「差別はたいてい悪意のない人がする」を読んで。無意識の差別
差別というテーマに興味があったので読みました。
読んですぐに思ったのは、韓国の内容が多いと感じました。それもそのはずで、著者が韓国人だったからです。そこから、「まあ、参考程度にはなるかな」と思って読み進めました。
この時点で、自分は日本人で、この本のメインは韓国人向けだから、「日本の差別」という観点ではあまり関係のない差別をしていたなと感じ、自分にハッとさせられました。
事例としては、韓国国内のことが多く、韓国での差別という視点でも得られるものはあります。けれども、読みはじめてすぐにこれは韓国国内の問題だけではないと気づけたことで、これを日本(自分の周り)で考えたらどうだろう?という視点でも読めたのは良かったと思います。
具体例で書くと、イエメン難民を受け入れるか?という問題では、難民たちの宗教的背景や偏見から女性が性被害を受けるのではないか?難民たちの日常では殺人は普通だという思い込みから難民を受け入れたくなかったそうです。難民を受けいることが性被害に繋がるとは私は思いも寄らなかったです。
私が知っている難民批判としては、自分たちの職が奪われるという意見があります。けれども、色々な見方をすれば性被害に繋がるなど私にとっては思いも寄らない背景に繋がるなど物事に対する捉え方が難しいなと感じました。
他にも、日本でもあるような業界によって男女比が全く異なる問題もあります。韓国でもいわゆる理系と呼ばれる分野での女性は少ないです。
『趣味とジェンダー』という本で、幼少期の頃から男はこうあるべき、女はこうあるべきというものを幼少期から知らずのうちに刷り込みをされることを知りました。具体的には、戦時前後において男は日本国の戦力となるために飛行機や船に興味を持たせる。女は家庭を守るために裁縫やおままごとなど擬似的な家事が遊びとして取り入れられてます。今も、こういった子どもの頃の遊びは変わらず引き継がれていると思います。
韓国ではどうか分かりませんが、20世紀前半に日本が韓国併合をしたことを考えると、日本と同じような文化が根付いていてもおかしくないのではないかと思います。
この業界ごとに男女比が異なることを差別と私たちが感じずに私たち自身が選んだ結果と思い込んでいるのは、こういった幼少からの背景があって、なんら普通のものという意識が反映された結果だと思いました。
最後に
議論を読んで感じたのは、「どこを基準に置くか」ということが重要でこれが最も難しい問題だと思います。正解はないですし、基準を置く時には過去の事例を参考にすることがほとんど何かしらのバイアスを含まざるを得ないです。それが時代にマッチしていれば受け入れられ、過去からの踏襲や行き過ぎであれば叩かれるという難しい世の中だと思います。多様性は良いように感じますが、基準を置く側にしてみたら、参考にしたものへのバイアス(差別)があると言っているもので、差別を絶対的に無くすというのは難しいと思います。
この本を読んでみると、「普通」と感じているものへメスを入れるきっかけになる一冊だと思います。
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