「子育て」という日常
私は自己肯定感がめちゃくちゃ低い。
おさーんに依頼してから多少緩和されていると思うし、毎日noteを書くのも こんな自分が何かを成し遂げ続けているという事実が欲しいからというのもある、要するに常に不安なのだ
妻という肩書きから母という肩書きになると生活の中心は子供へ当たり前のように変わり、毎日楽しく時間をかけていた身なりは大好きな服から実用的な物に変わり、細身のフレアワンピースは箪笥の肥やしかメルカリで売って子供の洋服代になった
ゆっくり好きなランチを最後に味わったのはいつだっただろう、食べたか食べてないかわからない子供が残したご飯をかきこんで、理由もよくわからないで機嫌が直らない我が子を抱きしめる
深いため息をトイレでついているとプライバシーなんてきっと新しいお菓子が何かにしか感じない我が子がトイレットペーパーをいじりに乱入してくる
寒空の下なんてお構いなく散歩をして、今日2本目のアンパンマンジュースにストローをさしてあげる
やっと寝る我が子に、深いため息と、なんだかふしぎな思い出し笑いと、今日も大怪我させなくてよかったと、あんなに怒鳴ってごめんねを感じる
コミュニケーションを満足にとれない人間を始めたばかりの子供と過ごすのは凄く大変です
SNSを見ればキラキラとそつなくこなしている同じママとは思えないママたちが笑っていて自分の現実との落差に涙も出なくなる日ぐらいある
苛立ちすぎて子供に当たり散らして虐待のニュースを見ては他人事に感じられなくてぞっとする
ずっとぐずぐず泣き止まない我が子をあやしながら虐待してると思われないかな、うるさいと思われてるかなって押しつぶされそうになる
子供がしたことを、すみませんと謝りながら自分がすり減っていく音がする
ママなんだから、お母さんなんだから、母親なんだから、そんなこと言われなくたって毎日毎日噛み締めてる、食いしばってる
だけど、
ママだって、お母さんだって、母親だって、子供の年齢=ママ歴なんだよ
2人、3人、子供が居るからって 、2人目の育児は1年生だし、3人目の育児は初めてだし、そんなすぐに完璧とか、やれて当たり前とか、がんばれない
ママだって泣きたい、お母さんだってわからない、母親だからって出来ない
そう言うことがあっていいし、そういう感覚があって当たり前
年齢が若いとか、高齢出産とか関係ない
つい この間まで自分に時間いっぱい使ってきたのに、自分を自分がみれば良かっただけなのに、いきなりそれが変わって、イレギュラーなことが沢山あって、その中で沢山沢山頑張って、やっと一歩二歩みたいなときもあって
えらいです、すごいんです
だけどママたちは自分で自分を上手く評価するのが苦手で、上手くなんか出来てない気がして、孤独で、不安で、はらはらぴりぴりしてます
だから旦那さんは、きっとわかりにくいよとか、知らないよとか、やって当たり前だろって思うのを改めた方がいいですよ、本当に(やって当たり前だろ に至っては何様だよって話ですが)
男が女に対して強く出たり虐げたくなるのは、女の方が中身として強く逞しく、男が勝てないってわかっていて逆襲されるのを恐れ慄いて居るからって話があるけど、ほんとそう
毎日当たり前にやっているように見える、子供との時間は当たり前じゃなく、文字通りママが身を削って育んでいるんです
育児はある種の仕事です、無休無給の過酷な肉体労働です
生活費としてじゃないお給料や、休養や労いがあっていいんじゃないでしょうか
ママ、という言葉で書きましたが世の中 世界にはいろんな形があって いろんな家族がいることを知っていますし、私自身もLGBTQなので ママばかりではないと想っています
1日お疲れ様でした
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