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A Course in Miracles 学習&実践レポート

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『A Course in Miracles』(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、もりGが体験的に理解したこと、実際に修得していっているもの、その成果として体…
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#学びの階梯

コースの学びの階梯を上っていくために私たちが成さなければならないこと

コースの学びの階梯を上っていくために私たちが成さなければならないこと


コースを学んでいるのは個人の自分ではない私たちは、自分たちを人間だと信じています。

そして、個別の存在としての「個人の自分」を自分だと信じています。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスでいえば、最初は、その個人の自分がコースを学ぶというところからはじまります。

そして、コース形而上学を理解するようになり、その学びが深まっていくにつれて、

コースを学んでいる自分は「

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それらは太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だから

それらは太古に忘れてしまった本来の思考体系であり、本来の知覚の仕方だから


今自分がどのような状態なのか!その真実を自覚/認識するときコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践をしていくためには、まず最初に、その土台となる形而上学をしっかりと理解していくことが必須だといえます。

というのも、コースの実践では、聖霊と共に幻想(自我)を直視することをしていくわけです。

そしてそのためには、

聖霊はどのような考え方(思考体系)で、
どのような視点から、
どのように

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自分は心であると分かってくるとき、そこからが本格的な学びの階梯を上っていくプロセスのはじまりです

自分は心であると分かってくるとき、そこからが本格的な学びの階梯を上っていくプロセスのはじまりです


この世界の中にいるかぎり、学ぶべきこと、訓練していくべきことがあるコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の教えから言えば、たしかにこの世界は実在してはおらず幻想です。

とはいっても、ただやみくもにこの世界を幻想として否定していくのではありません。

学びが浅い段階においてはそのような実践をしたりもしますが、コースの形而上学をちゃんと理解していくにつれて、コースはそのような実践をしていく道で

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「私は誰か?Who am I?」と問いかけるだけでは意味をなさないことの理由

「私は誰か?Who am I?」と問いかけるだけでは意味をなさないことの理由


私は誰か?Who am I?という実践について先日の記事『私は誰か?Who am I?』の続きです。

前の記事では、「私は誰か?(Who am I?)」と問いかけるだけではほとんど意味をなさない、ということを述べましたが、

それは、「私は誰か?(Who am I?)」と問いかけるとき、その実践の意味合いが理解されていない場合に、そうなってしまうということです。

つまり、「私は誰か? Who

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目覚めのプロセス~学びの階梯について

目覚めのプロセス~学びの階梯について


「短期的な赦し」と「長期的な赦し」真理から言えば、目覚めは「一瞬」なのだといえます。

というのも、それは時間のない領域のものであるからです。

ただ、私たちはこの今もまだ時間(と空間)の中にいるわけです。

ここで私たちが知っておかなければならないのは、時間の中に囚われている私たちにとっては時間が必要であり、その時間をどちらの目的で使っていくのか?が私たちに問われているということです。

よう

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これは概念を弄ぶコースではなく、概念を実際に適用していくコースである

これは概念を弄ぶコースではなく、概念を実際に適用していくコースである


形而上学は形而上学にしかすぎないコース(奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、その形而上学(理論)を理解していくことは重要かつ必須であるということは言うまでもありません。

それが前提でということで、今回は書いてみようと思います。

これまでも、コース形而上学の理解がいかに重要か?ということについて述べてきました。

ただし、それが知的なレベルで扱われてしまうなら、コースの概念を弄ぶことにな

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私は誰か? Who am I?

私は誰か? Who am I?


実践していくための土台となるもの私は誰か? Who am I?

インドの聖者ラマナ・マハルシは、「私は誰か?」という問いで探究していく道が最も重要な方法であると説かれました。

私はすでに二十年以上も前に、その言葉に触れていたわけですが、正直に申しますと、その言葉はその当時の私にとってまったくと言っていいほど意味をなさなかったといえます。

つまり、「私は誰か?」と問いかける実践はまったく役に

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他者を自分と同じ「兄弟」として見る

他者を自分と同じ「兄弟」として見る

コースでいうところの「兄弟」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で「兄弟」という言葉が使われていますが、それは「他者」とは別の意味として表現されているということを知っておく必要があります。

では、兄弟とは何なのでしょう?

もちろん、学びはじめの段階においては、「兄弟(姉妹)」と呼ぶとき、他者のことだというふうに捉えても仕方のないことでしょう。

ただ、コースの学びが深まっていくに

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