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手紙


・手紙


現代社会において手書きで紙に文字を綴り、手紙として人に送るという行為はどれだけ利用されているだろう。

年賀はがきや暑中見舞いなどハガキに書き、送ったりする事はあろうがこれだけ情報・通信社会が発達した現代で、手紙を人に送るというのは昔よりも少なくなったと思われる。

メールや、ラインやSNSで要件をパッと送れますもんね。

逆に手書きで手紙を送り、思いを綴ることは丁寧に感じ、誠実さみたいなものを思い浮かべたりする。

まぁ、何にせよこの現代だからかえって手紙というのは人の心みたいなものを感じてしまうのかもしれない。

当然のことながら現代よりも情報・通信が発達してなかった頃は、手紙を書くという行為はスタンダードな通信手段だった。

手紙で近況報告をしたり、思いを綴ったり情報を仕入れたりなど。

よく映画などでも手紙を開けたりするシーンなんてのも見受けたりしますよね。

この手紙が物語のキーになってたりする作品もあったりする。

歌の歌詞にも手紙が出たり、ズバリタイトルになってたりする作品もある。

井上陽水の名曲「心もよう」に出てくる手紙は遠く離れた恋人に対して書き綴ったものだ。

手紙にしたためた黒いインクが綺麗でしょうと歌い、青い便箋の様子が悲しいでしょうと手紙の様子を表す描写は美しくもあり、恋人と離れている寂しさも描いている。

この冒頭の歌詞の部分が好きなんすよね~。

良いですよね、井上陽水さん。

そしてアンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」では過去と未来の自分に対して手紙を綴ったものであり、感動的な歌詞が心にグッとくるものがある。

ピアノの弾き語りが凄く印象的ですよね。

昔の自分と今を生きる自分に向けて、手紙を通じたメッセージ。

今聴いても素敵な曲です。

アンジェラ・アキさんって確か無期限の活動休止をされていたけど、調べてみると去年の終わりに10年ぶりに日本で活動をするって発表したそうだ。

何でもミュージカルの音楽制作に参加して活動を再開したとか。

今後どのような活動をされるのか楽しみですね。

そういえば最近だと手紙を題材にした歌って何があるんだろうか。

自分が最近の音楽事情に疎いのもあるし、把握してないというのもあるが「手紙」を題材にした歌って少なくなってきたんじゃなかろうかと思われる。

あったらスミマセン💦
そして自分が知らないだけかも。

やっぱりこれだけ人とのやり取りが昔と変わってくると「手紙」を題材にしなくなってくるのかもしれない。

メールとかメッセージとかが歌詞になりやすいのかな。

逆に手紙を絡めた歌詞が出てくると、その歌のメッセージ性が強くなったりするのかもしれませんね。

なんちゃって。

でもやっぱり人が直筆で書いた手紙を通したやり取りって、そこにメッセージ性がこもった物語が生まれやすいのかなと思ったりする。

手紙はご存知の通り英語で「LETTER(レター)」だ。

手紙は洋画でもタイトルや一つのアイテムとして扱われる事がある。

思い浮かべてみると…
硫黄島からの手紙
P.S.アイラブユー
ジュリエットからの手紙
イルマーレ
マディソン郡の橋
などなどか。

やはり手紙は人が直筆で書き、相手に意思を伝え重要なツールだったので物語などにも絡めやすいのだろう。

そして手紙=レターとしてインパクト大の洋楽がある。

ジャンルはブルース。

その名も「デス・レター・ブルース(Death Letter Blues)」

もしくは「デス・レター」とも。

何だか物々しいタイトルではあるが…。

・サン・ハウス


歌うはミシシッピー発のデルタ・ブルースの巨人、サン・ハウス(SON HOUSE)


サン・ハウス 画像引用元:roots-music.clubより

サン・ハウスことエディ・ジェイムズ・ハウス・ジュニアは1902年にミシシッピ州クラークスデイルに程近いリヴァートンで生まれている。

その人生は1988年まで生きたので86歳と長寿を全うされた。

ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフやエルモア・ジェイムス達よりも早く生まれ、長く生きたブルースマンだ。

