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迷惑をかけるかけられるという一方的な関係性ではなく、助け合うという相互的な関係性へ

迷惑をかける

という言葉に引っ掛かりを感じる。

この前、私が母に手伝ってもらいながら、子育てしながら大学院に通っていたことを話した時に、「お母さんに迷惑をかけていることは心に留めておいた方がいい」と言われた(自身もシングルファザーである年上の男性から)。

きっとこの方は、シングルファザーとしていろんなことを我慢してきたのかもしれないし、親に迷惑をかけていることを申し訳なく思っていたのかもしれないし、親に何か言われたのかもしれない。私にこの言葉をかけた背景には何があったのかわからないけれど、同じシングルだからこその厳しい意見だったのかもしれない。

私はこの言葉にとても引っ掛かりを感じた。

それは、私は母に助けてもらっている、協力してもらっているとは思っているが、迷惑をかけているとは思っていなかったからだ。いや、少しは思っていたが、その考え方をしていくと、頼る側はしんどいし、頼られる側もあまり良い気はしない。「迷惑をかけている」という意識を持ちすぎると、「ごめんなさい」という言葉が頻繁に出てくることになる。私自身、頼られる側にもなったことはあるが、「ごめんなさい」よりも「ありがとう」の方が普通に嬉しい

母も私に「迷惑をかけられている」という意識を持っておらず、「一緒に生きている」という感覚で私たちと生活しているそうだ。

母は孫のことをとても大切にして、孫と一緒にいることに生きがいを感じていることが普段から伝わってくる。そんな母だからこそ、私は頼ることができるのだと思う。もし、母が私たちのことを迷惑であると思い、負担を感じているのならば、一緒に生活をすることは難しかっただろう。

「迷惑をかけるかけられるという関係」ではなく、「助け合う関係」と捉えた方が良いのではないだろうか。確かに一方が負担を感じているのならば、前者の関係になってしまうかもしれないが、それほど負担になっていない場合、好んでやっている、できることだけ手伝っているという場合には、後者の関係で捉えた方が良いのではないかと思う。

以前、大学院生の友達に息子を見てもらった際に「迷惑をかけてごめんね」と言ったところ、その友達は「迷惑をかけてるとかじゃなくて、俺がしたくてしてるから」と答えてくれた。

今の段階では、私が一方的に母や友人に負担をかけているように見えるが、もし、母に介護が必要になったとき、友人に子どもができたときは、今度は私が力になりたいと思っている。

私が一方的に「迷惑をかけている」と思っている場合にも、相手は私のことを「迷惑」と捉えておらず、私の息子と遊ぶことをとても楽しみにしていてくれたり、小さな子どもからパワーや癒しをもらっていると感じている場合もある。

友人や託児ボランティアの方(大学院在学中に個人で託児ボランティアを募集し、授業中に息子を見てもらっていた)からは、「これまで小さな子どもと関わったことがなかったが、子育て経験を積むことができて、とても勉強になった。」「最初は不安だったが、今後子どもを育てる際の自信につながった。」「子どもを持つ友人の気持ちが少しわかるようになった。」と言ってもらえた。

私が周りの人々に手伝ってもらいながら大学院を続けることは、客観的にはわがままな選択で、一方的に迷惑をかけているように見えるかもしれない。

私は、周りに全く迷惑をかけていない、相手に負担をかけていないとは思っていない。しかし、「迷惑をかける」という意識からは何も生まれないのではないだろうか。人に頼っていかなければ、生きていくことができない人は多くいる。シングルマザーやシングルファザーだけでなく、障害のある人や高齢者は人に頼っていかなければ生きていくことが難しい。「迷惑をかけたくない」「なるべく迷惑をかけないように」と生きていくと、なるべく家にいた方が良い、設備が整ったところに行った方が良い(障害のある方の場合は、普通学校ではなく、特別支援学校に行った方が良い、高齢者の方の場合は実家ではなく、施設で暮らした方が良い)と考えるようになり、周りに迷惑をかけないように自分を押し殺し、常に周りや社会に合わせて生きていかなければならなくなる

私はそれはおかしな事だと思う。前述したが、一方的に迷惑をかけるかけられるという関係は存在しない。例え重度の障害や認知症があっても、その存在が私たちに気づかせくれるものは多く、多くの人の助けが必要な人であっても同様である。

私たちはみんな対等な人間であり、自分の人生や生き方を選択して良いのだ。

迷惑をかけるかけられるという構造の中には、人間の非対称な関係性が浮き彫りになってくる。私たちは助け合いの共同体を築き、対等な関係性の中で生きていくべきだ。そして、このような共同体の中では、お互いに相手の思いや選択、権利を尊重していくことが必要不可欠であるだろう。




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