ほぼ毎日なにか書く 0415

最近、身の回りが妙に静かに感じる。2010年代、さまざまな方向から耳に入ってきたアートによる場づくりやまちなかでの演劇展開、成果主義ではない人材育成の場というのが、気がつくと少なくなっているようなかんじがする。

数としては減っていないのかもしれない。けど、2010年代に自分が関心を寄せていた界隈のプログラムはどこもこれまでの活動のまとめにかかっている気がする。2010年代の後半、そこではオリンピック後の東京をどう迎えるか、アートの場をこしらえるかというのが大きな話題だった。オリンピックの存在が大きなもので、オリンピック後のことを考えているというと、ものを考えている風にもなれた。しかし実際にはオリンピックはあったのかなかったのかもよくわからないかんじになり、オリンピックバブル後の東京という見方が成り立つのかもよくわからない社会に突入してしまっている。そんな中で、2020年を一つのタイムリミットとしていたさまざまなプログラムが静かに役目を終えている、そんな印象がある。

失敗をしてもいい場、いずれくるクライシスについて話し合う場は豊かで、貴重だ。どの程度の成果が生み出せたか以上に、自分自身のチューニングにとても役に立つ。自分というマシンのメンテナンスにも、パーツの見直しにもなる。ピットインのないサーキットではひとは壊れるまで走り続けるしかない。だけど、そういう場がやっぱり減ってしまったかんじがする。そういう場で出会った人たちは、気づくとすでに東京にいない。

安全な場は誰かがその安全を身を挺して保障することで成り立つ。自分が参加したあのプロジェクトも、あの勉強会も、誰かが、なんらかのかたちで場を保障していた。それを自分のために自分自身でこしらえるのはなかなか難しい。稼がなくてもいい自営業みたいな、矛盾がある。大学の自由にも似たような、時限付きの自由。大人にももっと学びの自由があっていい。そして学びは生産性からも自由であるべきだ。

2010年代とは違うフェーズに入ったのだなと思う。なんとなく、自助と互助の時代なのかなと思う。意外と2010年代は公助の時代だった。それは公共の文化事業が割と多様な場を担保してくれていたという意味で。税金を使って保障されていた場、そこでの自由に代わるものをどうしたら創出できるのだろう。
公共の文化事業で手厚かったのは、メディア・人材・深度・パッケージ力だったように思う。ある程度キャリアのある人が、問いを持ってプログラムを展開し、それがさまざまなかたちで広報され、界隈の言語をゆるく組み上げていた。その根っこには資金力がある。あと物理的な場があったことも大きい。
自助・互助の場合、資金力をそれこそ人のつながりでカバーすることになる気がする。バーチャルな商店街のようなものかもしれない。より集まることで「街」を形成して買い物の多様性を担保している商店街。

けれど商店街はあくまで商売をしている。話したり考えたりすることは商売ではない。どちらかというとあそびの時間だ。けれど稼ぐためにも必要な遊びだ。どうしたら、行政の後追いでもない次のフェーズの場を作っていけるか。

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