元は熱心なバプティスト信者の家庭で生まれ、15歳で初めて教会で説教をし、20歳で牧師になる。

その後聖職を捨て年上の女性と駆け落ちをするなどしていたが、1920年代にクラークスデイルの近郊ライアンに戻り、ここでジェイムズ・マッコイというミュージシャンに出会い、ギターを教わったそうだ。

その後、サン・ハウスは伝説的なブルース・マン、チャーリー・パットンと、その弟子であり僚友だったウィリー・ブラウンと合流し3人で活動をするようになった。

ちなみにロバート・ジョンソンはこの3人の演奏を見てブルースに目覚めたと言われる。

3人は1930年5月にウィスコンシン州グラフトンにてパラマウントでレコーディングを行う。

その時の音源が「デルタ・ブルース・セッション」として中古のレコードショップでCDで発見した時は即買いした記憶がある。

ここでは「マイ・ブラック・ママ」や「プリ―チン・ザ・ブルース」などが収録されている。

時代は流れ1941年と42年に国会図書館の調査で民族音楽学者アラン・ロマックス達がミシシッピに訪れ、マッキンリー・モーガンフィールド(後のマディ・ウォーターズ)やサン・ハウスの演奏の録音を行っている。

その後サン・ハウスは1943年にニューヨーク州ロチェスターに転居し中央鉄道でポーターとして働くようになり、5年後にオールド・スタイルのブルースに関心を持つ人が少なくなったと感じ、ギターを弾くことをやめたそうだ。

音楽から身を引いたわけなんですね。

そこから時は流れ1960年代。

改めて”フォーク・ブルース”などブルースが再評価されてきた時代だ。

そんな流れの中でサン・ハウスはニューヨークでその所在を熱心な人々によって見つけられることになる。

三人の熱心なブルース研究家によって、1964年サン・ハウスは再び表舞台に立つことになるのだ。

ちなみにこの時には長年のブランクもあってか、自分の曲もほとんど忘れていたそうで、大変だったそう。

サン・ハウスはミュージシャンとしての”リハビリ”を終え、翌1965年にコロンビアにてレコーディングを行うことになる。

その際に「デス・レター・ブルース」は収録された。

ここでは2003年に映画監督マーティン・スコセッシが監修した「マーティン・スコセッシのブルース サン・ハウス」という音源を元に曲の事を少しばかり書いてみよう。

ちなみにアルバムは1930年代に録音した曲や、再発見された1960年代に収録した曲も含まれています。

レトロな音源…。

良いですよ。


・デス・レター・ブルース


曲は一通の手紙が主人公の元に訪れる所から始まる。

I  got a ⅼetter this mornin‘
How do you think it read
it said、”hurry、hurry
Because the gal you love ⅰs dead”

デス・レター 歌詞より

今朝届いた手紙には何と書いてあったか。

「急いで来てくれ、君の大切な愛しい彼女が亡くなった。」

その知らせを受けて主人公ケースを掴み、車を飛ばし一目散に愛しき人の元に向かう場面が次の幕で歌われている。

Oh I grabbed up my suitcase
took off down the road
when I got there
She was layin’ on the coolin’ board

