務船と総称した。
大正5(1916)年8月4日
艦艇類別標準を改定し(海軍省達117号)、潜水艇に一等および二等の等級をもうけた。
大正8(1919)年4月1日
艦船令を全文改正し(軍令海1号。3月19日制定、3月20日公示、4月1日施行)、艦船を軍艦、駆逐艦、潜水艦、水雷艇、敷設船、工作船、運送船、雑役船に分類した。潜水艇を潜水艦と、雑役船舟を雑役船と改称している。
艦艇類別標準を改定し(海軍省達26号。3月20日制定、4月1日施行)、潜水艇を潜水艦と改称し一等ないし三等の等級をもうけた。
大正9(1920)年4月1日
艦船令を改定し(軍令海1号。3月30日制定、3月31日公示、4月1日施行)、特務船(敷設船、工作船、運送船)を廃止して特務艦、特務艇を加え、特務艦および特務艇を特務艦艇と総称することとした。特務艦は工作艦と運送艦、特務艇は敷設艇、掃海艇と潜水艦母艇に区分した。
艦艇類別標準を改定し(海軍省達37号)、軍艦に航空母艦、水雷母艦、敷設艦を加えた。
新たに特務艦艇類別標準を制定した(海軍者海達39号)。
敷設船は特務船から軍艦に移されて敷設艦と改称した。工作船、運送船はそれぞれ工作艦、運送艦と改称した。
大正10(1921)年8月3日
艦船令を改定し(軍令海4号。8月2日制定、8月3日公示)、特務艦に砕氷船を加えた。
特務艦艇類別標準を改定し(海軍省達153号)、特務艦に砕氷艦を加えた。
大正11(1922)年4月1日
艦船令を改定し(軍令海1号。3月31日制定、4月1日公示)、特務艦に測量艦を加えた。
特務艦艇類別標準を改定し(海軍省達49号)、特務艦に測量艦を加えた。
大正11(1922)年12月1日
艦船令を改定し(軍令海3号。11月30日制定、12月1日公示)、特務艦に練習特務艦を加えた。
特務艦艇類別標準を改定し(海軍省達211号)、特務艦に練習特務艦を加えた。
大正12(1923)年6月30日
艦船令を改定し(軍令海3号。6月29日制定、6月30日公示)、艦艇に掃海艇を加え、特務艇の掃海艇を掃海特務艇と改称した。
艦艇類別標準を改定し(海軍省達154号)、掃海艇を加えた。
特務艦艇類別標準を改定し(海軍省達155号)、掃海艇を掃海特務艇と改称した。
大正12(1923)年9月29日
艦船令を改定し(軍令海9号。9月29日制定、10月1日公示)、特務艦に標的艦を加えた。
特務艦艇類別標準改定の海軍省達は見あたらない。特務艦艇類別等級別表(個々の艦の類別等級を示すもの)には標的艦の項目を追加する改定があった(海軍省達206号。10月1日付)。
大正13(1924)年1月15日
艦船令を改定し(軍令海1号。1月15日制定)、水雷艇を廃止した。
艦艇類別標準を改定する海軍省達は見あたらなかった。
大正13(1924)年12月1日
艦船令を改定し(軍令海4号。11月27日制定)、艦艇および特務艦艇の類別標準を別表で定めた。海軍省達で規定されていた艦艇類別標準および特務艦艇類別標準は廃止された。
水雷母艦を潜水母艦と改称した。
昭和2(1927)年3月2日
艦船令別表を改定し(軍令海1号。3月2日制定)、軍艦に急設網艦を、特務艇に捕獲網艇を加えた。
昭和4(1929)年3月22日
艦船令別表を改定し(軍令海1号。3月22日制定)、急設網艦および捕獲網艇を削除した。
昭和6(1931)年5月30日
艦船令を改定し(軍令海1号。5月30日制定)、軍艦に練習戦艦と練習巡洋艦を加え、巡洋戦艦を削除した。巡洋艦の等級の基準を変更し、海防艦と砲艦の等級を廃止した。
艦艇に水雷艇を加え(復活)、駆逐艦と潜水艦の三等を廃止し、敷設艇と掃海特務艇の等級を廃止した。
