ほぼ毎日なにか書く

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ほぼ毎日なにか書く0901

書くことが自分を救うときもある。今日は書くことで救われたい。

まちに接するときの態度についてまた考えてる。ずっと考えてるけどまた。ずっと考えてるからといって答えが見つかってるわけではない。積み残した宿題状態になっている。

一昨日は南部さんと、昨日は宮本さんと会った。会いに行けば会える。このおふたりとはどれだけの期間会わなくても関係が途切れることはないだろうと感じる。人類学でラポールというのかな

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ほぼ毎日なにか書く0719

延々と歩いた日だった。昨日も江古田から沼袋まで歩いたし、今日は日比谷から竹橋まで歩いたあとに上野公園を一周した。

歩く中でしかできない思考があると思う。自分の場合、昼よりも夜歩くほうが考えが冴える。いや、冴えていると思うだけかもしれないけど。
けれど、条件がうまく整っていないと単なる移動や作業になってしまう。同じ道のりでも。この差は微妙だ。その前に何があったかより、そのあとに何があるかのほうが大

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ほぼ毎日なにか書く0717

ひとりになりたい、と切に思う。

バイト、電車。23時の地下鉄はすっかり混雑している。感染が怖いから物理的にひとりになりたいというのではない。こうして肩と肩がぶつかるくらいの距離で人間の波に飲まれていくことがよろしくない。アンテナはいやでも環境を受け取っていて、そこに順応してしまう。他人の中の自分であり続ける。東京のうねりの一部になってしまう。

だからといって家に帰ったら1人だハッピー、というこ

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ほぼ毎日なにか書く0716

二ヶ月近く書いていなかった。今日、再開する。なぜ再開するのかと、なぜ書いていなかったのかが表裏一体なのでまずその部分を整理しておきたい。

6月に入って忙しくなってきた。緊急事態宣言が5月末に解除されたが、解除がされるまではまだ「宣言下」という共通の条件のもとに全員がいたんだと思う。今ふりかえると。外出自粛によって空間的にバラバラにされ、時間の共有もできなくなっていたが(バラバラの時間を生きていて

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ほぼ毎日なにか書く0527

できなかったことがいままた目の前にあるとき、ではどうできるのか?を想定しながら毎日作業をしたいものですね。

ほぼ毎日なにか書く0525

昨日の続き。自分の理解の整理のために書いている。

演劇ワークショップと都市計画・まちづくり

演劇ワークショップに、まちづくりや都市計画の分野から熱い視線を投じられた時代がある。1980年代から2000年頃までが、そのコア期間だったのではないかと思う。大まかに分けると、都市計画の分野でトップダウンの構造からボトムアップ、住民参加ということが論じられ始めた。
議論の中心地はアメリカだった。ジェイン

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ほぼ毎日なにか書く0524

今日は思考整理のための思考を、整理せず、とにかく書いていく。
来週博論のフレームの話をするので、そのために・・・。

演劇のための空間という着眼点がある。一方で、演劇によって生成される空間というのがある。遊び場にしても、用意される遊び場というものと、遊ぶことによってそこが遊び場になるということがある。緑地にしても、行政によって用意される公園やグリーンインフラもあれば、住民が自発的にみんなで植木鉢を

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ほぼ毎日なにか書く0522

全然毎日書いていないのにはわけがある。
今週は、すべての隙間時間を使ってアンリ・ルフェーブルの「都市への権利」を読んでいた。200ページ程度の文庫本なのだけど、訳がそんなによろしくないのと、言葉の言い回しが独特で、かつ抽象的な言葉が延々と続くので読解に時間がかかる。一回読んで3割程度しかわからず、2回目でやっと7割程度わかったかな、という状態。明日は3回目を読んでなんとか8.5割くらいにしたいなと

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ほぼ毎日なにか書く0517

初夏の羽かいくぐる白昼夢 生まれるところを選べば虫よ

ほぼ毎日なにか書く0515

また5日空いた。
1日1日の出来事を記すより、数日かけてひとつのものごとを考える生活にシフトしたということかもしれない。

フッサールの現象学の入門書を何冊か読んで、いまはハイデガーの入門書を読んでいる。いきなりハイデガー自身の著作に当たってもまったく理解できないことが間違いないので、入門書。
ハイデガーは「生まれた瞬間に世界に埋め込まれている」という点が重要なんだろうな、とおもいつつ読んでいる。

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