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A Course in Miracles 取り組み方と秘訣

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A Course in Miracles を学んでいく上での重要なこと、注意すべきこと、知っておいたほうがいいこと、などについてのコラム
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2021年7月の記事一覧

はじめからコースの実践ができるわけではなく、それには学びと訓練を要するということ

はじめからコースの実践ができるわけではなく、それには学びと訓練を要するということ

自我に執着している自分をどうしたらいい?私たちがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において主眼とするのは、

自我という分離(裁き)の教師と共に見るか?
もしくは、
イエス、聖霊という赦し(平安)の教師と共に見るか?

そのどちらの教師と共に見るか?

そこに焦点を当てるということです。

そして、赦し(平安)の教師、つまり、イエス、聖霊を教師することが、私たちが実践において求められ

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本気でコースを学ぶ気があるのなら、覚悟してコースの教えを学んでいきましょう

本気でコースを学ぶ気があるのなら、覚悟してコースの教えを学んでいきましょう


自己の本質に関わること本来、ワンネス(一体性)であるはずの私たちが、なぜゆえ、このようにして個別の存在としてこの世界に存在しているのでしょう?

本来、神の子(強さ、豊かさ、完全無欠)である私たちが、なぜゆえ、このようにして脆弱で卑小で不完全の存在、つまり、人間としてここに(この世界)に居るのでしょう?

この世界が幻想ならば、なぜ、今こうして世界は存在しているのでしょう?

この宇宙の時間、空

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「破壊するための赦し」ではなく、「真の赦し」の実践ができるようになるために

「破壊するための赦し」ではなく、「真の赦し」の実践ができるようになるために


とりわけ無価値な形の否定この世界は幻想である。
この世界は実在しない。

それがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えの中心概念であり、私たちコース学習者は赦しの実践を通してこの世界をそのように見ることができるようになるために訓練をしているといえます。

ただし、その訓練は、自分が知覚しているもの、経験しているもの、感じているものをただやみくもに否定していくことではないということを知っ

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どのようにして私たちはわが家に帰るのか?

どのようにして私たちはわが家に帰るのか?

通ってきた道をたどってわが家に帰るそもそも一なる神の子であった私たちはどのようにしてこの幻想の夢の中に閉じ込められてしまったのか?

ワプニック博士が解説する教材でコースを学んでいくとき、そのプロセスを神話として理解することができます。

いわゆる、「分離のプロセス」を理解することができるtということです。

言い換えるならば、もしワプニック博士の解説がなかったならば、分離のプロセスについて理解す

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自分はコースを理解しているつもりでいるとしたなら、要注意!

自分はコースを理解しているつもりでいるとしたなら、要注意!


自分は分かっている、に要注意コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)学習の歩みは本当に一歩一歩でしか先に進んではいかないと言うことができます。

その歩みにはプロセスがあるということです。

もっといえば、プロセスを要するということです。

プロセスなしに、それが学ばれていくことはないからです。

もし、自分はコースを理解しているつもりでいるとしたなら、要注意です。

というのも、コースの学び

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目覚めはいつか漠然と魔法のように訪れるのではない

目覚めはいつか漠然と魔法のように訪れるのではない


そこには確実な階梯があるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることの理解が浅い段階においては、まだ学びの階梯が見えていないので、漠然としたコースの学びと実践をしてしまうのは仕方ないことです。

でも、コースの学びが深まっていくならば、実際に、学びの階梯が見えてくるだけでなく、その学びと実践はより明瞭なものになると言うことができます。

私たちが気をつけなければならないのは、漠然と

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