広島と呉

昼間鈍行(10)この国の備忘録の回(前)

呉(くれ)へ向かうことにした。大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に行ってみたかった。乗った電車は3両編成、かと行って空いているかと言えばほどほどに人が乗っている。

呉に向かう前に、初めての広島市内を散策することにした。

ホテルを出て30分くらい歩くと、原爆ドームに行き着いた。空は曇りがちだったが、むわっと圧を感じる暑さが市内を覆っていた。

慰霊碑の前で手を合わせる。平和祈念資料館は改装中だったが、入館はできそうだったので見学することにした。館内案内を見ると、大学生以上は200円で入館できるとのことで、入館の敷居を下げたくさんの人に来てもらおうという施設側の意思を感じる。

僕は戦争を知らない。戦争どころかコップ一杯以上の量の血さえ見たことがない。どんなに悲惨な遺品や写真を見ても、僕の想像する痛みは当時の、当事者の1%にも満たないだろうから、わかった気にさえなれていないのだと思う。

たぶん同情など生ぬるい。

あらゆる資料を見れば見るほど、痛みに寄り添うことさえおこがましいような気がする。せめて70余年後、犠牲になった方々と変わらない、ただの一般市民である僕のような者さえ、海の向こうの人たちと楽しく生活できていることを感謝しようと、思った。

僕はアメリカに2度遊びに行ったことがあるし、アメリカだけじゃなく、
韓国や中国出身の友達も、先輩も、同僚もいる。

その有り難さを、焼け焦げた服や、溶けた弁当箱や、痛々しい肌の写真を見るたびに噛みしめた。

今、すごい山の中を電車が走っている。山がちで、トンネルに潜り込む回数が頻繁だ。途切れ途切れの電波を頼りに、バッテリーの少なくなっていくiPhoneで呉について調べた。

明治初期から海軍の鎮守府として呉は重要性を増し、造船の地として全国から技術者が集まる巨大な港町となった。三方が山に囲われ、潤沢な生水が湧き、地の利があることから戦時を考慮すると軍港として最適地だったという。

かの有名な"戦艦大和"はまさに呉で建造されたものであり、その所以から"大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)"が太平洋戦争集結から60年後の2005年オープンした。

(ちなみに翌年の2016年にアニメ映画"この世界の片隅に"の舞台になったのが、この"呉"だった。一度足を運んだからか真に迫るものがあったが、この話はまた別でしたい。)

そういえば

思うがままに歴史的な都市や遺構を回っているが、そのうちにどれも何かしらの戦争に紐づいている、ということに気づいた。

歴史というのは、一つの側面として
人が人を殺した事実をあえて記録して残したものなのだろう。

いつの間にかこの国の、言わば備忘録を回る旅になろうとしている。

(つづく)

***

(広島から呉は電車で40分くらい)


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