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複雑性PTSDに気づくまで(1) 仕事ができなくなる → 精神科 → 適応障害と診断される

私が複雑性PTSDを発症していることに気づくまでの経緯を、何回かに分けて書きたいと思います。


突然、仕事ができなくなる

異常を感じたのは、会社で仕事をしている時でした。
当時は、「疲労が蓄積した」ぐらいの認識でした。まさが自分が精神疾患を抱えるとは思っていませんし、複雑性PTSDという疾患があることすら知りませんでした。
その異常が「子どもの頃のトラウマ」に端を発していることに気づくまでには、必然的に時間がかかりました。

ある日の朝、始業前に業務の準備していたところ、頭の回転が止まってしまうような感覚に陥りました。寝不足が常態化していたので、そのせいだろうと思いました。
ところが、寝不足で頭がぼーっとするのとは、どこか様子が違いました。何かを考えようとしても、何かをしようとしても、頭も手も全く動かなくなってしまったのです。「思考停止」とは、あのような状態のことを言うのでしょうか。自分の本体が皮膚から漏れ出てしまい、抜け殻になってしまったようでした。

その頃の仕事は本当に忙しくて、多くの案件を抱えつつ、毎日のように締め切りに追われていました。その日が締め切りだった案件もいくつかありました。
せめて期日が迫っている案件だけでも、進捗を部下と共有して、指示を出さないと間に合わなくなる…その焦りとは裏腹に、考えようとすればするほど、何も考えられなくなるようでした。

結局、何も準備できないまま、始業のチャイムが鳴り響きました。
同僚が仕事の相談を持ち掛けてきます。でも、その内容を理解できず、的確なアドバイスはできませんでした。
私はどうしたんだろう…心を落ち着かせようとしても、もうダメでした。完全にパニックになってしまい、頭が真っ白になって何もできなくなりました。

あの日、どうやって1日を乗り切ったのかは、覚えていません。

仕事を休んでも悪化し続けた体調

翌日以降は体を起こすこともできず、出社できませんでした。
会社には、1週間お休みしたいと連絡しました。
その頃は、業務の幅が広がったと同時に部下も増えて、膨張する業務管理を前に、心身ともに追い詰められていることを自覚していました。
まとめて1週間くらい会社と距離を置くことでリフレッシュできるだろうと考え、お休みをもらうことにしました。

ところがその思惑ははずれ、体調は好転するどころか、まずます悪化しました。
夜は悪夢で何度も目が覚め、次第に眠りに就くのが恐怖に変わりました。
日中は、突然気分が悪くて吐き気が止まらないと思ったら、今度は腹痛に襲われました。
楽しいはずの家族との時間も、感情が乱れて発狂寸前…とても会社に行けるような体調ではありませんでした。
家にこもっていてはダメだと思い、積極的に外出して気分転換を試みましたが、2週間経っても3週間経っても良くなりませんでした。

精神科を受診

3週間目、このままでは好転は見込めないと思い、精神科を受診することにしました。
精神科に足を運ぶことには、正直に言えば抵抗がありましたが、膨らみ続ける不安に突き動かされました。
医師には、仕事中に思考停止状態になってしまったことや、その時の業務量が限界を超えていたと思うこと、会社を休んでも体調は悪化するばかりであることをお話しました。

診断名は「適応障害」でした。


ここまでお読みになって、暗い気持ちにさせてしまっていたら、ごめんなさい。
こんな内容にもかかわらず、最後までお読みいただきありがとうございます。

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