デス・レター 歌詞より

主人公が着いた時には彼女は既に冷たい台に横たわっていることが歌われ、主人公はそばに駆け寄り彼女の顔を覗き込む。

I said the good old girl
Gotta lay here till judgement Day

デス・レター 歌詞より

彼女が審判が下りるのを待たなくてはならないなんて…。

何とも言い切れない話だ。

それは宣教師とブルースという反面したカテゴリーを併せ持ったサン・ハウスが滔々と歌い上げると人間の一つの真理みたいなものさえ感じてしまう。

やがて彼女の葬儀の際に1万人ぐらい集まっているようにみえたことや、彼女が土に降ろされるまでその愛がどれだけ深いものだったか気付かなかった事などが続いていく。

やがて彼女の棺が降ろされていって主人公は一つのことに気付く。

You know I didn′t know that I loved   
her
until they began to let her down

デス・レター 歌詞より

どれだけ好きだったか気付いたのだと。

この場面を想像すると何だか切ないですよね。

普段当たり前に思っていたことが実は目の前から去っていくと、いかに自分が…っと思うのが人間の一つの性とも言えるが…

その人間の真理を追ったブルースは主人公の哀しい気持ちと共に進んでいく。

主人公はうなだれその場を離れた後に…

I said、”Farewell、farewell
I’ll see you judgement Day”

デス・レター 歌詞より

さようなら、また審判の日に会おうではないか、っと。

やがてそこまで落ち込みはしなかった主人公は太陽が沈む頃に愛しい相手がいなくなった喪失感を感じるようになっていく。

歌では愛してくれない相手を愛すのは大変さ、というような場面展開がされその後に違う相手と付き合っているような箇所もうかがえる。

だが、どうやら亡くなった彼女にあったような愛情の形は見えず、彼女のことを思い返し、朝目が覚めたら彼女が寝ていた所にある枕を抱いていると、その「ブルース」が心を捕らえているような雰囲気を感じてしまう。

最後の場面では…

Oh hush
Thought I heard her call my name
It wasn’t so loud
So nice and piain
Yeah、mm

デス・レター 歌詞より

Oh、静かに
彼女が俺の名を呼ぶ声がしたんだ
はっきりとじゃないけど
可愛い響きで、すぐ判ったよ
Yeah、mm

和訳 ライナーノーツより

っと彼女の声が聴こえたような描写で終わっている。

人によって解釈は色々あれど、手紙が訪れどうしようもない事実によって生まれた「ブルース」が主人公に身を潜め彼女の存在を意識しながら曲は終わっていく。

解決や前向きさを…っといった感じではない。

だが手紙によるブルースの描写は克明に描かれているような気がする。

彼女が亡くなった後、多分ではあるが文脈的に「愛してくれない相手」という違う相手を見つけ、主人公も前を向こうとしている場面も見受けられるが、揺れ動く「ブルース」はサン・ハウスのボトルネック奏法と威厳に満ちた声が表現している気がする。

この前に向こうとしている気持ちと葛藤の狭間の「ブルース」が、そう曖昧な地点こそがブルー・ノートであり、人間の人間臭い部分を表現したものだと思う。

そうそう簡単には忘れられないが、気持ちは前を向こうと揺れ動いているんだよ…

みたいな。

そんな「ブルー」を捉えた作品なのかもしれない。

・最後に 曲の動画あり


そんな「デス・レター・ブルース」をサン・ハウスがスタジオ・ライブのような形で披露している貴重な動画がある。

元宣教師の威厳に満ちた声が「デス・レター」を通じた人間の真理を説き、

リゾネーター・ギター(リゾネーターと呼ばれる円形の薄いアルミニウム製共鳴板をブリッジの下に取り付けたギター。ブルースでは金属製のものが多い。)をチョップをしているような動作で、弾くというよりシバキあげているようなニュアンスで弾き、スライド・バーを付けた左手が忙しそうにギターのネック上を動き回るその迫力は凄い。

これを唯一無二と言わずして何と表現しようか。

そんな感じです。

ちなみに確かサン・ハウスは動画の時には前歯の上部分が抜けており、声も何となくそんな印象を受ける気がする。

それにしても迫力が凄い(^^)/

まるで「言いかい、ギターってのはこうやって弾くんだよ。若いの。」

っとでも表現するようなサン・ハウスの演奏シーン。

「手紙」というタイトルを通して好きなブルース・マンを記事にしてみました。

この情報・通信社会において、たまには自分で筆を取り手紙をしたためるのも悪くはないかもしれない。

どうでしょうか。

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!




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