昭和8(1933)年5月22日
艦船令別表を改定し(軍令海4号。5月22日制定、5月23日公示)、特務艇に駆潜艇を加えた。
昭和9(1934)年5月31日
艦船令別表を改定し(軍令海4号。5月31日制定、6月1日公示)、軍艦に水上機母艦を加えた。
昭和15(1940)年3月30日
艦船令別表を改定し(軍令海4号。3月30日制定、4月1日公示)、特務艇に哨戒艇を加えた。
昭和15(1940)年10月24日
艦船令別表を改定した(軍令海12号。10月24日制定、10月25日公示)。特務艇に電䌫敷設艇を加えたものと推測される。事情については以下の記事を参照いただきたい。
昭和15(1940)年11月15日
艦船令を改定した(軍令海7号。10月2日制定、10月3日公示、11月15日施行と推定)。駆潜艇を艦艇に移し、特務艇の駆潜艇を駆潜特務艇に改称したと推測される。事情については上記の前節の記事を参照されたい。
昭和16(1941)年6月26日
艦船令別表を改定し(軍令海12号。6月26日制定、6月27日公示)、特務艇に魚雷艇を加えた。
昭和17(1942)年7月1日
艦船令を改定し(軍令海3号。6月16日制定、6月17日公示、7月1日施行)、海防艦を軍艦から除き、艦艇とした。
昭和18(1943)年2月15日
艦船令を改定し(軍令海4号。2月10日制定、2月12日公示、2月15日施行)、艦艇に哨戒艇を加え、特務艇の哨戒艇を哨戒特務艇に改称した。
昭和19(1944)年1月31日
艦船令を改定し(軍令海2号。1月31日制定、2月1日公示)、艦艇に輸送艦と敷設艇を加え、輸送艦には一等および二等の等級を置いた。特務艇の敷設艇は敷設特務艇と改称した。
昭和19(1944)年10月1日
艦船令を改定し(軍令海8号。9月29日制定、9月30日公示、10月1日施行)、砲艦を軍艦から除き、艦艇とした。
昭和20(1945)年6月30日
艦船令別表を改定し(軍令海7号。6月30日制定、7月2日公示)、特務艇に海防艇を加えた。
廃止
昭和20(1945)年6月30日の改定が最後の類別標準改定となった。
海軍省など主要な海軍の組織は昭和20(1945)年11月30日を最後にほとんどが廃止となったが、艦船令はもうしばらく生き延びて昭和21(1946)年4月1日に正式に廃止される(軍令海1号。4月2日制定、4月4日公示、4月1日遡求施行)。ただし外地にある艦船については除籍まで引き続き効力を持つとされた。
外地にあって日本の管理の及ばない艦船も含めてすべての除籍処理が完了したのは、日本国憲法が施行された昭和22(1947)年5月3日のことである。
おわりに
そういえば今日は憲法記念日ですね。類別標準が完全に効力を失ってからちょうど76年目になりますが、偶然です。もともと類別標準の変遷については過去にまとめたものがあったのですが、けっこう間違いが見つかったので作り直して上げることにしました。もっぱら自分の覚えを目的としており、公開するのは万一誰かの役に立つことがあるかもしれないという程度の意味しかありません。
下調べにはそこそこ労力を割きましたが、いざ書き始めるとコピペが多くて文字数の割に時間はかかりませんでした。ところで、行頭でスペースを入れて段下げした直後の文字に装飾(強調、取り消し)すると一時保管後に、段下げのスペースが削除されてしまうのは note の仕様なのでしょうか、それともバグでしょうかね。
今後もこの手の記事をいくつか上げていこうと思います。マガジンにまとめようかしら。
ではまた次回お会いしましょう。
(カバー画像は初代軍艦大和。明治31年の軍艦及水雷艇ノ類別及等級制定時に三等海防艦とされた)