見出し画像

日本海軍軍艦の艦内編制(5)飛行科、整備科

 日本海軍艦艇の艦内編制について説明しています。今回は飛行科、整備科について。
 前回の記事は以下になります。

飛行科

 こう科では、飛行機に関する作業を担任した。

 飛行長は飛行科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 海軍では陸軍と異なり飛行教育を担当する学校はもうけられなかった。飛行教育は、海軍大臣が教育航空隊に指定した航空隊が担当する。霞ヶ関航空隊や横須賀航空隊が知られるがこれらに限ったものではなかった。校長役は航空隊司令がつとめ、教頭が置かれたが副長の兼任が多かった。飛行学生課程は飛行機に実際に搭乗するとともに列機を指揮することを目的としており、高等科飛行学生は飛行長として勤務することを目的とした教育を受けた。飛行長は通常搭乗勤務は行わず、艦上(航空隊では陸上)から指揮をとる。

 飛行士は飛行科の乗組士官があてられ飛行長を輔佐する。

 掌飛行長は飛行科の乗組特務士官または准士官があてられ、飛行科の職務全般について現場出身者の観点から飛行長を輔佐する。

 飛行科要具庫員は飛行科が用いる要具の保管に任ずる。

 爆弾庫員は爆弾庫を担任する。

 写真員は航空写真に関する作業にあたった。

 飛行隊は搭載される飛行機の規模によって編成されないこともあり、複数の飛行隊を編成する場合もある。飛行隊長は飛行隊を直接指揮する者で実際に飛行機に搭乗して勤務する者としては最上級となる。飛行隊士は乗組士官があてられ飛行隊長を輔佐する。飛行隊附は飛行隊長を輔佐する乗組特務士官または准士官である。

 飛行部は実際の飛行作業を行なう。飛行隊には通常3個程度の飛行部を置くとされたが、飛行部が少ないときは飛行隊を置かず直接飛行長の指揮をうけた。飛行部指揮官は分隊長があてられた。飛行部附は指揮官を輔佐し乗組士官、特務士官または准士官があてられた。飛行員は実際に飛行機に登場する乗組下士官および兵で、操縦員、機上作業員があった。兵器員は飛行機に搭載する兵器を担当し、射爆員、航空魚雷員があった。飛行機員は飛行機および発動機の整備と準備にあたった。

 発着機部は飛行機の発着に必要な艦側の装備の維持操作を担任する。発着機部指揮官は分隊長または乗組士官があてられた。発着機部附は指揮官を輔佐し、乗組士官、特務士官または准士官があてられた。発着機員は発着機部に属する下士官および兵の総称で、昇降機員、射出機員、遮風柵員、制動機員、滑走制止装置員、照明灯員、通信伝令員があった。

 昭和19(1944)年の初めごろ、航空母艦に搭載されている飛行隊を艦固有の編制から航空隊から派遣されて運用することとされるようになった。飛行隊の消耗が激しく、艦に紐づけられた編制では柔軟な補充が難しかったためとされている。この体制でマリアナ沖海戦を戦ったが、その後空母航空隊の再建が事実上断念されたため、これっきりになった。

整備科

 せい科では、飛行機の整備や補修、検査を担任した。

 整備長は整備科の担任する職務全般と、そのために必要な装備の日常の整備に責任をもつ。
 飛行機の整備に関する教育も飛行作業と同じく教育航空隊でおこなわれた。高等科整備学生では整備長として勤務することを目的とした教育を受けた。

 整備士は整備科の乗組士官があてられ整備長を輔佐する。

 掌整備長は整備科の乗組特務士官または准士官があてられ、整備科の職務全般について現場出身者の観点から整備長を輔佐した。

 整備科要具庫員は整備科が用いる要具の保管に任ずる。

 整備科軽質油庫員は軽質油庫の管理にあたる。

 整備部は搭載されている飛行機の種類や数量に応じて複数編成されることがある。整備部指揮官は分隊長があてられる。整備部附は指揮官を輔佐し、乗組士官、特務士官または准士官があてられる。整備部には飛行機整備員、計器整備員があった。

 昭和18(1943)年12月1日付で整備科は廃止され、飛行科の下に整備部と兵器部が置かれることになった。飛行科と整備科の密接な関係から一体化するのが効率的と考えられたものだが、前年の兵機統合の影響もあったのだろう。整備科はもともと機関科の領分で、飛行科とは出身の背景が異なっていた。

おわりに

 次回は機関科、工作科を取り上げます。

 ではまた次回お会いしましょう。

(カバー画像は発艦する艦載機から撮影された航空母艦赤城)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?