へなへな もへじ / ACEsとCPTSD

虐待、ネグレクト、ヤングケアラーのサバイバー。妻と子どもの理解を得ながら、複雑性PTS…

へなへな もへじ / ACEsとCPTSD

虐待、ネグレクト、ヤングケアラーのサバイバー。妻と子どもの理解を得ながら、複雑性PTSDからの回復を目指しています。現在無職。博士(理学)。『子ども期の逆境体験と複雑性PTSD』https://www.ace-cptsd.com

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子どもの頃のトラウマに悩む人の力になりたい

はじめまして"へなへな もへじ"と申します。 私は、複雑性PTSDという精神疾患を抱えています。 子どもの頃に受けたトラウマ体験や、当時の感情記憶が頻繁にフラッシュバックすることに悩んでいます。フラッシュバックとは、見聞きしたことや考えたことが引き金になって、瞬時にトラウマ記憶が蘇ってしまう症状です。まだ途上ではありますが、少しずつ回復してきました。 私のnoteでは、 子どもの頃のトラウマは人生に大きな影響を与えること トラウマを抱えていても、対処すれば自分の人生を

    • 虫たちが助けてくれた幼少期

      幼少期、私は虫取りに夢中でした。家にいることが辛く、両親の不仲や母の機嫌に怯えていた私にとって、外で虫たちと過ごす時間が唯一の逃げ場でした。この文章では、私がどのように虫取りを通じて安心を見つけ、子ども時代を乗り越えたかを振り返ります。 幼少期、私は虫取りに夢中でした。家にいるのが嫌だったんです。両親の仲が悪く、父は週末になるとパチンコに行き、母はいつも機嫌が悪い。家にいると何をされるか分かりませんでした。だから、できるだけ外で過ごすようにしていました。 遊び相手は、もっ

      • 複雑性PTSDがわかるまで(4) 複雑性PTSDの勉強→医師に相談→治療をはじめる

        適応障害と診断されて休職することになり、精神科に通院していたものの、回復の兆しは見えませんでした。 適応障害のほかに原因があるのかもしれない…本や論文を調べているときに、複雑性PTSDという病名に出会いました。 そこに書かれていた症状が、私のケースと一致していたことから、複雑性PTSDについて詳しく調べることにしました。 今回は、その続きです。 生い立ちと複雑性PTSDの関係複雑性PTSDの大きな特徴は、子ども期(おおむね18歳まで)に、虐待などの逆境体験を繰り返し経験し

        • 空に浮かぶ川:樹冠の遠慮が教えてくれたこと

          「上を見て!空に川ができてるよ!!」 公園の木々の下で、一緒に歩いていた子どもが突然叫びました。 驚いて空を見上げると、そこにはまるで川が蛇行するような曲線を描いた青い空が広がっていました。 枝葉の隙間が、まるで川の流れのように見えるのです。 子どもの言葉は、その光景を見事に表現していました。 これは、「樹冠の遠慮」(じゅかんのえんりょ、crown shyness)と呼ばれる現象です。 木々の枝葉が、お互いに重ならないように遠慮し合いながら成長する様子を表しています。

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          ツインクル:幼少期の思い出を詰め込んだタイムカプセル

          明治チョコレート ツインクル:思い出の味 スーパーのお菓子売り場でふと目に入ったツインクル。 その瞬間、幼稚園児だった頃の楽しい思い出が一気によみがえりました。 懐かしい思い出 幼少期、両親がまだ仲良く見えたころ、家族で近所の小さな個人商店に買い物に行くことがありました。 週末の夕方、父親のビールを買うために出かけたその時間は、私にとって特別なひとときでした。そのときに一緒に買ってもらっていたのが、ツインクルでした。 チョコの中の魔法 ツインクルのパッケージには可愛

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          毒親からの解放:自分を取り戻すためのステップ

          親ガチャで人生終わったと感じているあなたへ 毒親に人生を支配されていると感じていませんか? 親の影響から逃れ、自分らしい人生を取り戻すためのヒントをお伝えします。 毒親に人生を破壊されたと感じる人も多いかもしれません。でも、大丈夫です。大人になってからでも、自分を取り戻すことはできます。 そのために知っておいたほうがいいこと、注意すべきことをまとめました。 実家を離れる = 解決ではない 実家を離れれば問題が解決すると思うかもしれませんが、そう簡単ではありません。 私

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          『AHIRU LIFE. アヒルライフ』 との出会い

          仕事中に突然、何をすれば良いのか分からなくなり、その翌日から1週間休養しても体調が悪くなるばかりで、休職することにしました。 精神科を受診して適応障害と診断されますが、薬をいろいろ試してみても体調は全然良くならず、このまま働けなくなるのではないかという不安に襲われる日々でした。 そんなときに出会ったのが、SANAE FUJITAさんの記事『ジュエリーデザイナーをやめてアヒルを描きはじめた理由』でした。 SANAE FUJITAさんは、"AHIRU LIFE. アヒルライフ

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          複雑性PTSDに気づくまで(3) 休職延長→妻の一言→意識変化→複雑性PTSDを知る

          前回は、適応障害と診断されて休職したものの、体調は悪化するばかりで回復の兆しすら見えず、休職期間の延長を会社に申請したことを書きました。 その続きです。 休職期間をさらに延長3ヶ月間の休職期日を迎えても回復の兆しすら見えず、さらに3ヶ月間の休職を申請しました。 結論から言えば、休職を延長しても回復できませんでした。 悪夢は相変わらず続き、何種類もの薬を試しても、症状を軽減させることはできませんでした。 6ヶ月間、9ヶ月間と休み続けても、体調が良くなりませんでした。 この

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          複雑性PTSDに気づくまで(2) 体調がさらに悪化 → 休職・悪夢 → 休職延長

          前回は、仕事が手につかなくなり、会社を休みはじめ、適応障害と診断されるまでの経緯を書きました。 今回はその続きです。 適応障害と診断されて会社を3週間休んでも、体調は悪化するばかりでした。 そこで、精神科を受診してみると、適応障害と診断されました。 適応障害は、何らかのストレス(明確な原因がある)によって主観的な苦痛が生じ、感情や意欲、行動に問題や異常が見られるなど、社会生活に支障が出ている状態をいいます。 私の場合、会社での業務量が増えて追い詰められているという自覚が

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          複雑性PTSDに気づくまで(1) 仕事ができなくなる → 精神科 → 適応障害と診断される

          私が複雑性PTSDを発症していることに気づくまでの経緯を、何回かに分けて書きたいと思います。 突然、仕事ができなくなる異常を感じたのは、会社で仕事をしている時でした。 当時は、「疲労が蓄積した」ぐらいの認識でした。まさが自分が精神疾患を抱えるとは思っていませんし、複雑性PTSDという疾患があることすら知りませんでした。 その異常が「子どもの頃のトラウマ」に端を発していることに気づくまでには、必然的に時間がかかりました。 ある日の朝、始業前に業務の準備していたところ、頭の回

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          おじさん、子ども時代のトラウマに苦しむ

          まさか、こんな人生が待っているなんて思っていませんでした。 40歳を過ぎてから、子どもの頃に受けた虐待やネグレクトのトラウマ記憶に苦しめられるようになりました。 病名は「複雑性PTSD」(CPTSD: Complex-Post-Traumatic Stress Disorder)といいます。複雑性PTSDは近年になって、WHO(世界保健機関)が作成するICD-11(国際疾病分類)に採用されたことで、広く知られるようになりました。代表的な症状は、子どもの頃に繰り返し受けた逆

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