ほぼ毎日なにか書く 0226

久しぶりにnoteを開いて、何か書こうとしている。

そろそろコロナウイルスが本土で広がり始めて一年が経つ。3月に群馬でついていた仕事は、多少の影響をうけつつもなんとかかたちにすることができた。けれど、それが終わって4月になると一切の動きが封じられた。ご存知の通り。そんな4/1からnoteをこまめに書き始めた。研究室の移動があったり、自分の周囲がめまぐるしく動いているのだけどフィジカルな移動はできないという、言語化のしづらい4月だった。強制停止という新鮮な体験の中で、自分の中にあるもの、それは知識とか着眼点を一つずつ一定のまとまりにしていこうと思って、noteを始めた。タスクを潰し続ける時間ではできない、自らの棚卸しには、自粛期間はうってつけだった。

ありがたいことに5月、6月頃から新しい領域の仕事をいただくようになり、自分が専門とする拡張された演劇と公共空間、コロナウイルスという特殊な条件で動き回ることになった。瞬きしている間に冬がきた。本当だったら棚卸しの勢いでもっと理論を読み解き、分析手法を身に付けているはずだったけれど、走りながら思考することになった。誰かと一緒に走りながらする思考と、ひとり駅前のベンチに座って本を読みくだしながらする思考は質が違う。対話なき思考はありえないということをパウロ・フレイレがいっていて、その通りだと思うが、誰かと話をしていれば対話というわけではない。対話のためには人と触れ合うことを断つ必要もある。

誰かと何かをし続ける、集団に対してコミットするという中で、実は思考することを手放していたのではないかという懸念がある。「忙しさへの現実逃避」というのが自分にはある、と思う。誰かからの直接のリアクションに一喜一憂する、その中では問いを研ぎ澄ますことが難しい。けれど仕事をするとは、実はそんな一喜一憂の渦中に身を置くことだったりする。
忙しくなるにつれてnoteへの投稿もできなくなっていった。時間がないという単純な理由ではなく、書くとか考えるという回路の優先順位が下がってしまっていた。それも時間がないからそうなってしまうのかもしれないが。暇な時間を作らないと、自分は考えることをやめてしまう。

ぼんやりとそんな危機感を覚えたので、今日はこうして何かしら書いている。けれどやっぱりぼんやりしている。どうしたことだろう。人と会ったり、話をする機会がごそっと減っているからだろうか。緊急事態宣言に飽きてきているからだろうか。外部からの刺激も減っているし、自らの中にある飢えとか許せなさのようなものが枯渇してきている気もする。

阪神淡路大震災の被災者が、自らの体験についての手記を書く活動のお話を聞いた時、5年10年と時間が経っても書き続ける中で、わざわざ自分の傷をえぐりかえすような書き方をする方もいるという話を伺った。辛い気持ちになる場所に行く、失った家族のことを思い出す、など。傷は癒えればそれでいいのではない、癒えていくことに対する切実な危機感を覚えた。もちろんその気持ちは計り知れないのだけど。

仕事の関係で今朝、2年前に死んだ祖父のことを原稿に書いた。今も住んでいる家での出来事なので、その後しばらくは(建物、あるいは血筋としての)家とどういう関係を結ぶのかが切実な問題だったのだけど、あるときからすっと熱が冷めていった。もう一度その熱を温めなおそうとしてもなかなか難しい。例えば死んだ祖父の声の録音、それを聞くことは、一種の自傷行為になるのかもしれない。しかし、そうしてまで何を思い起こしたいのか、それはよくわからない。

飢えが失せてしまった、というのは幸福なのかもしれない。けれど飢えていないということへの得体の知れない危機感がある。飢えていないはずがないんだから。飢えていないのだとしたら、それではもう、どうにもならないじゃないか、自分は。

わたしが何かを忘れつつあることへの危機感、それは、私も誰かに忘れられつつあるということと表裏なのかもしれない。少なくともそう感じているのかも。あと数日で30才、すっかり会わなくなった友人もいるし、活躍している先輩後輩の話が流れてきたりもする。自分は、思い出されるような生き方をできているだろうか。

「いま」に忙しいと、「過去」や「未来」にリソースが裂けなくなる。きっとわたしは今、「いま」にリソースを裂きすぎている。それも結局、過去と未来がないと貧しい「いま」になってしまうのだけど。ちょっと貧しいな、という感覚もある。だからやっぱり、積極的に「いま」を手放していかないといけないんだな。

それも、何か向かう先がないとやってられない。作品をつくれ、論文をかけ、自分。

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