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【人生のほんの1日】20220921 「心の痣のような苦手意識」を 克服した日。ピアノレッスン記録

「ツァイガルニク効果」って言葉をご存知ですか?
達成できた事柄よりも、達成できなかった事柄や中断している事柄のほうを人はよく覚えているという現象を表す心理学用語です。

この「やりかけのことはよく覚えている」心理効果を応用して、物事をあえて完遂しないでやりかけで1日を終え、睡眠の間に中長期記憶に定着させるという記憶法もあったりしますよね。

「ツァイガルニク効果」では「やり遂げらなかったこと」が印象的に記憶に残るため、ネガティブなラベリングで記憶が強化されてしまうという弊害もあります。
今日のピアノレッスンでもこれにに関連した気づきがあったので、そのことについて書きたいと思います。

来月、2022年10月のピアノ発表会に向けて、生来の超絶アガリ性克服のために、いろいろ対策本を読んだり、人前で演奏する機会を増やしているということを以前も記事で書きました。

私がピアノ演奏時の精神集中ルーティーンで一番効果があったなと思うのが、↓の本で紹介されている「センタリング」というメソッドなんですが、センタリングの他にも舞台本番に向けてのメンタル整備について詳しく実践的に書かれていて、毎年、本番2ヶ月くらい前から確認のために再読しています。良書ですね。

この本の中に、本番二日前と前日には、デリケートな精神状態からくるフラストレーションで「ツァイガルニク効果」が起こりやすいという記述がありました。

過去のうまくできなかった時の記憶が「きっとうまくいく」というポジティブな決意を凌駕してしまうということですね。「ツァイガルニク効果」的な精神状態って本番前の不安の原因として大きなもののひとつではないでしょうか。

私のピアノライフに置き換えて自己分析的に考えてみると、「習い始めて最初に付いた先生のレッスン」が、私の中では「うまくいかなかった記憶」として痣のように脳にこびりついて消えにくくなっているように思います。

後述しますが、最初に習っていた先生はとても優秀な先生なのですが、私としては「性格的にちょっと合わない」という思いがあり、現在はメイン講師を別の先生に変えています。

現在の先生は発表会を行っていないので、年に1回は発表会には出たいのと、苦手意識を抱いたまま最初の先生のもとを去るのは悔いが残ると思い、最初の先生には今でも月1でレッスンをしてもらっています。

先月はお休みをいただいたので今日は2ヶ月ぶりでその最初の先生のレッスン。
10月の同好会発表会や11月のコンクール2次で弾く予定のラヴェル ソナチネ全3楽章をみてもらいました。今回、私としては本番以上の緊張と決意で臨みました😅

悪い点を詳しく指摘する。その伝え方の大切さ

最初の先生のレッスンが「うまくいかなかった記憶」として強く残っているということを先述しました。

その先生は、演奏の悪い点を細かく詳しく洗い出して指摘してくださるのはとてもありがたいことなのですが、程度問題としてマイナス面の指摘が多過ぎる(あとしつこく繰り返し言う😅)傾向があるように思います。

例えば先生の前でレッスン曲を通して弾いた後、私的には「そんなに弾けてませんでしたか?」と訊き返したくなるくらい「良くなかった点」をたくさん言ってくださるんですね。

それらの指摘を受けた後のレッスンでは「弾けてない」意識が先立ってしまい、指も脳もカタまってより弾けなくなってしまう悪循環に陥ることが多かったように思います。結果として、より「先生の仰ったとおり」になってしまうという皮肉。

自分では発展途上なりに前回よりもかなり改善しているなと思っていた点も、マイナス指摘を繰り返し受けると「あー、できていなかったんだー」という残念な最終結果として焼き付いてしまうんです。

一方、良かった点の言及もなくはないのですが、たぶんマイナス指摘の量と語気が相当勝ってるんでしょうね。「弾けてなかった点」について記憶ばかりが残る。
ということは、私にとっては最初のレッスンがまさに「ツァイガルニク効果」発生の場であったように思います。

もちろんレッスン途中の曲なので、至らない点が多いの確かです。しかし生徒もレッスンに向けて頑張って練習しているので、あまりにマイナス点ばかり強調されると、その曲に対する苦手意識や自身の演奏に対する「たとえがんばってもできない」という劣等感を煽られるんですよね。

