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【考察】映画『関心領域』について勇気を持ってレビューします

以前、note上にこんなつぶやきを残した。

【悩み中】昨日映画『関心領域』を観ました。
アウシュヴィッツ収容所の隣に住んでいた家族を描いた映画なんだけど、内容が重すぎる。。頑張って書き切るか、お蔵入りとするか悩み中です✍️

2024年7月27日 13:18

あれから相当悩んで、悩んでも答えが出ないから、ええい、一般人の下手なレビューとして「思い出を残そう」と考えた。
なので、この感想文には賛否分かれて当然だと思う。だけど、私を非難しないで欲しい。
あくまで一意見なので。

【映画鑑賞】関心領域


ネタバレをして自分なりの考察や思ったことを書きます。このため、未鑑賞の方は閲覧回れ右をおすすめします。
また、ホラー映画ではありませんが独特の不気味な感覚、気持ちの悪い表現が多数あるので、それらの耐性に自信が無いという方は鑑賞自体おすすめしません。

1.関心って、何だ


私はこの映画を見て、人はなんて恐ろしい生き物なのかと思った。家族だって誰一人として同じ関心領域を持つ者は居ない。主人公ラドルフの妻は、自分が夢だった庭と家庭を手に入れたことにしか関心がない。ラドルフの転勤の話が出るが、ラドルフの出世や仕事のことなどおかまいなしに、転勤することを吊し上げ、責め立て、あげくの果てには自分はついていかないという。
隣がアウシュビッツ収容所なんて関係ない、どうだっていいのだ。自分の理想が崩されるのが嫌だからそれを守るだけ、妻の関心領域はここだ。

ラドルフは家族を想っているように見えるくせに、転勤前にユダヤ人の家来にいつものように目配せをする。日常的に不倫しているのであれば彼の関心領域は性欲にもなり得る。
朝から晩まで仕事をするくせ育児にも積極的な彼に対して、誰がこんな裏面を想像できただろう。

そしてラドルフは職務上重要なポジションにいたけれど、終始浮かない顔をして、映画のラストシーンでは嘔吐する様子が描かれていた。さらにその前には妻に電話で、転勤先のこの職場や関係者が毒ガスで死なせることを想像していたと吐露する。

私はラドルフの関心領域に仕事はないと考える。トップダウン型の上からの命令には逆らえないことがラドルフを動かしているだけで、決して好きで行ってはいないからこそ前述のようなシーンがあったのだと考える。
私はラドルフの関心は『社会』と考えた。ラストシーンでは現代の美術館と溶け込むシーンがあるが、これはラドルフの心を投影しているのではないだろうか。自分が今行っている虐殺は決して気持ちの良いものではなく、歴史的な問題であり、汚名であることは間違いない事実で、こんなことに携わっている自分を客観的に軽蔑しているように見えた。それでも上に逆らえないラドルフは、毎日何を思って生活していたんだろう。
家族を守るという関心領域は、変わりゆく『社会』によって徐々に薄まっていくようにも感じ取れた。

2.それぞれの『関心領域』


この映画では様々な登場人物が出てくる。その中でも印象的だったのが妻の母だ。アウシュビッツの真隣とは思えない『完璧』な生活を手に入れた娘を可愛がり、庭をも満喫し家族仲も円満な母。しかしアウシュビッツで大量虐殺(焼却炉)が夜中に行われると目を覚まし、錯乱する。そして突然失踪する。娘は出て行ったことを知らせてくれなかったものだから怒っていたけれど、出ていくときに書いてきた母のメモと思しきものを見て、唾を吐くように捨てる。そこに書いてあることは映画に出てこないけれど、多分、「アウシュビッツに耐えられない」ことが書かれていたんだと思う。
ただ娘はアウシュビッツよりも自分の庭や夢の実現の方が到底大事なものだから、何でこんなことで、と馬鹿馬鹿しく思ったのかもしれない。

また、途中で子供同士が庭で遊ぶシーンがある。その際年の差がある兄弟で兄はわざと弟を温室に閉じ込め、兄は腹を抱えて笑う。隣で行われているアウシュビッツの大量虐殺を「遊んでいる」シーンだ。信じられない遊びかもしれないが、彼らたちもそこしか居場所を知らない。知らないから遊びの手段にしかならなかった。「センソウ、グンカン、チョーセン」とかの遊びと一緒だ。子供たちの関心は、大好きな川遊びと、悲しいかな、”アウシュビッツごっこ”だったんだと思う。

3.BGMは虐待音


虐待音なんて日本語初めて使った。こんな恐ろしい日本語、無いと思うけどこれ以上にない適切な表現だと思うので許してほしい。
この映画にはBGMが存在しない。その代わりに隣のアウシュビッツから聞こえる叫び声、猛犬の吠える音、拳銃を打つ音が日常に溶け込むように流れている。食事をしている時も、着替えをしている時も、家族たちは何の気もせず淡々と毎日を過ごしていく恐怖。
映画の中で無音になったり、逆に虐待音だけが聞こえるシーンがある。無音のときには虐待音が聞こえる錯覚に陥って恐ろしい。虐待音だけ聞くと、こんな恐ろしいところで『生活をしている』ことの驚きに圧倒させられる。あれは冒頭だったか、途中からか、ボオーーーという映画館中に響き渡る重低音は、焼却炉の中で大量虐殺が行われていることを連想させる。

4.私たちの『関心領域』


この映画を見終わった後、自分の関心領域って何だろうという気持ちと、関心領域があるから故に、見落としている重要なことがないだろうかと考えた。ウクライナの報道も、石川県の震災ももう毎日メディアでほとんど取り上げられなくなった。
私の今の関心領域は「鬱とたたかう」とか「発達障害」とか「休職」という狭いスゴロクゲームの中の世界観でしかなくて、広い視野で物事を全く考えられていなかった。だから気づかない内に誰かを傷つけているかもしれないし、私も傷つけられているかもしれない。

トップダウンのルドルフが悩んだ仕事体制も令和の時代であれど大きく変わりはしないし、私たちは時代によって『関心領域』は変わるけど、本質的には何一つ変わっちゃいないんだと思った。自分だってルドルフや子供たちのようになっていたかもしれない。
何が本当に必要な情報で、何に関心を持つべきか。そう考えると頭がグルグル回って、ルドルフのように嘔吐したい感覚にまで陥った。

書いてて気分が悪くなった。
私の『関心領域』に関する映画レビューは、
ここで打ち切りとしたい。

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