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『人間の建設』No.43 「一(いち)」という観念 №4〈最初に情緒ができる〉

岡 医学は、生物が遺伝すると言っていましたが、近頃は学説を変えて、数学とか音楽の天才は遺伝ではなく、環境から来るのだと言い出した。学説が全く変わっているのです。
小林 学説は変わったかもしれませんが、それならまた変わるでしょう。
岡 しかし遺伝ではあり得ないということがわかったのです。だからそこは変わりはしない。だが原因はほかに求めなければならなくなるでしょう。
小林 そうですか。しかし遺伝とか環境とかいう概念はあいまいなものです。

小林秀雄・岡潔著『人間の建設』

 今度は遺伝か環境かという問題に会話が移ります。岡さんは一卵性双生児を調査して導かれた学説をもとにした話を進めていきます。

 それは遺伝するのは肉体的なものであって、それ以外の才能とかの遺伝というものは、まったくの仮説だ、とても説明できないというのです。もちろんだからと言って環境だけで説明しきれるものではないとも。

 遺伝、環境という問題に対して、岡さんが情緒論を問いかけていきます。赤ん坊がお母さんに向かって笑いかける。母親が他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていない。しかし親子の情がすでにある、そう仮定する。

岡 ……環境一つで人間を説明できるなどとは思いません。愛と信頼と向上する意志、大体その三つが人の中心になると思うのです。……そこで私が言う情緒ですが、人が生まれて生い育つ有様を見ていて、それがわかると、人というものもかなりわかるのではないかと思うのです。……世界の始まりも見えてくるのではないかということも思います。

 そして、子供に時間というものの観念ができるのが生後三十二ヵ月過ぎたあとつまり二歳半過ぎだというのです。そのあと自他の区別が生まれ、森羅万象ができていく過程が一個の世界ができあがることだと言います。

 のどかであって、自他の別がなく、時間の観念もない。それが「情緒」だというのです。岡さんの情緒論の考えが展開されています。仏教の涅槃ねはんにもなぞらえています。

 環境という場合、あいまいさはあるものの、おおむね時空と結びつくと考えれば、それを人が区別するのは、岡さんの説によればおそらく三歳以上の時期になると思います。

岡 ……だから時間、空間が最初にあるというキリスト教などの説明の仕方では分りませんが、情緒が最初に育つのです。自他の別もないのに、親子の情というものがあり得る。それが情緒の理想なんです。……私の世界観は、つまり最初に情緒ができるということです。

 この時期まで母の胸で情緒にひたり、懐かしさをおぼえ、順序のあることをおぼえ、自他の別を知り、一という観念を知り、時間を知り……。人というものがこうしてい育ち、やがて世界の始まりが見える、と。

 岡さんの説に触発されて、私なりに言い換えをしましょう。世界が人をつくるのではなく、人が世界をつくる。という逆説が成り立つ。この仮説、どうでしょうか。たまにはこんな妄想の遊びの世界をたのしんでみましょう。

 時空の世界が人やら何やらを生成するのに先立って、人やら何やらが情緒の世界を創生する。と、それが時空の世界という壮大な幻想を生み……。鶏と卵?あゝ。私の手には負えなくなったのでこの辺で投げ出します。

‐―つづく――




※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。


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