良くない点の改善を繰り返すことによってより良い演奏が作られていくので、指導者の視点から間違いや良くない点を指摘していただくことはとてもありがたく、重要なプロセスなんですが、マイナスの言葉が強過ぎることによる弊害もあると思うのです。

その弊害の大きなものに以下が挙げられるのではないでしょうか。
・モチベーションや意欲の低下
・苦手意識の助長と強化
・失敗への恐怖から怯えたパフォーマンスになってしまうこと

最初の先生の教室の生徒さんはお上手な方も多いのですが、発表会を見た複数のピアノ友達が口を揃えて「全体的にみなさん何かビクビクしていてカタい」と仰っていたので、私が思っているだけでなく教室全体の風土としてそのような空気感が漂ってるのかもしれないですね。

先生に対して「褒めろ」「労え」とは言いませんが、レッスン時に否定の言葉が多すぎると生徒の健全な成長を妨げる結果にもなるのではないかと思います。

「そこグチャグチャだから部分練習やって」と現状を嘆くのと「そこをもっと整えるために音のツブを聴きながらゆっくり弾く練習をしましょう」と前向きな提案をするのは、同じことを言っているとしても受け手側の印象は真逆なくらい違いますよね。

現在メインで教えていただいている先生は私にとって3人目の先生なのですが、弾けてない練習中の状態を「あくまでプロセス」と捉えていて、弾けてないことの指摘ではなく「その部分を弾けるようになるための助言」を中心に言葉がけをしてくださいます。

「弾けてません」と「弾けるようになりますよ」。評した状況は同じだったとしても、その先に見える未来の景色はずいぶん違うのではないでしょうか。

そして今日のレッスン。自分との闘いの果てに

で、今日の「最初の先生の」レッスン。ラヴェルのソナチネ 全3楽章の顛末を。

8月にコンクール出場を決めてからは予選で弾く第1楽章を、9月に入ってからは10月の同好会発表会で弾く第1&3楽章を暗譜で安定して通せるように練習を重ねてきました。

最初の先生にはここ3ヶ月はラヴェルは見てもらっておらず、久しぶりのレッスンです。

私的には「ツァイガルニク効果」的に「最初の先生の教室ではいつもよりさらにうまく弾けない」印象刷り込み・苦手意識が強いので、たとえ家で上手く弾けていたとしても、「あのお教室のピアノで弾く」のは、別種の緊張を伴います。

同好会発表会やコンクール2次を控えてもいるので、絶対に気持ちにネガティブ要素を加えたくなくて「自分の気持ちに負けない決意」でレッスンに臨みました。

最初に「全楽章を通して弾いてみましょうか」ということで、私の中では「これが本番」という意識で弾き始めました。

第1楽章は、おそらくペルルミュテール盤とほぼ同じ速度、4分15秒くらいでかなりの集中度で大きなミスなく完奏。

続く第2楽章。差し迫った発表会ではこの楽章は弾かないので、最近の練習量は比較的少ないこともあり、数ヵ所暗譜が薄れたところがあるも、全体的な音のキレイさなどは意識を途切れさせずに完奏。

そして第3楽章。技術的にも暗譜的にも最もキツいこの楽章を最後に演奏するのが精神的にさらにキツい。出だし数小節のトリッキーな運指でつまづき最初から弾き直したものの、2回目は速度のノリ感も損なわずに大ミスはなく完奏。


特に疾走感あるアッチェレランドのラストは和音大ハズしのリスクが高く内心弱気になりやすい箇所なのですが気持ちを強く持ち続けて速度アゲて弾き抜けました。

ピアノを習い始めて丸6年ちょっと。今回、始めて最初の先生のお教室で「今の自分にできることはほぼ全て出し切れた」と思える演奏ができました。

評価がどうであれ「うまくいかなかった記憶」に負けずに、自分のネガティブな気持ちを克服できた実感があり、「苦手から逃げなくてよかった」と思えました。

先生にも私の気迫は伝わったようで、「これだけの楽曲を暗譜でここまで仕上げて頑張りましたね」とお褒めいただきました!

1、2楽章は技術的にも表現的にもほぼ問題ナシ。3楽章は高速で演奏しながらも技術的に破綻しないで、さらにその中で出す音と引っ込める音にコントラストを明確に出すように、とのことで、先生が気になった部分を取り出して詳細なアドバイスをいただきました。

これまでの長い努力・苦労が昇華するようなカタルシスを感じられた1日でした。

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